【自己紹介】私がドイツへ移住した理由・バイオリンに魅せられた人生
はじめまして!田中詩苑(たなか・しおん)です。
今回は、初めての記事ということで、自己紹介をしたいと思います。
1. 習い事に救われた子供時代
私は、1988年11月17日生まれ、O型、千葉県千葉市出身です。
子供の頃は、
バイオリン
ピアノ
ソルフェージュ(聴音•楽譜を読む基礎訓練)
スポーツ教室
スイミング
英語
など、習い事が6つぐらいあり忙しかった記憶があります。
コンサートが生活の一部
そんな中、よく母親に音楽ホールのコンサートに連れて行ってもらっていました。
当時は、小さい子供をコンサートへ連れて行くのは、騒いだり迷惑をかけたりするので、あまり良い顔をされなかった時代でしたが、
私は大人しくずっと座って聴いている子供だったので、受け入れてもらえたのだと思います。
自分の居場所
小学生の頃は、音楽以外にも、スーパーファミコンなどゲームも楽しんでいましたが、学校自体はあまり楽しくありませんでした。
ですが、習い事では友達も多くて、自分の居場所があり、習い事のおかげで小学校の生活を乗り切れたと思います。
バイオリンコンサートの魅力
私は10歳のときにピアノをやめて、バイオリンの道へ進むことを選びました。
というのも、ピアノのコンサートに行ったとき、以前聴いたことがある曲だとその通りに聴こえるのに対し、バイオリンは、全然違う曲のように聴こえることが多い印象を受けました。
バイオリンは、弓、弦、松脂、弓に使う毛、弾く人の曲への解釈や流派、練習してきた背景など、様々な要因があり、表現力の幅広さを小さい子供ながらに感じたことが理由です。
2. ドイツを目指した理由
ゲザ先生との出会い
毎年夏休みに、北海道訓子府町へ祖父母に会いに行っていたのですが、12歳のとき、女満別で開催された「国際オホーツク音楽セミナー」というイベントに参加しました。
そこで、ハンガリー人のキャパス・ゲザさんという世界的に活躍するバイオリン講師に出会い、そのときからゲザ先生に習いたいという希望を持つようになりました。
しかし、12歳でハンガリーへ移住するには幼すぎるという親の判断で、まずは日本で修行を積むことになります。
良い先生とは?
そのセミナーで出会った方から、何人か良い先生を紹介していただきました。
新しく習った先生たちは、私の上手でない演奏に対しても、突き放すようなことはせず、先が見えるようなアドバイスをしてくれて、
それを通して、良い先生とはどんな人なのか、生徒そのものをしっかり見る部分も大事なんだ、と考えさせられました。
拒食症でガリガリに
高校生の頃、将来私は日本の音大に2年間通って、その後、ドイツの音大へ編入しようと考えていました。
というのも、ゲザ先生が当時、ドイツのアーヘンという街の音大で客員教授としてレッスンをされていたからです。
しかし、高校2〜3年生の頃、私は心の病にかかり、拒食症でガリガリになってしまいました。
不幸が重なった音大の入試
音大の入試を前に、病気の状態で練習していたので準備もあまり出来ず、試験の当日、演奏中に弦が切れてしまったこともあり、日本の音大に入ることはできませんでした。
今後どうしようか悩んでいたときに、ゲザ先生にメールを書いたら、「自分が教えているアーヘンの音大でも入試があるから、こっちに来てレッスンを受け、ドイツの音大の入試を受けてみては?」という返事をもらいました。
ということで、良くも悪くも18歳のときにドイツへ渡ることになったのです。
3. ドイツでの不安定な生活
ついにドイツの音大に合格
ドイツへ来てから2年間、ドイツ国内のほぼ全ての音大に申し込み、入試を受けまくりました。
そして、2009年9月、ついにハンブルクの音大に合格することができました。
超多忙な音楽教育学部
ドイツの音大の学部には、演奏、音楽教育、学校教育の3種類があり、学部についてはあまり考えていませんでしたが、たまたま私が入った学部は音楽教育でした。
音楽教育学部とは、自分が専攻する楽器(私の場合はバイオリン)を専門的に教えられる先生を育成する学部のことで、演奏学部の生徒が取る科目に加えて、
バイオリン理論、バイオリン史、一般音楽教育、指揮法、なども学ぶ必要がありました。
そのため、ドイツ語ができないと進級できないので、語学学校にも通い、2015年7月、無事に卒業することができました。
2年制仕事ビザを更新し続ける
ドイツでは、個人経営(私立)の音楽学校がほとんどなのですが、3つ以上の学校と契約すると、2年間の「仕事ビザ」がもらえます。
音大卒業後は、この2年制仕事ビザを取得し、更新し続けることで、引き続きドイツに滞在することができるようになりました。
ドイツと日本で並行して活動
この2年制仕事ビザでドイツ滞在中に、こだわってやっていたことがあります。
ドイツの音楽学校で講師として働くなか、春・夏・秋・冬休みに日本へ一時帰国し、自分の教室を開き、レッスンを行ってきました。
なぜかというと、私が勉強していた音楽教育学部は、日本では見たことがない学部で、
という日本で経験した課題を解決すべく、ドイツで学んできたことを日本で伝えていきたかったからです。
4. ハンブルク公立音楽学校に就職
不安定なビザの状況で、30歳の節目に「拠点を日本にするのかドイツにするのか、もういい加減決めなさい」とすごく言われた時期があり、
今持っているビザが2020年2月までだから、半年ぐらい前に帰国しようと考えていました。
でも、ビザの滞在期間が切れた後に、さらに3ヶ月間「帰国準備ビザ」がもらえるということを知り、それからでも遅くないと思い、帰国時期を半年延ばしました。
思いがけない1本の電話
そんな中、ある日突然、ハンブルク公立音楽学校から「非常勤講師として働く気はありますか?」という電話がありました。
最初は、なぜ私にそんなことを聞くのだろう?と思っていましたが、4〜5年前に、家から近かったこともあり求人に応募していたことを思い出しました。
非常勤だったとしても、公立の音楽学校で働ける機会などほとんど無いので、キャリアの一つとして働くことに決めました。
ついに永住ビザに切り替え
その後、常勤の話があり、6ヶ月の試用期間を経て、ついに常勤の講師として働くことになりました。
さらに、今までの個人経営の音楽学校とは違い、今度は公立の学校なので、2年制仕事ビザから、永住ビザに切り替えることもできました。
半年帰国時期を延ばしただけで、4〜5年前に応募した学校から連絡があり、ついには永住ビザがもらえるまでに至り、人生何があるか分からないですね。
常に成長し続けるという心構え
現在私が働いているハンブルク公立音楽学校は、月〜金、週25時間のレッスンをしないといけないという勤務形態で、さらに年間30時間の音楽に関する研修を義務付けられていて、毎日忙しい生活を送っています。
ですが、常に勉強を重ねて成長し、生徒たちにより良い指導ができるように心掛けている学校なので、私もまだ勤務して2年半ぐらいしか経っていませんが、これからも成長し続けていきたいと思っています。
次回からは、ドイツでの生活に関することや、バイオリンのこと、現在の職場のことなどを深掘りして書いていきたいと思います。
今後、書いてほしい記事のリクエストや、ご質問などありましたら、コメント欄に記入していただけると嬉しいです。
最後までご覧いただきありがとうございました😊
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