母からの精神的自立
数ヶ月前に正社員からアルバイトになった。
その時はなんか、感覚的に「変化の時だなぁ」って思って新しい流れに身を任せたいって思ったから踏み切った。なんだか川の中にいて、そちらに流されている気分だった。必ず海に続いているから大丈夫って感じだった。
いくつか動き出しそうな仕事の流れもあったし、隙間時間にできる仕事も始めていたからそこまで躊躇しなかった。
何よりも、ずっとさがし続けていたやりたいことが明確になって、それに力を入れたいっていうのが大きかった。週5日8時間労働だとなかなか忙しいから。
ちょうど平成から令和になるタイミングだった。
それからは毎月クライアントさんに恵まれて、いい流れだった。「時間ができるとちゃんとそこに新しい仕事が入ってくるんだなぁ」なんて思っていた。
でも最近は停滞気味。
理由は明確にわかっていて、精神的に自立したくないから。
やりたいことをやろうとすると、誰かと死別するような引き裂かれるような悲しみを感じる。この悲しみが果てしない。
以前から時折感じるこの悲しみ。「なんだろう?」って思ってた。「人生でこれがやりたい」って思うと泣いてしまうことが多いから、最初は勘違いして嬉し泣きかと思ってた。笑
それを痛感したのは先日、お盆に家族と会っ他ときのこと。
改札まで見送りに来てくれた母と別れる時に感じた悲しみが今まで感じていた感覚と同じものだった。それで、「これかぁ」って思った。どうやら母からの精神的自立に悲しみを感じているらしい。
潜在意識のなかでは母が守ってくれた世界からの自立が少しづつ起きていて、新しい世界へ移行するタイミングなんだと思う。
今までは、母の価値観を持ち、母の顔色を見ていたけど、これからは自分の価値観で、自分の意図を放つ世界へ行くんだって気がする。周りの反応がどうでも、私はこう思う、私はこうする、って言える自分になるってことなんだなぁって感じ。それが言えたら、自分に共感してくれる人、共鳴してくれる人がきっと周りに現れる。
改札の場面は、そんな母との別れがうまく投影された場面だった。
改札を通る時、何度も振り返った。「ここでお別れなんだな」って思うとやっぱり悲しくてたまらない。
ここから別々の道を歩むんだと思うと、ずっとお母さんのところにいたいと思ってしまう。
でもそんなわけにもいかないから、私は私の道を行こうと思う。
とりあえずこの悲しみを超えていくことを決めないと。
今まで学んできた全てのツールを駆使してやってやる。笑
みんなどうやってここを超えるんだろう。精神的に自立してる人ってそんなにいないのかな。