生産性の低いことにこそ、ひとの生きる意味がつまっているのかもしれない
精神科医oktk先生がやっているYouTubeのカケミチラジオで、オンラインカウンセリングを行っているCotree社の千葉さんがゲスト出演されていました。
とても興味深かったのは「受付の持つ役割」という部分でした。リアルな店舗の受付では意外と事務仕事以外のことを行っており、それを代替するのが難しい、と。
確かに考えてみると、挨拶とか、天気とか、最近の出来事とか、他愛のない言葉の掛け合いとか、もしメールなどのテキストでやり取りするならとても生産性の低いやり取りを何気なくしていますよね。
もっと言えば入口のドアをくぐったときに目に入ってくる空間の色調とか、温度とか空気の流れとか香りとか
さらに受付の方の服装とか表情とか声のトーンとか、とかとか考えていくと「何を話すか」という具体的な内容以外にも本当にたくさんの情報や要素が存在しているのだと考えさせられました。
最短距離で走り、効率が最も良いパスを出し合ってゴールを目指すことが求められるビジネスシーン
社会人になってから病院など医療保険制度の元でばかり働いてきたので、実は最近までコミュニケーションは治療や組織運営のための「潤滑剤」くらいの認識しかありませんでした。
ここ数年、本当に多くの出会いに恵まれて様々な立場の方とお話をしたりプロジェクトに関わる機会をいただいているのですが、とくにテキストベースで素早く進行させる場合は、要点を端的に伝え合うことが重要になってきます。
ビジネスでは、プロジェクトのビジョンや目標、KPI(重要業績評価指標)みたいなものが必ずあって、それらを達成するためには戦略を立ててチームを動かしていくかが重要になります。
その場合、コミュニケーションはあくまでも「手段」だと感じていました。余計な文章を加えることは好ましくないです。
サッカーで例えると最短距離で走り、効率が最も良いパスを出し合ってゴールを決めるイメージです。サッカーのことあまり知らないですが。
生きる目的に近いのは、KPIの達成よりも大事な人たちと楽しむ感情そのものかもしれない
ですので会社とかプロジェクトという形で切り取ると、目標達成を目的として良いと思うのですが、
個人レベルで考えたらプロジェクトの成功と自分の生きる意味は必ずしも一致しないですよね。
自分でもこんなつぶやきをしていたようなのですが、あくまで個人レベルに限った話でいうと、感情こそが重要なのではないかと。
感情>目標達成 という二元論的な話ではなく、主従関係として感情の方が主で優先されるものなのかもしれないと思ったわけです。
何が言いたいかというと
それで結局何が言いたいかというと、一見ムダだったり生産性の低いコミュニケーションにこそ生きる意味が埋まっているのでは、ということでした。
受付でいうと、本来の目的であろう予約や決済に関しては自動化するのが簡単なので、今後どんどん人がやる必要はなくなっていくと思うんですよね。
でも空間の作り込みや相手への気遣いや機転を利かせることは、機械が簡単に代替できるものではないです。
人が人らしく生きることとか、感情が動きやすいこと、自分が歳をとって思い出すことは、意外と生産性や効率と関係ない無駄なコミュニケーションだったりするのかもしれない、と考えました。
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