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唯川は1987年に目を覚ます【第6話】
ふたりの部屋
羽根の口からもれた第一声は、意外なものでした。
「あなたも、だれかの〈代替〉をしているの?」
「ぼくが、だれかの代替?」
「いま着ているの、高校の制服ですよね」
たしかにぼくは四つボタンの制服を着ています。深い緑色で胸にエンブレムがついていて、なかなかしゃれた服ですが、どこの高校なのは覚えてません。ただ、死んでからはずっとこれを着ているのです。
「もしかすると、あなたも、別の人の魂と入れ替わっているんですか?」
ようやく羽根の言っている意味が、のみこめました。この人は、ぼくのことを、〈自分の同類〉だと思い込んでいる。
つまり、自分と同じように、別の人間の体に入って〈代替〉をしているんだと。
羽根は、制服を着たぼくの姿を見て、ちょっぴりほっとした顔をしていますが、まるで方向がちがっています。
「そうじゃない」
「だったら、いまのあなたの姿は、あなた自身なんですか?」
そうだ、とぼくはうなずきます。
……ただし、きみとぼくとでは〈根本的に〉違うけど。
この体はいわば幻です。魂というエネルギー体の力がぼくを可視化している。そんな存在です(存在と呼べるならば、ですが)。
そんなことは知らない羽根の頭の中は、ますます疑問ではちきれそうになっています。
「すると、人間の体も過去に移動させることができるんですね。魂だけじゃなくて」
彼女は、目の前に突然現れた存在に向かって、鋭い質問の矢を放ちつづけます。
制服姿のぼくを見て、ひとまず安堵したものの、この人はなんとか理性で納得したいようです。
「あなたの姿は見えなかった。だけど、いまは見えている。どうしてそんなことができるの?」
……死んでいるからだよ。
そう言えばいいのに、言ってしまえばいいのに、急に言えなくなりました。
目の前にいる、輝く生命のかたまりのような女の子を見ていると、どうしても、どうしても言葉が出てきません。
正直にいうと、この人を怖がらせたくないからではなかった。
自分が、目の前で生きている女の子とは、まったく違う存在だと言いたくなかったから。
羽根は、言葉に詰まるぼくの表情を見て、困らせてしまったと解釈したようです。
――何か、聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。
「いいです。……言いたくないならいいんです。とにかくあなたは、お母さんを助けてくれる看護士さんの仲間で、2024年から送りこまれたんですね。わたしと同じように」
「うん」
羽根は、いったんぼくから視線をはずし、壁のカレンダーを見て、また戻しました。(小さな部屋ですから、そばに立っている人間が気になるのは当然です)
「あの、ほかの質問ならいい? 1987年って昭和ですよね?」
「うん、昭和62年だと思う」
62年といわれても、羽根はぴんと来てない顔つきです。
「楽天とか、ないんですよね?」
「残念だけど」
「インターネットも?」
ぼくは首をふりました。「ほとんど知られていないはず。AmazonもGoogleもないよ」
「やっぱり……」
たった37年前でも、ネットでつながることのできない世界は、遠い昔のように感じたのかもしれません。
「東京ディズニーランドなら、開園してるはずだよ」
古くさい時代に来てしまったと思われたくなくて、ぼくは言ったのです。
「詳しいんですか?」と羽根。
「ディズニーランド?」
「1987年のこと」
あいにくよくわからない、と曖昧に答えました。(知っているのか知らないのか、自分でもわからない)
「そう……わからないんですか。わたしと同じですね」
喋っているときの羽根は大きな茶色の瞳で、じっと見つめています。なんだか落ち着かないぼくに向かって、女の子はしゃべり続けます。
「あの……さっき、初めて部屋の外に出てみたんですけど、びっくりしませんでしたか? 走ってるクルマが、箱みたいにカクカクしてた」
「うん、ライトの形も変だったね」
「あ。ライトの形が全く変わってるって、わたしも気がつきましたよ」
「自動販売機もお店のカンバンもデザインが古かったし」
羽根はちょっと考えてから答えます。
「古いっていうよりか、未来のものとはちがっていると思いました」
「うん。きみの言うとおりだね。古いんじゃなくて、ちがってた。この部屋も未来の部屋とはずいぶんちがうね。たった37年前なのに」
「うん。未来とはちがう。とてもかわいい……」
羽根が自然に会話できるのには驚嘆します。こんな近い距離で、こんな美しい子を目の前にして、ぼくの口からはぎこちない言葉しか出てきません。
羽根は、立ったまま話を続けるのも変だと思ったようで、長い足を折り曲げ、部屋の中央にあるレトロな低いテーブルの横に座りました。
そろえた二つの膝が、テーブルのふちから綺麗な丸い丘のようにのぞいています。
ぼくが二つの丘から目をそらしたのと同時に、羽根は口をひらきました。
「あなたはさっき、わたしを一人にしないために来たと言ったけれど――本当は、監視するために来たんでしょう? わたしが逃げ出したり、誰かに秘密を漏らしたりしないように」
羽根はじっと見ています。ぼくの表情の変化を見逃さないように。
この人は賢い。うそをついたところで、すぐ見抜かれる。
だから素直に認めました。
羽根はぞくぞくするような、しっとりした声でしゃべります。
「ということは……これから、わたしの近くにいるっていうこと?」
「うん」
「ずっと?」
「きみが寝てるとき以外は、ずっと」
「……こんなこと、普通、ありえないです」
ぼくは同意します。
「知らない人と、いっしょに部屋にいるなんて」
ふたたび同意します。簡単に受け入れられるはずはない。常軌を逸しています。
どう言えばいいのか分からずに、そっと羽根の顔を見ました。
――でも嘆いている表情では、なかったんです。
それどころか、羽根は世界中がくらくらするような笑顔で言いました。
「わたしのせいで、あなたは巻き込まれたんですね」
「まきこまれた?」
思いがけない反応に、オウムになりました。
「ええ、あなたのほうが、大変な目にあってると思います。だって、なんにも関係ないのに過去の世界に送りこまれて、なんにも関係ない女の子の監視をしなくちゃいけない」
「きみのせいじゃないよ」
「あなたのせいでも、ないでしょう?」
……たしかにその通り。1987年に送りこまれたのは、ぼくのせいじゃありません。だからといって、自分が巻き込まれたんだとも言いたくないし。
「きみたち親子とは関係がなくて、なぜ自分が選ばれたのかもわからないけど、理由があったんだと思うよ」
「やっぱりわたし、あなたほうが大変な目にあってるんだと思います」
羽根に対して、ぼくはもう何も言えませんでした。
それから彼女は、とても優しい顔をして言ったのです。
「ごめんなさい。こんなことになって……それでもわたし、一人っきりじゃなくて良かったと思ってる……ごめんね。だって、多分わたしを知っている人は誰もいません。友だちだっていません。この世界でわたしを知っているのはたった一人、目の前にいる人だけ」
羽根は、ぼくの目をのぞきこんだままでした。
「……名前を教えてください」
「名前?」
「ええ。あなたの名前」
――生きている人から、名前をたずねられるなんて。初めてでした。
「ぼくは……塩野秋生」
「はじめまして。わたしの監視をするために来てくれた塩野さん」
……ふたりの間には、目に見えない線が引かれています。
いずれ、詳しく書かないといけませんが、ここでは簡単に説明します。
死者であるぼくは通常、生きている人の半径70センチ以内に近づくことはありません。
70センチには根拠があるんです。
何かのはずみで手を伸ばし、死者に触れようとしても、あと数センチのところで接触は避けられる。そんな距離にいなければいけません。
もしも唯川羽根が手を伸ばして、たまたまぼくに触れてしまったら……
生者と死者が触れあうと、予期せぬ恐ろしい事態が生じるというのが死者の間では定説でした。
つづく
★ふたりは、これからどうなる?
★17歳だった母親の部屋で発見した問題とは?