【進路】新卒1年目女、ここまでの23年を振り返る①

こんにちは。東京都内で働く社会人新卒1年目女です。
この春晴れて憧れの丸の内OL(とはいえ世間一般のOLが事務職であることを意味するとなるとOLと名乗るのは少々お門違いな気もするが響きが好きなのでそのまま名乗り続ける)になれました。
新卒同期は全体で500人強と、大手企業ならではの規模感の大きさに圧倒されるとともに、この中でトップレベルになるのはなかなか難しいものだろうな…となんとなく予感していました。
この会社で何をしたいのか明確にわからないまま入社し、配属部署でここまでせかせかと働いてきたわけですが、なんとなく自分のやりたい仕事やなりたい姿への解像度が上がってきた感覚があります。
と同時に、学生時代までは偏差値や受験という定量的な目標があればこそ頑張れていた自分が、いよいよより難しい将来の選択に迫られていることに気づき他人事のように感慨深くもなりました。
そこで、この場を借りて自分が今までどのような場面でどのような動機を持ち、どのようなストーリーで目標を達成してきたのかを隙あらば自分語り形式で振り返りたいと思います。

2000年 兵庫県某市にて、この世に爆誕。
2005年 両親離婚、母親が親権所持。母親の地元に引っ越す。
ここまでは意志もクソもなく、流されるままに生きていった。
親が離婚する前も後も幼稚園や保育園を転々としたおかげで、今日のコミュニケーション能力を身に着けることができたと自負。
2007年~2009年 公立小学校①入学。目立ちたがりの性格を自覚し始める。
委員長になりたかったのに、その座を男子に譲り副委員長に甘んじた小3の3学期、未だに切ない思い出として記憶に残っている。
2010年~2012年 公立小学校②入学。家の引っ越しで学区を出ることにより強制転校。最初は理不尽だなとぷんぷんしていたが、案の定転校初日で友達をつくることに成功したのでそうした感情はすぐに消えた。
また、ほどなくして仲良くなったクラスメイトの男子に1年後初恋をする。この恋は結果的に実らず、中学3年までひきずることに。恋愛全開モードを行動で示すことにどうしても抵抗があり、今日まで恋愛不適合者を貫いている。その話はまた次回。
2014年1月26日 今となっては卒業した東京都内の某国立大学について初めてちゃんと知ったのがこの日だったから、未だに日にちレベルで覚えている。その年の夏に嵐のライブ関係で東京に旅行へ行き、漠然と「あ~東京って楽しいな~ここで暮らすと楽しそう~」という感想を持っていたが、大学なんて遠い話すぎて考えたこともなかった。高校教諭の母親から、「あんたが東京の国立で目指せる大学やったらこのラインとかちゃう?」と妥協案で示されたのがまさに、Ochanomizu Universityである。
文教育学部言語文化学科、偏差値66。うん、目指せる。ていうか、女子校を経験したことないから行ってみたい。東京都内のしかも文京区って、一橋大や東京外大よりもずっと都心やん…最高やんか。私のためにあるような大学、決まり。
ということで、中学1年生の冬にして第一志望の大学が決まった。ここから大学受験の2018年12月(公募推薦)まで一度も第一志望から揺らぐことはなく、卒業した今でもお茶の水女子大学を敬愛しているぐらいである。
その前に、地域で一番の進学校に行きなさいと、母親からマジレス。ごもっともである。学区トップのH高校に行くことを第一目標とし、そこに入学してからお茶大を目指しなさい、と。ここから私は中学での順位を徐々に上げていった。
元々公文で算数国語英語に親しみがあったため、自分はそこそこ頭が良いと思っていた。が、中学1~2年の定期考査とは深さより広さの優位性が重視されるため、理科や数学、副教科の勉強を苦手とする私の順位は良くて13位、悪くて51位(ショックすぎてその夜喉にご飯が通らなかった。食べたけど。)だった。母親は上沼恵美子信者(無論私もである)の関西女なので、悪い順位や点数を取ろうもんなら本気の播州弁でブチギレる。余談だが、上京してからできた友人と親の話をして初めて、うちの母親がいかにスパルタでツッコミが激しいのかがわかった。
2015年1月 中学2年の冬、初めて1桁台の順位(滑り込みの9位)を取った。360人中9位である。先述した通り、中学の勉強とは深さより広さが重視されるがゆえ、差がつきにくいし少しでもミスを重ねようものならガクッと順位は落ちていく。そんな不利な状況にて、やっと1桁に乗れた。目標の高校へも十分射程圏内だ。実はこの定期考査にて、「1桁に乗れたら東京旅行」という約束を母親と交わしていた。見事に達成し、春の東京旅行が決定し、嬉しすぎて天にも召される気分だった。
そう、当時の目標に対し、「東京に行きたい→東京に行くには国立大学に行かなければならない→お茶大に行きたい」という動機の変遷があった。よって、「東京に行きたい」という源泉に立ち返れる絶好の機会を逃すものかという動機で最終的に落ち着いたのである。
2015年夏~冬 第一志望のH高校合格に向けて、市内で一番の合格実績を誇るEという塾にて徹底的に受験対策の日々を送る。市内の別中学で同じ高校を目指す仲間にここで出会い、そのうちの一人R(女)とは社会人になった今でも仲の良い友人である。当時塾内にて数学は若干見劣りするものの、英語には絶対的な自信があり、クラスで一番の成績を取ろうと常に意識して取り組んでいた覚えがある。この目標に対する動機とは、自分への絶対的な自信もしくはプライドである。
2016年3月 第一志望のH高校に見事合格。これでやっとお茶の水女子大学を第一志望に再スタートダッシュを切れると思い、とても喜んだのを今でも覚えている。とはいえ、なんだかんだH高校に対する憧れも受験勉強を進めていくにつれ増大していき、お茶大抜きに合格して嬉しいと素直に思えた。
2016年7月 高校に入学して初めての進路相談にて、「お茶の水女子大学に行きたいです」と意思表明。先生は「へえ、そうなんだね~」ぐらいのうっすい反応だった覚えがある。兵庫県の公立進学校で唱えられる正義とは、国公立大学への進学であり、もっと言えば京大阪大神大に現役で合格し、進路実績に貢献することであった。東京の国立大学と言えども知名度が関西では著しく低く、そもそも国立大学であると認識されてすらいないことがお茶大のデメリットとも言える。「阪大や神大とかは考えないの~?」とナチュラルに志望校変更を提案されることもあったが、絶対にお茶大に行ってキラキラ女子大生になり東京で過ごすんだという強い意志の元、志望校を曲げないでいた。
2017年4月 生徒会メンバーに選出される。サッカー部のマネジャーで既に多忙ではあったが、高校入学当初より最短での大学合格を目指していた自分にとって、公募推薦時のネタになると思い承諾。結果として部活と生徒会の両立に苦しみつつも役目をこなし切り、内申点及び定性評価において大きなアドバンテージとなった。
2018年6月 H高校一番の目玉、体育祭にて緑団(ほかに青団、赤団、黄団があり、学年クラス関係なく団対抗の体育祭形式である)の幹部として活躍()。会計という比較的楽なポジションだったため、二徹するぐらい幹部仕事に追われているメンバーをサポートしつつ団全体を盛り上げようと頑張った。H高校に憧れていた理由の一つが、団幹部の圧倒的なキラキラ感であったため、幹部として優勝に導くという目標が果たされた瞬間本気で昇天するところであった。H高校で最も成し遂げたかったことの一つを遂行できたのであった。
2018年12月 学内順位は文系120人中5位~8位で安定しており、上位レベルであると自負していた。この成績なら最悪公募推薦は落ちても一般で十分狙える。ということでチャレンジ精神でお茶大の公募推薦を受験した。一次選考の書類を通過し、二次選考で大学にて小論文を書き面接を受けた。正直、手ごたえはめちゃくちゃあった。なぜなら、不安だらけだった小論文にて、過去に書いたことがあるものと内容が酷似のテーマが出題されたからである。予備校の先生に添削してもらった内容を全て覚えていたので、それをただリアレンジして書くだけであった。面接も、言いたいことと聞いてくれることがマッチしており、コミュニケーション面での問題もなかった。
2018年12月13日(木)12時 ちょうど12時になった時にスマホのブーッというバイブ音を感じ、すべてを悟った。この通知音は絶対に父親からで、合格したからすぐに連絡してきたのだと。ラインを見ると、「おめでとうーーーー!!!!!」の文字が。いや、ネタバレくろうてもうたやないかい!!!と心の中でツッコミを入れ、友人複数名とお茶大HPを恐る恐る確認。受験番号、あった。友人と抱き合い、歓喜する。今思えば、クラスメイトのほとんどがセンター1カ月前により殺伐としている空気の中で、一足お先に盛り上がってしまい大変申し訳なかったなと思いつつ、「まあ一般の勉強と並行して取り組めた私の勝ちだよな」と開き直り、職員室でも爆喜びの舞をした。お世話になった英語教諭のM先生(女性)とは熱いハグを交わし、マイペースな吹奏楽部顧問で担任のK先生とはがっちり握手をした。先にも述べたようにH高校は国公立現役合格第一主義のため、この時期の大学合格の一報はかなり珍しかった。この時間でだけ、職員室でヒーローになれた気分で、すがすがしい気持ちでいっぱいだった。

大学合格の話まで言及できたところで、今回はここにて筆を止めたいと思います。次は大学生になってからのモチベーションや目標についての話。案の定、東京で遊びすぎてしまい「勉強とは?」なちゃらんぽらんな大学生活を送ることになります…。コロナ禍に翻弄されつつも、どのような転機を経てかつてのようなキラキラ前向きマインドを取り戻せたのか。筆を執りながら振り返り、丁寧に思い出していく所存です。

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