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言葉のリハビリ
あんまり元気がでないんだ、って夫に言ったら、とにかく山田孝之さんのドキュメンタリー「No Pain, No Gain」を全部観ろ、と言われた。それさえ観れば何もかもうまくいく、ぐらいの勢いで。
ドキュメンタリーで描き出される、30歳になった山田さんの苦悩や葛藤は、そうなのよそうなのよと身悶えるぐらいに共感できて、劇薬のようでもあるので毎日少しずつ観すすめている。
正確に覚えているわけではないけれど、「完璧になるまで待つのではなくて、完璧じゃなくてもやってみないと」みたいなことを山田さんが言っていて、ああ、とにかく私は文章を書くことを再開しないといけない、そうしないと身体中に小骨が引っかかったような日々をこの先ずっと過ごさなければいけなくなるかもしれない、と恐怖に駆られてしまったのだった。
息を吸って吐くように文章を書いていた頃から時代は移り変わった。情報が溢れて、コンテンツが埋もれる時代。フックを作る、ターゲットを決める、見出しをつける、学びを加える、このぐらいのPVを目指す。個人の発信が商業化し、文字の海でただ泳いでいたいだけだった私には、なんとなく息苦しい時代。
何か書くのであれば「ちゃんとした」コンテンツを、って思えば思うほどに、書くことから遠ざかってしまった。それなら、また書けるようになるまでとにかく読もうと決めて、人の文章を読めば読むほど、自分の文体も、書きたいことも、ふわふわと輪郭を失っていく。
思えば、昔は、誰かに読んでもらいたいという強い思いで書いていたわけではなかった。次から次へと言葉があふれてきて、書かずにはいられなかった。授業中、ノートの余白は文章の断片でいっぱいだった。それが、自分の中に溜まった澱を少しずつ外に出す手段だったのかもしれない。
短くてもいいし、意味がなくてもいいから、書くことをやめないようにしよう。それを、今日から始めようと思う。
本当はね、いつか、歌代幸子さんみたいな文章を書いてみたい。
でも、まだ、いつかでいい。