誰のためのビジネスなのか
母の洗脳が取れた。
私の母の洗脳は
「誰にでも好かれる人、どんな人とでも付き合える人になるのがいいこと」
だった。
その洗脳自体にもツッコミどころはいっぱいあって、求めているものと実際に得るものの矛盾は非常に激しい。
例えば、成長を求めいるのに実際は全然成長できないとか、話しやすい人になろうとしているのにただの八方美人になるとか。
目的と手段が合ってない感じなんだよね。
目的は自分の欲しいものなんだけど、手段が親からのお下がりで時代遅れって感じかな。
洗脳が取れた今、思い返してみると、人と会って商品価値を伝えるべき場面で、私は商品価値をどう伝えればわかってもらえるかよりも、どうやったらいい人に思われるかを頑張っていたんじゃないかって思う。
それじゃ、商品欲しい人は見つからないよね。
日々のマーケティングタスクも、まさにそれだった。
タスクをこなすと認めてもらえるっていう勘違いを中学受験の時にしているため、タスクをこなすことで一生懸命やってる自分を認めようとしていた。
だから日々のマーケティングタスクをこなすことは、価値を届けるための努力じゃなくて自分を認めるための努力になってた。
マーケティング戦略がしっかりしていればそれでも価値は届いたのかもしれない。
でも、自分でそういうのを考えなきゃいけない私は、その辺りがごちゃごちゃになっていると、マーケティング戦略自体が自分を認めるための戦略・人に認めてもらうための戦略にすり替わってしまう。
だからいくらやっても商品価値は全然相手に知らされない。
ビジネスをすること自体は、自分のためであってもいいと思う。
でも、一つひとつの価値提供や価値を知らせることはクライアントのためじゃないと成立しない。
当たり前だけど。
頭でわかってるのに、すり替わってしまうトリッキーさよ。