短編/うさぎ葬送曲
隣のクラスの女が死んだ。そして見知らぬアプリが起動する。
『時間は加速している。決断は早い方がいい』
秘密を打ち明けられた夜、素っ裸の両親に別れを告げることになった🐰
chapter1.葬送
校庭には名残のような夏の日差しが照りつけていた。
全校一同がただ静かに整列し、俺は前に立つゴリの背中を見ていた。視界の右からふらふらと彷徨ってきた小さな虫が、その肩口にピタリと止まる。
面倒そうにその虫を左手で追いやるゴリの姿は、後ろから見てもまさにゴリラそのものだ。
「一同、黙祷」
体育教師の声が校庭に響き、ファーンと汽笛のような音が鳴り響く。薄く目を開けたまま、俺はかすかに見える漆黒の車体に視線を向ける。
校庭の周りを、一台のリムジンがしずしずと通り過ぎていく。
先日の体育祭、突然倒れた女子生徒が帰らぬ人となった。詳細は知らない。彼女の名前も顔も知っていたけれど、話したことは一度もなかった。
透明、まっさら。そんな言葉の似合う薄幸な顔立ちの女だった。
目の前の、馬鹿みたいに広い肩がわずかに上下している。そのうち鼻をすする「ズズーッ」という盛大な音が聞こえてきた。
美女と野獣、とでも言えばいいのだろうか。
その女子生徒とどれだけの関わりかは知らないが、ゴリとそいつは教科書を貸し借りする程度には交流があった。
俺のすぐ隣の列ではほとんどの人間がハンカチを目に当て、鼻をすすり、しゃくりあげ、泣き崩れている。それは亡くなった女子生徒のクラスで、俺の前と後からも感染するようにもらい泣きと嗚咽が聞こえてきた。
俺の角膜は未だに乾いている。そして、俺は泣き崩れる一人の女子生徒に目を留めた。
俺は彼女を傷つけたのだろうか。
一昨日彼女に突き飛ばされたときにできた左腕の擦り傷。
血すらもでず、不格好に皮がめくれただけの、中途半端な傷痕。きっと、俺が彼女につけた傷もその程度のはずだ。
彼女を傷つけたのは、リムジンの中で母親が大事に抱えているだろう写真の中の女だ。
人は死ぬとき辺り一面に小さな刃を撒き散らして逝く。関係が深いほどに、大きく凶暴な刃を。
chapter2.慰め
葬送の前々日のホームルーム。女子生徒の死亡が担任から伝えられ、教室の中は不安と戸惑いと、ある種恐怖のような感情が渦巻いていた。
当の女子生徒が所属していた隣のクラスにおいてその混沌ぶりは尋常ではなく、それは現在俺の友達以上恋人未満である悠里(ゆうり)も例外ではなかった。
「秋人(あきと)」
ホームルームが終わるや否や、戸口で待っていた悠里が俺を呼ぶ。今にも泣き叫びそうな眼差しに、俺はクラスのやつらに「お先」と軽く挨拶をして彼女の元に駆け寄った。
悠里は俺の腕を強引に引っ張り、三階の渡り廊下の脇にある階段下へと連れていく。その場所は何の生命も存在せず空気すらも無いかのように、しんと静まりかえっていた。
どのクラスでも大なり小なり混乱し、モヤモヤとした感情を処理しようと言い訳のような言葉を交わしあっているに違いない。そんなことすら俺には無意味に思え、今ここにある静寂は酷く心地が良かった。
「人美(ひとみ)が死んじゃった。死んじゃったよぉ、秋人」
静寂のなかにただひとつ生命を撒き散らす女。
俺の胸に顔をうずめ、悠里は全ての感情を吐き出すように泣き続けた。
こんな剥きだしの姿を見せる悠里が俺は好きだ。世の中の人間は体裁を取り繕いすぎる。いわゆる「空気を読む」という姿勢が、苦手というレベルではなく嫌悪の対象だった。
――秋人は何考えてるか分からん。
クラスのやつらはそう言うが、俺は自分の気持ちを誤魔化したこともなければ、その場を取り繕おうとしたこともない。
ただ、どうやら他のやつより死に対する感情が薄い。
どうせこの体の形がなくなっても、この世から完全に消え去ることなんてできはしない。むしろ、俺は日々自分の残骸を撒き散らしながら生きている。それは何かの形をもってこの世界に存在し、多少の変異はあるにしても、おそらくこの宇宙からなくなることはないのだ。
「秋人……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにして、悠里は俺の顔を見上げる。
崩れかけた彼女の心は、必死に俺を求めているように見えた。だから――。
「……やだっ。こんな時に、どうしてそんなことするの?!」
突き飛ばされた俺はドアの取っ手に左手をぶつけ、ジンと軽い痛みが走る。
悠里の足音がバタバタと遠ざかり、離れた唇は彼女の涙で濡れていた。そのくびれた脇腹あたりに滲んでいた汗が、俺の手のひらをじわりと湿らせていた。
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