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なんとなく合うが結局いちばん強い、どの座標を陣取るかで人生は変わる小話

かつて、恋心を抱いていた人から餞別にと本をいただいたことがある。あまり話したことはなかったけれど、気づいたら好きになっていたという本能的な恋だった。だから餞別をいただけるなんて予想だにしていなかった(同じタイミングでその場を去る人たちには何も渡していなかった)ので、あぁこういう感覚って相互的に起こっているのかもなと感じていた。

なんとなく合うって強い

波長であったりテンポであったり「合う」を表現する時にくっついてくる言葉はいくつかあるけれど、結局いちばん強いのは「なんとなく合う」だよなぁと思っている。なんとなくって、曖昧なようで強い。

先日、ひょんなことからその人と連絡をとる機会があった。やりとりの中で「(私の名前)と話す短い時間の中で、座標が近い人だなと思っていたよ」と言ってもらえて、なんとなくってそれかもなと妙に納得。

数学でやりましたよね、なつかしい

それならば、そうなんです。x軸とy軸ってそれぞれ何の値なの!となるんです。途端に、合う合わないを司るこれらの値が気になりはじめる。

主観として言いたいのは、どちらの軸も年齢ではないということ。年齢が近いから合うとは限らないし、むしろ多少離れている方が合うとさえ思っている。その人と私の座標が近いという前提で考えてみても、年は10歳ほど離れているのでやはり年齢ではなさそう。その人と私の共通点って何だ?いやそれがわかればそもそも「なんとなく」じゃないのよ。

これは宿題ですね。要するに、どの座標を陣取るかによって「なんとなく合う人」も変わってくるわけで、それはつまり人生が変わってくるということ。壮大だ、壮大。頭の片隅に置いておきながら生活します。

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