映画「沈黙─サイレンス─」を観た

原作:遠藤周作、監督:マーティン・スコセッシの映画「沈黙─サイレンス─」を観た。

ありきたりだけれど、もう一度原作を読まなければ、という気持ち。

人間について、信仰について、歴史的事実について、この作品の主題について、ここで語ることは望ましくなさそうなのでやめておこう。

自分の身の回りの色々なことに投影しながら観てしまった。

もしかしたら私にとって興味深く、また印象的なのは、内容よりもこの映画が完成したことの方かもしれない。

歴史的事実として当時の日本においてのキリスト教のことを知っている日本人が読む遠藤周作の「沈黙」よりも、そうでない人が読む方が、背景等も含めて主題を理解することは難しいだろう。

企画されてから完成までに15年を要したそうだが、調査や作品の読み込み、脚本の作り込みや、準備と実行にかかったリソースとエネルギーは、たぶん私の頭では把握しきれないけれど、ちょっとでも想像してみただけで、感服するしかない。日本の作品にそこまで惚れ込んでくれて、本当に嬉しいなと思う。

あー、今思い返すと、映像作品として美しかったところをあまり味わえずに観てしまったから惜しいな。

途中、あれ?これ日本の監督の作品かな?って思ってしまうシーンがいくつかあって、片桐はいりさんをああいう風に使える人が日本人以外にもいるってすごいと思って感動した。

マーティン・スコセッシはきっとずっと遠藤周作のことを考えていたんだろうなあ。遠藤周作と語りあいたかったんだろうなあ。読書会みたいな、と思って思い出した、「沈黙」について作家伊東潤さんと語り合う読書会、贅沢ですね。

しかしとりあえず今は、この作品のアダム・ドライバーは役柄上仕方がないけど可愛くなかったので、GIRLSを観て心を落ち着けたい気持ちです。(正しくない鑑賞後の感想)




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