聞こえない右耳と生きてきた
物心がついたときから、右耳が聞こえない。
娘の片耳難聴に母が気づいたのは、幼い頃の私が祖母と電話をしているときだったそうだ。延々と私が喋り続けていることを不審に思った母が電話を変わったところ、祖母の声を聞き取れていなかったことがわかった。
耳鼻科での診断は「感音性難聴」。治せる見込みもないとのことで、今日までそのままにしている。毎年、健康診断の際には「右耳は聞こえないので」と言いながら、申し訳程度に音を鳴らしてもらう。ほんの少しだけ期待しながら耳を澄ませるが、聞こえた試しはない。
右耳が聞こえないことは、人にはほとんど言ってこなかった。特に、出会ったばかりの相手にはなるべく伝えないように気をつけている。片耳が聞こえないことを、必要以上に重く受け止められてしまうのを避けるためだ。幸い、自分から言わない限り気付かれることはない。
35歳にもなると、片耳難聴は自分にとって大した問題ではなくなった。そもそもこのぐらいの歳になると、ほとんどの人が何かしらの不調、不便さを抱えているものだ。周りと自分を比較して落ち込むことも、もうない。
10代、20代の頃は、思い悩む場面もあった。興味を持っていた職業の就業条件を満たせないと知ったとき。 高校入学後すぐの健康診断の日、できたてほやほやの友人に「障害者じゃん」と言われたとき。すれ違った人に呼び止められたことに気づかず、一緒にいた友人から「無視するとかひどいね」と笑われたとき。
まさに今、同じように悩んでいる子たちがいるかもしれない。彼ら彼女らにこの文章が届けば、と思って書いている。
そもそも、片耳が聞こえないとどのような不便があるのか。ピンと来ない方もいると思うので、私の経験を元に挙げてみる。
聞こえない方(私の場合は右)からの音が、聞き取りにくい
音がした方向がわからない
賑やかな場所で音を拾いにくい
人が右側にいるシチュエーションは恐怖だ。たとえば、誰かと二人で道を歩いているときや、飲食店や電車などの席に並んで座るとき。
歩行時はさりげなく右側に移動する術をこの35年で身につけられたと思うが(曲がり角でさっとインコースに入ったり、理由をつけて立ち止まって位置を変えたり……)、着席時は毎回ひやひやする。
最近は、友人と会うときには「右耳が聞こえないから、私の席は右端でよろしく!」などと伝えることにしているが(飲み会の間中、聞き取りに集中するのはかなりのストレスになる)、仕事では大っぴらに公表していないため、会議の席取りに失敗すると内容を聞き取りにくいこともある。ただ、会議室は大抵静かなので、首を少しひねって左耳を話者の方に向ければなんとかなることが多い。
美容院や病院などでは、座席の右側から話しかけられてよくわからなかった場合は、「はい」「ははは」などと適当に返答している。(よくない)
口の動きで「誰が何を喋っているのか」の理解を補完しているところがあるため、コロナ禍でマスク着用が基本だったときは複数人での会話が億劫だった。
「ぼーっとしてる」「わざと無視してる」と誤解されることもあるが、これはもうしょうがないと思っている。声をかけられたときに方向がわからずきょろきょろしてしまい、挙動不審なやつだと思われるのもしょうがない。誤解を解きたいなら片耳難聴のことを話すしかなく、それをしていない自分に全責任がある。
まあ、こういった「不便エピソード」はいくらでも出てくるものだ。同じような経験をしてきた人とお酒を片手に語り始めたら、盛り上がりすぎてあっという間に夜が明けてしまうのではないだろうか。
一方で、わずかながら得をすることもある。以前、飛行機の中で夫とひとつのイヤホンをわけあって映画を観た。私は左耳にイヤホンを挿すだけで、飛行機の騒音を一切気にせず視聴することができる。また、家で寝るときも、左耳を下にすれば無音の世界で眠れる。(目覚ましが聞こえなくなるというリスクもあるが。私は長年、激しく振動するタイプの目覚まし時計を使っていた)
ただ、両耳が聞こえるという状態を、一度でいいから体験してみたい気はする。サラウンドスピーカーで聴く音が一体どんなものなのか興味がある。
片耳難聴は、私の人生に少なからず影響を及ぼしてきたと思う。
ただし、それはネガティブな影響ではない。「やっぱり、詩織は右耳が聞こえないから……」なんて誰にも言わせない、と奮起する力の源であり続けてきた。
片耳難聴をあらゆることの言い訳にしたくなる気持ちに抗って、「私には何でもできる」「両耳が聞こえる人よりもできる」と小さい頃から自分に言い聞かせ続けた。結果、底抜けに負けず嫌いな性格になったが、それでよかったと思っている。
挑戦を重ねて自信がつけばつくほど、難聴は本当に本当に些末な事象にすぎなくなった。くよくよと悩むこともなくなった。
聞こえない右耳を持っているからこそ、今の私がいる。アンバランスでユニークな自分を、私は肯定している。この右耳は音を拾わないけれど、まるで心臓のように生命力をもたらす大切な部位だ。
もし、片耳難聴で悩んでいる子がいたら、「大丈夫。あと20年も経てば、きっと取るに足らないことになるから」と伝えたい。若い頃は、不便のない身体を持つ子たちに囲まれて、自分が異質な存在に思えるかもしれない。でも、そんな時期は本当に一瞬のことだ。
歳を取るにつれて、誰もが身体のどこかに不調をきたすようになる。自分は不便さと直面したタイミングが少し早かっただけだ、と思えれば、少し心が楽になるかもしれない。早いうちから手に入れた逆境をバネにして、全員追い抜いてやる、ぐらいの心持ちでいられたらきっといい。
それから、身近な人が片耳難聴だ、という方へ。人にもよるかもしれないが、私の場合は重く受け止めずに普通に接してもらえればそれで充分だ。ただ、どのような不便さを抱えているのかを知り、それが解消されるようにさりげなく気遣ってくれることほど嬉しいことはない。私は、必ず左を歩いてくれる夫にいつも感謝している。
ちょうど20年前、15歳のとき。当時運営していたブログに、聞こえない右耳について考えていたことを書き殴った。元来飽きっぽい性格なので、その1年後にはブログの更新を止めてしまい、長らく放置していた。
ふと、そのブログを読み返してみようと思ったのは、22歳のときだ。大学4年生になり就職も決まり、毎日飲み歩いて、相手も自分も傷つくようなつまらない恋愛ばかりしていた。自分の傷をネタにして笑いをとっているような毎日だった。
長年放置していたブログは、まだ消えずに残っていた。そして、右耳のことを書いた記事にはコメントが数件ついていた。ブログを更新していた頃にはなかったものだ。
5年ほど前に投稿されていたそれらを、どきどきしながら読んだ。共感や励ましの声が寄せられていて、また、「この記事が励みになった」という高校生からのコメントもあった。
片耳難聴が原因で看護士の職につけなかったという男性からの長いコメントは、次の言葉で締めくくられていた。
その一言を目にした途端、ぼろぼろと涙がこぼれた。
顔も知らない相手にそんな言葉をかけてくれるこの人は、なんて素敵なんだろう。それにひきかえ、私はまったく素敵な女性になれていない。毎日をくだらなく消費している。
今の自分が恥ずかしくて苦しくて、わんわん泣いた。明日から自分を変えよう、と決意した。数年の時を経て、大事な言葉が届いた日だった。
以来、ふとした瞬間にその一言を思い出す。 私は今、素敵な女性だろうか。 そう自分に問うと、すっと背筋が伸びるような気がする。
彼にこの言葉が届くことはないだろうけど、心からお礼を言いたい。私の人生を励ましてくれてありがとうございます、と。そして、自分や身近な人の片耳難聴に悩んでコメントをくれた全員が、幸せに過ごしていたらいいな、と思う。
15歳のときに、右耳のことを書いてよかった。それが回り回って、22歳の私を救うことになったから。そして何より、どこかの誰かを少しでも励ますことができたかもしれないから。
あれから20年。35歳になって書いているこの文章は、誰に届くだろうか。ひとりでも、これを読んで心が楽になる人がいてくれたら嬉しい。それは同時に、私が聞こえない右耳を持って生まれてきたことの意義にもなるだろう。
補記)
15歳のときに使っていたブログ(ヤプログ)はサービスが終了して見られなくなってしまったが、大学生のときに内容をEvernoteに保存していたため、右耳について書いた記事の全文が残っている。
傷つきながらも前を向こうとしている当時の自分の考えが赤裸々に綴られていて、貴重な記録であるように思えたので、修正なしで全文を掲載したい。一人称が「あたし」で、当時のハンドルネーム(!)の「鈴」として書いているなど、恥ずかしい部分も多いけれど。
15歳のときに書いた文章ということもあり、エピソードがあまりにも具体的で完全にオープンにすることがためらわれるため、冒頭部分を除いて有料にさせていただこうと思う。
あたしの右耳
2005年10月10日
突然書きたくなったこと。誰かに知ってもらいたいこと。
あたしの右耳について。
あたしの右耳は、生まれつき聞こえない。
ずっと片耳で周りの音を聞いてきたから、他の人とどう違うのか分からない。
一人でもいいから誰かがこの記事を読んでくれて、あたしの考えに対して何か感想を持ってくれたら嬉しい。
あたしは年がら年中、聞こえない耳のことを考えているわけじゃない。
ただ、人と並んで歩いたりする時は、なるべく人の右側に立つようにしている。
運悪く左に並んでしまうと会話が聞こえなくて焦る。
少し歩く速度を落として、こっそり後ろから右側に回ったり。
「あれ?・・・・・・あ、いた。いなくなったかと思った」って、言われる度に胸が苦しくなる。
席に座るときに左側になってしまったら、「窓際がいいっ!」とか、「通路側じゃないと出入りしにくい」とか訳の分からない理由をつけて席を替えてもらう。
この際、ワガママだと思われるぐらいどうってことない。
耳を指差して、「聞こえないの」なんて言うより絶対いい。
あたしがそれを言った時の、友達の気まずそうな顔を覚えてるから。
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