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トリカブト単独公演「白羽蝶々」から「痴愚刃愚」に向けて

2024年8月26日。
自分のヴィジュアル系の第一歩に名前をつけるなら、始動主催を行ったあの日より、僕はこの日を選ぶかもしれない。
【トリカブト】というバンドが始動開始してから約四ヶ月、自分の二十年という歳月の中ではじめて踏み出した「単独公演」という記念すべきイベントは、きわめて緩やかなスタートを切った。

自分にとって“ヴィジュアル系”という存在はどれをとっても他とは替えがたい存在で、幼稚園の頃にはもう「ヴィジュアル系のバンドマンになる」という気持ちは芽生えていた。小さな頃から繰り返し何度も何度も見た、モニターのなかで躍動するギタリスト、ベーシストとドラマー、そしてボーカル。自分もいつかは、彼らのようにオーディエンスを沸かせるようなバンドを組みたいとずっと思っていた。小学校一年生の頃に「MERRY」のネロさんに憧れドラムを始めた。動画はほとんど残ってないから当時の自分の技量は分からない。でも、小学二年生のときに初めてドラムで出たライブの時は曖昧でもよく覚えている。本番前の緊張はなかった。フロアのオーディエンスが自分を見てどう思ってくれたかは分からない。それでも自分にとっては幸せな日になった。それだけは今でもはっきりしている。

小学校四年生の時に上京してから自分と波長の合うドラムの講師さんがおらず、なんとなくドラムを辞めてしまいそこからは楽器に触れず生きていた。ただ音楽が好きなのはずっと変わらずに、小学校高学年の当時はまだ世間に浸透していなかった音楽サービスのサブスクリプションに毎月のお小遣いを費やし、毎日新たな音楽を探求して、辛うじて音楽とは付かず離れずの日々を送っていた。

進学の関係で地元・広島に戻ることになり、本当に音楽は聴くだけの存在となっていたそんな時、高校一年生のときに自分の音楽人生を大きく揺るがせるニュースがあった。MERRYのギタリスト、健一さんの脱退だ。あの日の衝撃は本当にいつまでも忘れない。
いまでも、どこかで1回だけでもいい、健一さんがMERRYのギターを弾いてくれないだろうか、と思っているくらいだ。
その時から「なにかしなければならない、なにか始めなければならない」と日々に焦燥感を感じ始めた。

それから高校一年生の終わり頃、はじめてギターを買った。ギターなら家でいつでもいつまでも弾けると思ったからだ。でも内心は、幼少期にドラムより前にギターに先に興味があったからかもしれない。
十年以上の時を経て、はじめてちゃんと弾こうと決めたギターは想像していた何倍も何十倍も難しかった。
プロのギタリストはこんなものをあんな飄々とした表情で弾いているのか、と何度も戦慄した。
ギターを来る日も来る日も練習するうちに、本当にバンドが組みたいと思った。本当に音楽をやりたいと思った。それから高校二年生の夏。ギター1本と荷物だけを持ち、地元を抜け出して東京に住む兄弟の家へ転がり込んだ。当時は転校の関係で学校に行っておらず、毎日家で独りきりギターを爆音で鳴らす毎日だった。
それから月日がしばらく経ち、高校生も終わりを告げようとする頃、はじめて“ヴィジュアル系”のギターでライブに出るチャンスを貰った。自分にとっては願ってもいない機会だった。はじめてちゃんと弾くヴィジュアル系の曲は、いまとなっては簡単な曲でも本当に難しく思ったし、当時は本当に悩みに悩んだ。元々落ち込みやすい性格が、追いかけ続けた“音楽”という存在によりさらに悪化した時期だった。ここに来るまで何度も「ギターは向いてないんじゃないか、音楽は向いてないんじゃないか」と何度も葛藤していた。毎日ギターに触る。毎日ライブの映像を見る。これらをしていても上手くならないギター。
自分が憧れ続けた存在に殺されかけている。
夜が明けても、また朝が来ても。
毎日そう思っていた。

そして初めてのギターを持って立つライブの日。
あんまりこの日のことは覚えてない。でも動画を見返すと、弾くことに一生懸命で手元しか観てないのがなんだか初々しく感じる。
緊張したし、手元しか見てないわりには間違えたし、それでもドラムで初めてステージに立った日のように、すごく幸せな気持ちになった。

そして、トリカブトのメンバーとなって早4ヶ月。
御幸さんに声をかけてもらったのは昨年の10月だったのはよく覚えている。電話で何度も「自分でいいんですか」と繰り返し聞いたにもかかわらず、御幸さんは「技術も知名度も気にしなくていい」と言ってくれた。はじめて「トリカブト(御幸さんのソロプジェクト・行方不明)」の曲を合わせるスタジオの日に、メンバーとようやく対面した。みんな自分よりずっと年上でちゃんと経歴もあって、演奏技術もある。尚更この日は「本当に自分でいいのか」という不安な気持ちが強くなったのを覚えている。というか、始動主催が終わっても、ライブを重ねても、それはわだかまりのように日に日に濃くなっていった。
自分じゃなくてもっと上手いギタリストが改めて入った方がいいんじゃないのか、もっとパフォーマンスができるギタリストのほうがいいんじゃないのか。
何日も何日も考え続けて、本当に自分が嫌になる時もあった。プレッシャーに殺されそうな毎日だった。

あるライブのあとに御幸さんと話しているとき、本当に自分で良いのか、と尋ねたことがあった。
何度も質問しようとして、でも帰ってくる答えが怖くて聞けなかったことだ。それに対して御幸さんは笑って「いや、自分はむしろ詩音くんじゃないとって思ってる」「トリカブトに入ってくれてこっちがありがとうって思ってるよ」と言ってくれた。平気な顔をしていたが、本気でこの時に泣きそうになった。まるで心のつっかえが取れた瞬間だった。自分という存在に価値を見出してくれる大人がいる。それがどんなに幸福なことか、どんなに貴重なことか。
ベースの美弥くんはメンバーの中で、バンドの先輩として一番背中を見せてくれている。ライブの後や、スタジオの後、よく僕にアドバイスをくれて、「八坂詩音」という存在の形成に大きく関わっていると思う。
それから自分のなかでプレッシャーが自信に繋がるようになった。パフォーマンスの幅をライブするごとに増やしていった。もっと自分を知ってもらえるように、トリカブトを知ってもらえるようにSNSを活発に動かしていった。それが今でも正解なのかはわからない。何が正しいかなんてのは、多分あとから着いてくる、なんてことを今でも思っている。
先輩のライブをみて、同じ土俵の対バン相手のライブをみて、曲を書いて、周期的なサイクルのなかで自分という存在をどれだけ成長させられるかがこれからの鍵だと思う。
自分の背中を押してくれる方々、なんにも言わないけど見守ってくれる方々、ただただ応援してくれるみんなのおかげで、僕は今もこうしてトリカブトのギタリストとしてステージに立ち、プライドをかけてライブハウスという戦場で今日も生きている。

いよいよ二回目の単独公演が差し迫っているなか、不安な気持ちもあるし、正直楽しいことばかりではないし、辛いことをたくさん考えてしまって全部投げ出してしまいたくなったけれど、こうしてこのnoteを書いている今はすごく落ち着いてるし、逆に三日後はめちゃくちゃにフロア全体を汗だくにしてやるって気持ちに火がついてきた。これを読んでくれてる人がどれだけいるか分からない。もしかしたら誰も読んでいないかもしれないし、3人かもしれないし10人かもしれない。それでも、僕の言葉が、結果が誰かの目に留まったなら、それだけで僕はもう充分です。

それではみなさん、12月23日 東高円寺二万電圧「痴愚刃愚」にてお会いしましょう。あなたを待っています。

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