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for serendipity1247「そんなお金があったら女のための女の雑誌を出したい」
『森まゆみと読む 林芙美子「放浪記」』(2020)解説より。
林芙美子(1903-1951)には文学を志した頃からつけ始めた「歌日記」なるものがあった。これを1925年くらいから様々な形で売り込んだが、なかなか陽の目にあたらなかった。あるとき、売り込んだ新聞記者の友人の作家・三上於菟吉が埋もれていた原稿を発見し、「これは面白い」と、年上の妻、同じく作家の長谷川時雨が始めたばかりの「女人藝術」で連載するように勧めた。
「青鞜」は1916年に廃刊になり、そのあと、男性の作る「婦人公論」が創刊されたが、女性による女性のための文芸誌はなかった。長谷川時雨はベストセラー作家となった夫の三上於菟吉が「ダイヤモンドの指輪を買ってやる」といったのを、「そんなお金があったら女のための女の雑誌を出したい」と答えた。1928(昭和3)年、「女人藝術」が創刊。このとき、時雨は49歳。この雑誌から林芙美子を筆頭に、望月百合子、住井すゑ、城しづか、円地文子、矢田津世子、大谷藤子などが巣立っていく。時雨は度量の広い、世話好きな人で、女性を育てるために私財を投じた。
(原文を活かしながらの塩見直紀によるまとめです 283pより)