優等生が幸せになれない理由


昨日書いたこの記事の内容を少し方向を変えて掘り下げてみる。

日頃なんにも考えず流されて生きてるような人が読んだら
ただの悪口や嫉妬で片付けるかもしれないし、別にそれで去って行っても構わない
(思考能力のない人間とそれ以上の付き合いができるわけもないので)

さて、『若いうちに何でもきく男性を捕まえて結婚して子供も独立するまで育て上げた女性』について書いた。

恵まれていて幸福だろう、
とこれまでの日本で刷り込まれてきた価値観によって判断する人が大多数だろう

だが本当にそうなのか?

そうした価値観に従ってきただけで自分がないまま生きてきたなら、その先は闇ではなかろうか。

自分がないから他者に承認欲求を満たすように要求するだけの日々が果たして幸せなのだろうか?


日本は何かと成績だの学歴だの結婚条件だのと、社会や他者の評価ばかりを気にして
自分と向き合わないまま生きてる人間が多いように感じる。

いわゆる優等生、エリートと呼ばれる人がそうだろう。

作り上げられたロールモデル…知名度の高さ、社会的地位などを幸せだと錯覚している人々。

若くして結婚や出産などもそのうちに含まれるだろう。

昭和の時代ならば、それが幸せだと問題なく通じたに違いない。

しかし時代は移り変わり、今は個の時代になっている。

作り上げられたものに依存するだけでは幸せになれない時代だ。

自分軸を持ってなければどうにもならない。

私が不幸であると書いたのは、役割だけがあって中身が空っぽな人生に見えたからである。

自分を見つめて自らそれを充たせる成熟した人間ではないからである。

いわゆる優等生として、幸せの条件にうまくはまってきただけではそうした人間にはなるわけもない。

実際、社会や他者から見て私などは優等生とはほど遠い、孤独で何も持たないような不良人間ではあるが、

外からはわからないほど内面は充実していて、毎日を楽しく過ごせているのである。

自分を充たせる術をよく知っているから。

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