わたしのパラレルキャリア作戦 ― わたしの転機をふりかえる #8
前回はこちら:
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保育園に落選したことをきっかけに、「自分はやっぱり書くことで世の中とつながりたい」という本心にやっと立ち返ることができました。
そこで、「書くこと」を軸につぎの一手を考えはじめました。しかし、すぐに厳しい現実に突き当たります。
行動を起こしたくても、最初の一歩を踏み出せないという現実です。
それまでオンラインで大学院に通ったり、海外で教育経験を積んだり、思いつく限りのことをやってきたつもりでした。それにより、会社のなかで仕事の幅が広がり、それなりに成果を残してこられたのは間違いありません。でもそれはあくまで会社のなかでの話でした。せっかく学んできたことを社外で生かすという行動をしてこなかったために、いざ社外へ出ようとしても最初の一歩が踏み出せないという現実に突き当たりました。
社外での実績がなければ、どうすればいいか。
今から作ればいい、というシンプルな結論に至りました。
そこで、執筆や言語表現を軸にあらたな実績づくりに励みました。
まずはとりあえずnoteをはじめて、自分の経験や学んできたことなどをぼちぼちと発信しはじめました。さらにメディアへの寄稿にもチャレンジしました。noteで書いた記事をサンプルとして添付し、さまざまなメディアに送ってみることから始めました。最初は上手くいかないこともありましたが、粘り強く続けているうちにいろいろなご縁ができ、エッセイや取材記事の連載をいただいたりするようになりました。
また知り合いの編集者から絵本翻訳の仕事をいただいたり、起業家の友人からウェブサイト翻訳の仕事を引き受けたり、妹の友達の依頼で海外アーティストの通訳の仕事を引き受けたりなど……。言葉に少しでも関連することなら、何でもやるつもりで引き受けました。
実績作りに励む一方、ライティングについても一から学びなおすことにしました。編集ライターの登竜門として知られるライティング講座に申込み、大量の課題に目を回しながらもなんとか食らいついていきました。
そうしてがむしゃらに動いていくうちに、だんだんnoteに反応をいただけるようになってきたり、メディアや教育関係者の方々から問い合わせをいただくようになったり、果ては書籍化につながったりと、いろいろな展開が起こっていきました。また、しばらく見失っていた表現の喜びも、少しずつ取り戻していくことができました。
そんななか、2020年6月にようやく緊急事態宣言が解除されました。保育園が再開されたと同時に、職場への復帰が慌ただしく決まりました。
そして翌月の7月1日、約一年半ぶりに職場への復帰を果たしました。
その後はワーキングマザーとして、仕事と執筆を両立する生活に落ち着いていきました。コロナ禍以前は想像もしなかった生活ですが、後になって振り返ると、すべて必要な経験だったと思っています。
思えば、書くことへの情熱は幼いころからずっと胸のなかにありました。でもいろいろな事をきっかけに、いつしか自分の心に蓋をして生きるようになりました。
その背景には、恐れの気持ちがあったと思います。「自分の好きなことで失敗したらおしまいだ」という、よくわからない恐れです。自分の気持ちと正面から向き合えるようになるまでに、気づけば20年近くも遠回りをしてきました。
もう少しうまくやれなかったかと思うこともあります。でも、遠回りをしたからこそ得られたものもあります。
はじめから文章の道をまっすぐに進んでいたら、教育というテーマに出会うことはなかったかもしれません。イギリスの大学院に「オンライン留学」することも、ましてやフランス現地に留学することもなかったはずです。フランスの小学校で世界中から来た子どもたちと過ごすことも、パリという美しい街で外国生活を送ることも、すべては私の人生に起こることなく通り過ぎていったことでしょう。 しかしこれらの経験なしに、いまの自分を語ることはできません。
「文筆活動を通して一人でも多くの人が機会につながる世の中へ」
これが、今の私にとっての一つの軸です。いまでは胸を張ってそう言えます。そう考えれば、遠回りも悪くないものだと思います。
つぎの投稿からは、夫の転勤を機にあらたな家族の形を模索していった日々を振り返ります。
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