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さみし虫。
わたしの肩の上には、小さな生き物が乗っている。そいつはどこからともなくやって来て、わぁわぁ泣いて暴れるちょっと迷惑なやつだ。
わたしは、この子を「さみし虫」と呼んでいる。
さみし虫は、2、3か月に1回くらいのペースで現れる。小さいからと言って、甘く見てはいけない。一度、機嫌を損ねると周りをひっかき回して、破壊するモンスターのような存在だ。
さみし虫は、我慢ができない。小さなことがきっかけでぐずり始めてしまう。さみし虫が泣き始めると、わたしは心身ともイヤな感じがする。
ザワザワと心が落ち着かなくなったり、喉の奥の方に何かがつっかえたような感じがしたりする。ズーンと重たい気持ちになって、落ち込みやすくなってしまう。
いつもなら流せるような言葉にカチンと来て感じの悪い態度をとってしまったり、みんなが楽しそうにしているときにも暗い顔をして気を遣わせてしまったりする。
わたしは、さみし虫の扱いに困っていた。どんな説明も、大人の事情も、さみし虫には届かない。説得をしようとすればするほど、意地になって激しく暴れる一方だ。
いくら泣いても状況は変わらない。こんなの事態を余計にややこしくしているだけだ。大人なのに自分でコントロールしきれなくて、恥ずかしい。迷惑をかけて、みんなに嫌われたくない。
いっそのこと、さみし虫なんて、いなくなってしまえばいいのに。
願いが通じたのか、ある日を境にさみし虫はパッタリと姿を現さなくなった。
たしか、さみし虫が最後に暴れていたのは、もう半年以上も前だ。そのことに気づいたわたしは、ホッと胸を撫で下ろした。
よかった。これでもう、振り回されなくて済む。きっと、わたしは強くなれたのだろう。
それにもかかわらず、友人たちとは以前よりもギクシャクするようになっていた。
「誰の悪口も言っていないし、弱音も吐いていないのにどうして?」
そんなとき、誰かの声が頭の中で響いた。
「あなたは、いつも自分のことばかり。他人に興味がないんでしょう。」
責めるわけでもなく、淡々と告げる低い声。記憶の中のわたしは相手の顔をまっすぐ見ることができずに、うつむいていた。
「そのままじゃ、周りから人が去っていくよ。いつまでそうしているつもり?」
これは、何年くらい前のことだったかな。二人で向かい合っていたことは思い出せるけれど、前後の文脈などはぼんやりとしている。ただ、そのシーンだけが残っている。
なんで、あんなに強くなろうとしていたんだっけ。誰にも支えてもらわなくてもいい状況を、目指していたのだろうか。
そもそも、強さって何だろう。ひとりで生きていけることなのかな。
真っ暗な部屋のすみっこで、毛布にくるまっていると、涙が次から次へと溢れてきた。
唇を噛み締めて、手のひらに爪が食い込んで血がにじむくらい強く握り締める。それでも声が漏れてしまうので、顔を枕に押し当てた。
―なんで。
頭の中を記憶が駆け巡り、そのたびにグッと何かが喉元にせりあがってくる。叫び出しそうになってしまい、枕に顔をうずめた。それでも、抑えきれずに、きつく自分の膝を抱え込んだ。
―どうして。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。近くにはティッシュが丸まって転がっている。取り乱していながらも「こんなに泣くなんて恥ずかしい」や「枕が濡れてしまう」という冷静な自分もいた。それでも、もう、どうでもよかった。
…さみしい。
こんなに声に出して泣いたのは、何年ぶり、いや、十数年ぶりだろうか。子どものころ以来かもしれない。
熱い涙は心の奥のしこりを溶かし、溜まった何かをジャブジャブと洗い流してくれた。体がやたらと軽くなったように感じて、ポカポカと温まっていた。
「ふう…」と一息をつくと、聞き覚えのある誰かの声が聞こえた。
ふと右肩を見てみると、いなくなったはずのさみし虫が戻っていた。ちょこんと乗っかって、一緒に泣いてくれていた。
久しぶりの再会に、思わずほほが緩んだ。相変わらず、あっぱれな泣きっぷりだ。さみし虫は悲しみに全身を委ねて、表現をしている。
「こんな風に泣くことができたら、さぞかし気持ちがいいだろうなぁ…」と、羨ましくなってしまう。誰の目がなくても、わたしはこんな風にはなれない。
さみし虫のギャンギャン泣く姿を見ているうちに、涙はどこかへ引っ込んでしまった。
おかえり、さみし虫。
ずっと、自分が愛されないのは弱さのせいだと思っていた。
でも、わたしの心の奥底にあった願いは「強くなること」ではなかったのかもしれない。張りぼての強さを身に着けても、緊張しっぱなしでちっとも満たされなかった。
いつだって、肩の力を抜いて人のそばにいたかった。
一緒にいろいろなものを見たいし、どう感じたのかを共有したかった。ものの見方のちがいをおもしろがっていたい。くつろいで、笑っていたかった。
黙って、となりの人の存在を全身で感じていたい。同じ空間にいられて、うれしい。それだけで、よかったんだ。
さみし虫を消そうとするのは、わたしの望みからは遠く離れたところにあった。
これからは、あなたの声にも耳を傾けよう。ずるくて、怖がりで、傷つきやすいわたしは、ついつい自分と向き合うことをさぼってしまいそうになる。
だから、わたしが自分に嘘をついたり、道に反したことをしようとしたりしたら、大きな声で教えてほしい。
今まで、わたしを守ってくれて、ありがとう。ずっと、都合の悪い部分をあなたのせいにして、ごめんなさい。
ゆっくりと話しかけると、さみし虫は少し照れたようにはにかんで、スーッと消えていった。
あれ、どこへ行ってしまったんだろう。ようやくちゃんと声を聞こうと決めたのに。
きっと、見えなくなっただけで今もそばにいるんだろう。
そして、いつかまた現れて大声で泣いてわたしを困らせるんだ。わたしは今の感謝の気持ちをケロっと忘れて「うるさい」と言ったり、「また、来たの?」と憎まれ口を叩いたりしてしまうかもしれない。
それでも、今度はちゃんと話を聞こう。
「あなたの望みは、何?」
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この作品は、嶋津亮太さんの「教養のエチュード賞」に応募しています。7年前にノートの切れ端に書いて、いつかきちんと文章と絵にしたいと思っていた物語です。noteではじめて出すフィクションなので、わたしにとってのエチュード(練習曲)でもあります。
きっかけをくださり、ありがとうございました。
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