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ある秋の日の
食欲の秋。空気が澄んでいるからか、町に漂う美味しいものの匂いに敏感になっている気がする。ペペロンチーノが美味しいイタリアンの前で、インド人がナンを焼くカレー屋が佇む通りで、豚骨ラーメン屋のダクトのそばで、せわしなく鼻をひくつかせては、幸せな気持ちに浸る。
夜、駅前の居酒屋から流れてきた焼き魚の香りに、幼い頃見ていた風景をふと呼び起こされて動揺した。
端から番号の振られた団地が夕陽を遮って並ぶ、日暮れ時の住宅街。甘辛い煮汁の香りがどこかの小さな窓をすり抜けて子供たちの鼻に届く。帰宅を促す町内放送が、細い路地の奥にまで音を響かせる。
夕飯の匂いは、自由に遊べる時間の終わりを告げる合図で、幼い頃はあまり好きではなかった。肉じゃがにも焼き魚にもほかほかごはんにも、とりたてて心惹かれなかった。
長い夜を好きなように過ごせる今は、幸せだ。夕陽に追い立てられていた昔になど、決して戻りたくはない。
ただ、誰かが美味しい料理を作って待っていてくれるっていいな、とふとあの頃の自分を羨んだりする時もあるのだ。
きっともうそんな日など来ないと、知っているからこそ愛おしい。