泥臭く夢を追いかけたい
今度、教育実習に行く。
終わった後に、このnoteを見返したいと思いながら書く。
今日はちょうど2週間前。2週間後の月曜日からは、大学ではなく中学校に、登校ではなく出勤する。
この環境の中、自分は実習に行ける。感謝すべきこと。
でも、かなり怖い。
普段触れあうことのない、学校で過ごしている中学生。
なにを考えているのか分からない、そしてまだ一度も会ったことのない彼らに向けてこの1ヶ月必死に授業を作ってきた。
普段読まないようなハードカバーの本や新書を30冊くらい読んだ。
全部英語で書いてあるサイトをどうにか解読しながら理解して、データも探してきた。
教科書も資料集も学習指導要領も、何回も読んだ。
今までの大学生活で一番力を入れてきた自分の指導案は、きっと先生に見せたらあっさり白紙にされ、変更を余儀なくされるだろう。
中学生の前で授業をしたら、つまらなくて寝てしまう生徒もいるだろう。
何かあっても良いように4コしか準備しなくていいはずの指導案は、いくつかのパターンに分け、12コある。
もしかしたら使うことになるかもしれないと言いながら、使うのか分からないグラフとデータもたくさん保存してある。
本と論文を読んでメモをしたwordには、2万字を超えた。
中学生を目の前にして授業をしたことがないと、何を準備すればいいのか、何が面白いのか、何に興味があるのかも分からない。
もしも、もうシリコンバレーのことを熟知していたらどうしよう、農業が適地適作で大規模に行われていることを知っていたらどうしよう。
これから、自分の実習が終わるまでに、突然リーマンショックみたいなことが起きたら、新しい技術が突然出てきたら、、、、
必要のない心配さえ日々よぎる。
子どもは好きだ。ボランティアでも子どもに関わることをしてきた。
初めて会う子どもとも、なんとなく会話を続けてもらえるように話せるようにはなった。
ただ、今回は中学生は友達ではない、自分は教員。
どうやって関わればいいかなんて誰も教えてくれない。
自分で見つけるもの。
生徒に十人十色あるように、教師にも十人十色ある。
関わり方も、話し方も、授業のやり方も違う。
間違えはあっても、正解はない。
自分がしてきた経験、自分そのものを出していくことしかできない。
自分が中学生だったとき、高校生だったとき、こんな先生になりたいと思ったことはあった。
でも、きっとそれは、隣の芝生が青いように、自分にできなさそうだから憧れただけだった。
素直に生きている中学生の前で、わかりやすい性格の自分が理想像を演じ続けることなんてできない。
だからこそ、今の自分で素直にぶつかっていこうと決めた。
授業しながら遊んでるとか思われるかもしれない。
でも、いつも何かと楽しんでしまう自分は、授業でさえ楽しいと思ってしまうだろう。
優しい言葉を優しくかけるなんてできない。
きっと悩んでる中学生をみたら、悩んでるのもいいじゃんもっと考えようよと話しかけるだろう。
でも、これがきっと自分の性格であり、自分のやり方だ。
他の人に流されて途中で路線変更するくらいなら、これで突っ走る。
自分が本当に心から魂で伝えられることは、自分が経験してきたこと、考えてきたことからしか出せない、と思っている。
何かを読んで、観て、聴いたことはその言葉に奥行きと立体感が欠けている。
そんな先生が苦手だった。
歴史の授業をあたかもその場で見たように表現しようとすること、行ったことのない国を字面で勉強してきたはずなのに行ったことあるかのように話すこと。
自分が生徒だったとき、そんな授業は苦手だった。
行ったことがないなら見たことがないなら素直にそう言って、ただ、今の自分が学んだこととか学べること、資料や史料から見つけ出せるものを教えて欲しかった。
だから、社会の授業はそんなに好きじゃなかった。
社会の教科書を読んで資料集を眺めていても注意されないから、先生が合間合間に入れてくる雑談が面白いから授業の時間は好きだった。
だからこそ、大学生の自分は色んなところにでかけ、いろいろな人に出会ってきた。
今回授業をするアメリカには行ったことがないから、その場所がどんな空気だったのか、どんな雰囲気なのが、それを伝えることはできない。
でも、自分が探してきた資料と読んできた本からは、その国がどう作られて、どうやって今の国になってきたのか、どんな人々がどんな考えで生きているのかは読み取れる。
嘘はつかない。
アメリカの人は、みんな賑やかでパーティーしているんだよとか、自由な気風なんだよとは言えない。
そんな光景は知らないから。
ただし、本当に教師になるまでには、絶対に行く。
そしたら、その話もできる。
そんなに経験に固執しなくてもいいかもしれない、でも自分がやりたい授業は先生が頭の中に立体的に想像しながらそれを言葉に乗せて伝えること。
だから、まだまだたくさん旅にでるし、新聞も読むし、史料にもたくさん触れていく。
教師という職業に魅了され、ずっとそれを追いかけてきた人生だからこそ、このまま泥臭く追い求めたい。
この世の中に広い世界が広がっていることを、伝えたい。
すべてを知っている完璧な人なんていないこと、色んな環境で生きている人がいること、たくさんの人がいるから自分が生きていられること。
大きすぎる夢かもしれないけど、こんなことを伝えたいといつも思う。
教育実習っていう時間では伝えられないかもしれない。
でも、その伝え方と、自分がこれからやるべきことは見えてくるはずだ。
3週間という時間を貪欲に一分一秒も自分の学びにできるような時間にしたい。
おわり。