siomemo1124 「経済人類学への招待-ヒトはどう生きてきたか」
30年ほど前、たしか「名前のない新聞」という名のミニコミで、山内昶さんのインタビュー記事を読み、興味を持った『経済人類学への招待』(1994)。未開社会のモデルから定常と共生の原理を学び、現代の経済システムが直面する危機をのりこえる道を探る本です。そこに書かれていた太平洋のとある島のことが忘れられず、30年ぶりに再読です。たぶんあの頃と同じ気持ち、ソーシャルデザイン、社会構想の視点から。
以下は特に影響を受けた文です。
ニューギニアのオロカイヴァ族では、少女は結婚する前に相手の少年の菜園をみにゆく、といわれている。マライタ島のアレアレでも同様のことが報告されているが、ただちがうところは観察されるのが少女の方だということだけである。「ある人の菜園から彼ないし彼女の性格を読み取ることができる」と固く信じられているからで、その可否の「基準は、心のパターンを示す菜園の様式に部分的におかれるが、また菜園の規模、植物の生育度や健康状態、さまざまな品種の質に大部分はおかれている」と人類学者M・シュヴィンマーはいっている。つまり、植え育てる者と植え育てられる物とのあいだに神秘的なきづな、交感と共鳴があり、芸術家と芸術作品との関係同様に、自己の能力や本質は、対象化され、外在化され、客体のうちに転移、体化されてはじめて社会的に確認されるわけである。(95p)
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僕は山内さんのこの本に出合い、この話を「お気に入りの彼女の畑を見にゆく」とネーミングしたのでした。