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わたしは超ポジティブではない。


「ポジティブでいればいいことがある」

「笑っていれば、大丈夫」

「嫌なことも忘れて、楽しいこと考えよう」


巷では、このようなメッセージや雰囲氣が
まだまだ溢れているように思う。

私も、この言葉を素直に信じて
実践していたひとりだった。


でもね、ある時がんばれなくなった。
というより、頑張っても頑張っても状況は良くならなくて
ポジティブでいる意味が分からなくなった。


その時はじめて氣づいたの。

私のはポジティブじゃなかった、と。
ただの“逃げ”だった、と。



この地球で、人間やってるとさ
どうしても頑張らなくちゃいけない時があるよね。

でもそれって、誰かのためじゃなくて
本来は自分のためのはずなの。


それがどこかのタイミングですり替わって

・誰かに評価されるため
・世間体があるから
・“普通”は〇〇だから
・我慢が美徳だから

これらを満たすために頑張ってしまうんだよね。

その根底には
頑張れない自分=ダメ っていうのが根付いていて
ダメな自分にならないようにポジティブを装って
やりきろうとする。


やりきった後に残るのは
達成感というよりも「次にやることを見つけなきゃ」
という焦燥感の方が強い。

こんなループに、氣づかぬうちにハマっている。


なぜ“逃げ”だと思ったかというと・・・
ポジティブでいられない自分に蓋をしていたから。

ポンコツな自分
ハツラツとしていられない自分
思うように動けない自分
ぼんやりしてミスをしてしまう自分

必ずこういう自分はいて
こういう自分がいていいはずなのに
わたし自身がそれを認めてあげられなかった。

こういう自分に氣づいてしまったら
もうポジティブでいられないんじゃないか

・・・怖かったんだと思う。


今では、ポジティブ野郎になろうという氣は
さらさらなくて。

ありのままって素敵だよねって
思えているんです。

とは言っても、
・人にどう見られているんだろう
・あの人はわたしのヨガは嫌いなんだろうな
・〇〇(人)に比べてわたしは魅力的じゃない
(その他、いろいろ)

って思うこともそりゃあありますとも。
なんなら最近も思ってますとも。

久しぶりに考えすぎて胸が苦しかったですとも。
わたしだってあるの、陰全開のときが。



でもね、誰かに好かれないとって思って
自分を崩していく必要はない。

そんなの、偽物の自分になってしまう。

(藤井風さんの『みちてゆく』っていう歌詞にもあるけど
“愛されるために愛するのは悲劇”って)


傲慢でいろ!とか
自己中推進!の話ではなくて

あなたがあなたらしく存在していて
そのあなたをいいって思う人たちと
命という時間を共有できれば一番幸せだよねってこと。

わたしも改めて、自分に言い聞かせた。


波動の法則があるから
いつでもニコニコしていないといいことが起こらない
って勘違いされがちだけど、それは大間違い。

陰(ネガティブ)の自分が出てきた時に
どっしり受け止めて、認められたときに
奥底では陽に転じているらしい。

見ないふりをしたり
なかったことにしようともがくから苦しくなる。

どっちの自分もいていいんだよ〜
ってわたしも再確認。


わたしは自分のことを
行動力があって簡単に諦めない。
体力も氣力もまあまあ高い方。
共感能力抜群。ヨガを深く追求する。
好きなことにはとことん時間を費やせる。
お酒もめっちゃ飲める。

って思ってるんだけどさ

一方で、繊細!氣にしい!
あんなこと言わなきゃよかったかなって
首を垂れることもある。
嬉しくても悲しくても悔しくてもすぐ泣く。
切り替えが下手くそな時もある。
白黒はっきりさせたがりな時もある。

こんなわたしもいるわぁーと
自分で分かってるんです。

でも、全部ひっくるめて“わたし”だから
うまくこの地球で旅するように生きられたらいいな
と思う。


日々、日々
氣づきが起きて、学びが深まる。

33年人間やってても、まだまだです。笑

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