I AM STILL ALIVE
2022年9月15日(木)晴れ
早朝から清水寺でパワーを蓄えようと思っていたが、やはり起きられなかった。連日の睡眠不足による疲労がどんよりと身体に蓄積している。それでも、8時過ぎにはフラフラと茶わん坂を登りきった。
平日だから空いているだろうと思ったが、修学旅行生がわらわらと押し寄せる。はじめは閉口したものの、次第に懐かしい気持ちが込み上げてきた。清水寺にべったりと貼りついた思い出はいくつかあるが、中学の修学旅行で初めて訪れた時の印象が色濃い。当時好きだった子が別の班で、どこかですれ違わないかな、ときょろきょろしながら春の京都を歩いた。音羽の滝の辺りで、ようやく見かけたんだった。
これからたくさんの恋をして、最後に心から愛してると思える人に出会ってね。そんな気持ちで修学旅行生たちをじっと見つめる32歳。怖いね。
清水寺から望む京都の街並みは美しい。自然と人工物が緩やかに調和する。でも、人が作ったものは、いつか朽ち果てて飲み込まれてしまう。私たちにはなす術もなく、残り続けるのは自然だけ。この前行った三宅島で、そんなことを思ったのだった。今、眼下に広がるこの景色は、永遠にあり続けるものではないからこそ尊い。
続いて訪れた三十三間堂は、修学旅行の時に最も感動した場所。当時も今回も、長い年月を経ても淡く輝き続ける膨大な数の千手観音に圧倒された。時間はたっぷりあったから、説明書きを参考にしながら千手観音がその手に何を持っているのかまで一つずつ見られた。衣服のドレープ部分の巧拙など、見比べたりするのも楽しい。
THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTOでイタリアンのランチコースを楽しんでから、午後は嵐山へ。ワインは2杯に留めたが、アルコールでやや身体が重い。
京都には、原研哉さんの「日本のデザイン」に書かれていた日本特有の美意識「エンプティ」を改めてこの目で見ようと思って来た。天龍寺の庭園で少しだけその感覚に触れられたようにも思う。
福田美術館と嵯峨嵐山文華館は、本当に行ってよかった。日本画には大して興味がなかったものの、実際に目にした「本物の日本画」たちには圧倒された。特に、入江波光の「聖観音」が気に入って、絵の前を何度も何度もうろうろしてしまった。太くて淡い描線と柔らかな彩色がたまらない。
最後にラーメンを食べて帰ろうとしたが、バスを間違えて全然違う方面へ行ってしまい、ラーメン屋まで45分歩くことにした。9月の京都はまだ暑くて、強い日射しに灼かれながら、この日は約25,000歩も歩いた。
「麺屋 さん田」と「あいつのラーメンかたぐるま 本店」をまわる。どちらも住宅街の中にあるラーメン屋で、普段着の京都に出会えた気分だ。
京都には何度も来ているが、今回は美しいものにたくさん触れるための旅だった。来る度に少し違って見えるのは、きっと自分が変わり続けているから。アートに観客自身が投影されるように、街にも自分が映る。京都だけではない、東京だって。自分の変化に呼応して、目に入るものが少しずつ変化していく。それが生き続けることの楽しさだと思う。
京都は歴史の街。あいち2022のテーマは「STILL ALIVE」だったが、私は京都でそれを見た。目の前にあるものは、数百年前に確かに生きていた誰かが作ったもの。私たちが見続ける限り、感じ続ける限り、彼らはまだ生きている。