掌編/アンカット
本棚に『煙草と惡魔』がある。芥川龍之介の短編小説だ。
函付きで、パラフィン紙がかけられたアンカット本だから袋の部分を切らないことには読めない。表紙に「1917」とある。この本をくれた先生は、レプリカだから高くないよと言っていた。学校の先生ではなく、歯医者だ。調べてみると復刻版は千百円で売られていた。
ツルツルと光沢のある文庫本の背表紙に混じって、日焼けした函の背の「惡」の文字が見える。もらった時から函の角に水濡れした跡があった。最初からなのか、先生が汚したのか。先生が汚したのなら、カットしても構わないような気がした。が、手にとって函から出すと罪の意識がわいてくる。なにせ『煙草と惡魔』だ。紙(神)に刃を入れた途端封印が解け、おそろしい悪魔が現れるかもしれない。レプリカとはいえ悪魔。誘惑に負けて禁煙がパア――それくらいあってもおかしくはない。
莫迦な妄想だと笑うだろうか。蒐集癖はないし物に執着するタチではないから、さっさと売ってしまえば千円ほどにはなる。けれど、もらい物には情が移っていけない。
以前、友人から腕時計をもらったことがあった。ゲームセンターで娘と遊んだ戦利品らしく、何度か会ったことのあるその子から私へのプレゼントだと言う。安っぽいけれどせっかくもらったのだからと着けていたら、別の友人に笑われた。思い出すだけで腹立たしい。頭の中で顔面に蹴りを食らわせるという暴力的な妄想は、おそらく悪魔のせいだ。本を函に入れて本棚に戻した。
「惡」の字に人は悪を思い、その思いが物に移り、悪魔が宿る。これはきっと非科学ではなく未科学だ。封印を解いてはいけない。
五年以上読まれることなく本棚にあった『煙草と惡魔』を、ようやく読むことにしたのは青空文庫を知ったあとだ。つまりアンカット本はアンカットのまま、中に書かれた小説をスマートフォンの小さな画面で読んだ。
そのあと目にしたネット広告が電子タバコだったのには笑ったが、まだ禁煙は破られていない。
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