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読書楽しすぎ


読書楽しすぎ
隙あらば本読むこと考えてる。
休みの日は絶対に読書の時間を作ってる。

小学生の頃、なかよしを毎月買って読んでいた。
その時に、たしか読み切りではやみねかおる先生原作の夢水清志郎シリーズが漫画になって載っていた。

その読み切りが好評だったのか、連載化されて、単行本も出ていた。
私はそれが大好きで、単行本も買ってた。
単行本を何度も何度も読んで、それだけじゃ足りなくて、原作を読みたくなった。

原作は漫画じゃなくて、小説。
図書館に借りに行って、3日くらいで読んで、原作の2冊目を借りた。
新刊に近付いてくると図書館には置いてなくて、母親にねだって買ってもらった。

私の読書は、はやみねかおる先生の夢水清志郎シリーズから始まったと思う。

そこから何がどうなったかは忘れたけど、学校の朝の読書タイムで博士の愛した数式や1リットルの涙を読んでいた。
特に博士の愛した数式は大好きで、何度も何度も読み返した。

学生時代に読んだ本はよく覚えている。
夜のピクニック、明日の記憶、さまよう刃、コールドゲーム、噂、塩の街、海の底、空の中、青の炎、天使の囀り…

特に貴志祐介の新世界よりを読んだ時は衝撃で、面白すぎて3回くらい読み返した。あんなに長いものを。
初めて残りのページ数を数えて、(もう読み終わっちゃう…!)と思った本だった。

学校生活は息苦しくて、常に誰かに監視されているみたいであまり1人で慣れない事はしなかったけど、本に触れたくて学校の図書室に1人で行った。

本を読みたくて友達やデートの誘いも断った。
1人で本を読みたかった。
物語に没頭して、自分の手がページをめくる音だけを感じたかった。

本は私を傷付けない。
私を監視もしないし詮索もしない。

しかも、本を読むことは良い事だと大抵の人は思っている。
ただの趣味なのに。


文字を追うだけでこんなに没頭出来て、幸せなことがあるのか。
現実には無い空想を頭に巡らせて、時間がどんどん過ぎていく。贅沢な時間の使い方だと思う。
最高だ。

今年はいっぱい本を読んでいる。
三浦綾子先生が好きで、道ありきや塩狩峠を読んだ。
キリスト教の事は分かりそうにない。

ちょうど見ていたドラマ『MIU404』でも、キリスト教がチラッと出てきた。

キリスト教徒であった妻を殺され、旦那は復讐をする。

『妻はキリスト教徒だった。キリスト教は赦しの宗教だ。妻だったら許しただろう。だが俺は許さなかった。』

許すことはそんなに美しいですか?と三浦綾子の本を読むといつも思う。

私にとって、許すことは諦めることに似ている。

復讐は何も生まない、と物語の中の『正しい存在』はいつも言う。
何か生む事がそんなに美しいのか。
復讐する事はそんなに許されない事なのか。


許せること、許せないこと、その分別が人々の個性で、それぞれの正義だと思う。

許せないと思ったら、ずっと許さない。
頭の中で何度もそいつの首を絞める。
いつか呪われますように、って。

お前が、こんな私にしたんだよ。


物語の中の登場人物に不幸があると、辛くなる。
どうやって気持ちを整理するんだろう。
そう思ってページをめくる。
気持ちの整理の仕方を、本で学んできた。
学んできたけど、整理出来ないことだらけで困る。

この主人公がどうか、諦めに近い許し方をしませんように、と思いながらページをめくる。

許すってなんだろう。
許さない、は呪いに近い。

私は多分、許せない事が人よりずっと多い。

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