眼鏡に恋して12年
2018年も残すところ、あと3ヶ月となった。
今日10月1日は、漢数字で一◯◯一となることから「眼鏡の日」らしい。
私は、眼鏡を使い始めて12年になる。
私にとって眼鏡は、片時も側を離れない恋人のようなもの。お風呂と寝る時以外はどんな時も常に一緒だ。
「眼鏡は体の一部」という感覚は、常に眼鏡を掛けている人にしか分からないと思うが、実際、"つけている"ということに対する違和感はとうの昔になくなっているので、眼鏡を掛けたまま顔を洗ったりしてしまうことが時々ある。
眼鏡がないと生活がままならなくなる…というのはもちろんのことだが、それを抜きにしても眼鏡が好きだ。
コンタクトより断然眼鏡派。無くてはならない存在なのだ。
思えば、裸眼から眼鏡に変えた時は、それはそれはクラスメイトにちやほやされた。
「ちょっと掛けさせて〜」「度、強ーい!」「(指を出しながら)眼鏡外してこれ何本に見える?」とか散々やられた。
しかし、中学生や高校生になると、眼鏡同盟だった人たちが続々とコンタクトデビューをし始める。
私も、周りから「眼鏡やめてイメチェンしたら?」と言われたが、頑なに拒否し続けた。
とはいえ、一度もコンタクトに触らずに拒否していたわけではない。
小学生の時にスポーツをやっていたため、お医者さんの勧めでつけてみたことはあった。
しかし、すぐに充血で真っ赤になり、目の中にできものが出来てパンパンに腫れてしまったのだ。
どうやら、体質的にコンタクトが合わないらしい。
その時のことは未だにトラウマになっている。
たしかに眼鏡のせいで自分とかけ離れたイメージをつけられるようなこともあったが、それでも眼鏡が好きだった。
理由の一つとして、本来は大して印象に残らない地味な顔でも「眼鏡の人」でなんとなく覚えてもらえる。これは結構大きい。
それに、ファッションアイテムとして機能してくれるのも良いところ。一つアクセサリーをつけているようなものだ。
学校や会社など、ネックレスやピアスが禁止されている所は多いが、当然眼鏡は禁止されない。
さらに、カラコンを入れたりアイラインを濃く引いたりなんかしなくても目を強調してくれる。利点づくしだ。
そうやって頑なに眼鏡を掛け続けてきたからこそ、今やトレードマークにすらなっている。
そして私は、自分も眼鏡を掛けていながら、眼鏡フェチでもある。
仲間という意識ではなく、異性が掛けていると単純に色気を感じてしまうのだ。
漫画などでよくあるのが「眼鏡を外すとイケメン」という展開で、眼鏡にフェティシズムを感じる人の中には、端からそれを期待して好きになる人もいると聞いたことがある。
しかし、「これが一番自分に似合う」と思って選んだ眼鏡も込みで、その人の顔なのだと言うことを声を大にして言いたい。
ただもちろん、眼鏡を掛けてさえいれば何でもいいというわけではない。好きな人が眼鏡を掛けるからこそいいのだ。
そして、今日は「ネクタイの日」であり「コーヒーの日」でもあるらしい。
眼鏡を掛けてネクタイをキュッと締めてコーヒーを飲んでいる…そんな姿が似合う素敵な方、お待ちしております。