鬼女紅葉のこと
『The Fall』に登場する紅葉。そもそもこの小説を書き始めたきっかけは鬼女紅葉でした。
以下はエブリスタのエッセイ(現在非公開)に書いた2020年4月22日の記事
❀花言葉(妄想コン)考えてたのに、なぜかサイコパスに関する本を読みまくってる今日このごろの話❀
前回のエッセイから一ヶ月ということに少なからず驚いています。激しく動いてく世の中と何も変わらぬ日々…。何も変わらないってことはないか。みなさまどうおすごしでしょうか。
私はようやく最近になって小説に向かい始めました!
きっかけはエブリスタの妄想コンテスト「花言葉」です。
素敵なテーマですよね。ざわざわ胸の落ち着かない日々。ほっと心がほぐれるような優しい物語が書けそうなテーマ。
ということで、なんの花にしようかな〜と考えて、今が旬のあれにしました。紅葉。
紅葉の花ってこんなやつです。かわいい。このあとプロペラみたいな種ができてクルクルまわって飛んで行く。まだ先だけど。
紅葉の花言葉っていうのがまたいいかんじ。
節制、自制、遠慮、大切な思い出、美しい変化
美しい変化っていうのは、これから紅く色づいていく葉のことでしょうね。遠慮とか節制とかはたぶん花の慎ましやかな姿から来てるのかな?
未だ青い葉、ほとんど目にとまることのない花、そして燃えるように色づいた秋の紅葉。このギャップが良いです。
さて、少し前に「能楽手帖」という文庫本を購入しました。見開きでざっくり作品が紹介されている辞典のようなものです。
小説を書き始めて丸三年。ネタもアイデアも尽きてくる。そこで昨年書いた中編小説が能曲「弱法師」から始まったのだということを思い出し、なにかしら役に立つような気がして買ってみました。(ちなみにこの小説はnote連載中の『夢を見る』)能曲そのものを使うというより、そこから思考を広げていって気になるテーマを見つけてストーリーに仕上げるというかんじです。
能楽手帖をめくると「紅葉狩」という作品に目がとまりました。
平維茂が鹿狩りをしていると高貴な身分らしい女が紅葉狩をしていて、酒宴に誘われ酔わされ眠りこけたところ、夢の中に武内の神が現れて「あれは鬼女だから、さっさと起きてやっつけんか」と剣を授け、目を覚ましたところ正体を現した鬼女が襲ってきて、維茂は剣でもってやっつけた。
そんなお話。
あらすじを読んで、引っ掛かりを感じたのは「鬼とはなんぞや?」ということでした。
能のなかの鬼といえば、人が嫉妬や妄執によって変わってしまったものというイメージがあったのです。鬼とはそもそも人の心のなかにあるものなのだよ〜という。
それが、「紅葉狩」においては「あいつは鬼だから鬼なのだ」という唐突な印象を受けました。
ここら辺りからですね、紅葉狩深掘りしてみるべし、という気になりました。そもそも花言葉の「自制、節制、遠慮」からほど遠い「鬼女紅葉」(鬼女の名前が紅葉です)。このギャップはおもしろい。
この「紅葉狩」を書いたのは観世小次郎信光という方なのですが、世阿弥の甥の音阿弥の第七子らしいです。公家のバックアップのあった世阿弥の時代からは変わって地方興行などが多くなり、能に幽玄ではなくスペクタクル性が求められるようになった。
信光の書くものは話が分かりやすく演劇的で登場人物も多いようです。なので、後に大衆芸能である歌舞伎とかにも使われたり。
「もし信光の能がなかったならば、能は幽玄で、深いものであったとしても、あまりに暗いものとなり、後世に伝えられる能の花やかさは存在しなかったであろう。」(『能を読む4』のなかの梅原猛による考察部分)
これはなんというか、純文学とラノベを思い浮かべました。考えることを強いる作品というのは、大衆向けではない。広く「読む文化」を繋いでいこうとしたらエンタメ性の高いもののほうが有効。
個人的な思想を反映した作品とそうでない作品、という言い方もできるかもしれません。作品から生き方を学びたい人もいれば、いっとき現実から離れて頭を空っぽにして楽しみたいという人もいる。同じ人でも時には「風姿花伝」をよんで自分のあり方を考え、時には「転生したらなんちゃらうんちゃらな件」みたいなのを読んで楽しむ。
ところで、分かりやすいエンタメのひとつに「勧善懲悪」という要素があると思います。悪と善がはっきり分かれて、悪は善にやっつけられる。「紅葉狩」もそれです。大衆を意識して書かれた能だったから、紅葉狩においては鬼は鬼であり、悪は悪だったのでしょうね。
ということで、紅葉狩において「鬼は鬼」というか「鬼=悪いもん」っていう描かれ方をされた背景は分かったものの、「鬼ってそもそもなんなん?」という疑問は私の頭のなかから消え去ることはなく、紅葉狩から派生したと思われる伝説、戸隠の鬼女紅葉について調べました。調べてる途中です。図書館でいくつか本借りたけど、一冊気になった本が図書館になくて買ってしまった…。今日届いたばかりなので内容はまだ不明
戸隠が舞台というのは能曲「紅葉狩」の中にも書かれてる。これは室町時代です。明治時代に刊行された『北向山霊験記戸隠山鬼女紅葉退治之傳全』という本があるらしいのですが、どうもこの本そのものを入手するのは難しそう。ネットや書籍から鬼女紅葉に関する伝説を探ってみました。
伝説なので地域によって色々差はあるものの、鬼女紅葉の伝説が伝わる地域において「鬼女」は必ずしも悪ではないのですよね。むしろ「鬼女」という言葉は使われず「紅葉様」といったふうに。
両親の間に生まれた紅葉は(最初は呉葉だったという説もある)地元の豪家に見初められて嫁に請われるが妖力をつかって分身をつくりそっちを嫁にやる。その嫁はしばらくして雲に乗って消える。紅葉は両親とともに都へ行き、そこで琴の腕と美貌をもって源経基に召し抱えられ妊娠する。紅葉は妖術をもって経基の妻を病気にし、不審に思った家臣によって戸隠に流される。
戸隠の村人をだまし「正室の嫉妬によって流された」と同情を誘い、妖術で村人の病を治してやる一方で、周辺の村へ盗みに入り、それを「経基からの贈り物」と言ってまた村人を騙す。紅葉のもとには盗賊や怪力女お万などがあつまる。その噂は鬼女紅葉として都まで伝わり、討伐の命が平維茂に下る。
このあとの成り行きが能曲「紅葉狩」なわけです。
興味深いのは、描かれている村人だったり、伝説の伝わる地域での紅葉の扱われ方だったりなのです。ここまで調べている段階で、私の頭のなかに浮かんだのが「サイコパス」という言葉でした。平気で嘘をつき、同情をさそって他人を操り、時に残虐性をむき出しにする。
ということで、サイコパスに関する本を数冊読んだのですが、読めば読むほど紅葉はサイコパスにしか思えなくなってくる。
とりあえず今回はここまで。
花言葉とはほど遠い、ほっこり優しいお話なんて書けそうもないところに来ていますよ(笑)
以上4月22日に書いたものでした。