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描いたとおりにはならない未来のこと

小さい頃から、遠い未来のことを考えるのが苦手だった。

「今やりたいこと」はいつだってたくさんあって、日々眠る時間が惜しいぐらい。一方で、「将来こういうことがしたい」「将来こんな自分でいたい」という考えが生まれることはあまり多くない。あっても非常に漠然としているし、何より、自分の飽きっぽい性格を鑑みると、1か月後には全然別のこと考えているだろうから深堀りする意味がない。

GOOD AT TOKYOの今回のテーマは「小さい頃、理想としていた自分と今の自分について」だが、そもそも理想の自分なんてあったっけ、と思い出せずにいる。小さい頃は毎日毎日パソコンに向かって夢中でキーボードを叩いていて、大人になった時のことなんて大して考えていなかったのではないか。

とはいえ、「将来の夢」というものは学校で度々求められるため、常になにかしら持っていたように思う。

小学校低学年の頃は、歌手になりたかった。校内の展覧会向けに紙粘土で作った「将来の自分」は、どぎついピンクのドレスを纏い、崩れに崩れた顔で笑いながらマイクを握っていた。

小学校の卒業文集には、「小説家になる」と書いた。痛々しい小説も載せた覚えがある。

中学の時には、国語の先生になりたかった。動機を今でも覚えている。国語のテストの珍回答がテレビで紹介されていて、「こんな回答をいつも見られるなんて国語の先生って楽しそうな仕事だなあ」と思ったのだった。

高校を卒業する頃は、新聞記者に憧れていた。ひたすら文章を書き続けるような仕事に就きたかった。大学に入り、新聞記者を長くされていた方の講義に出て、「新聞記者って、文章を書くという点に置いて意外と窮屈なんだな」と思い、あっさり諦めた。

気付けば、IT業界でコンサルをしていた。何もやりたいことがないから、誰かの実現したいことをサポートするような仕事がいいだろうと思ったのだ。0から1を生み出すのは苦手だけれど、1を10にするのは得意で、コンサルの仕事は楽しかった。

こんな自分でありたい、と強く思うようになったのは、20代も終わりに差し掛かってからだ。自分をしっかり持っていないと、ただ流されるまま仕事に時間を費やし、そのまま人生が終わってしまう。そのことに恐怖を覚えた時、やりたいことがうっすら見えてきた。

「食」という分野に携わって生きる。私の心を、最も揺り動かす領域。足を踏み入れただけで心臓が高鳴り、無限の広がりがあるそんな場所で、これからは生きる。

ある程度積み上げてきたものを捨てる覚悟を決め、未来と向き合ったことでようやく、理想の自分を描けるようになった。周りに流されず、自分の信念に基づき行動を決める。常に、その時やりたいことを追求する。蓄積してきたものにとらわれない。大切なものだけ携えて、軽やかに次の場所まで駆けていける自分でいたい。

先が見えない方が楽しいのだ、いつだって。

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