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「結婚」と「出産」に呪われる。

先月末、友達が出産した。
2つ下の彼女は、今から11年前に知り合った。忘れもしない、7月の横浜アリーナ。Hey!Say!JUMPのコンサート帰りに寄ったサイゼリヤ。
友達の友達だったその子は、いつしか間にいた友達をすっ飛ばして会うようになり、10年以上つるんでいる。

当時大学生だった彼女は、教師になるのが夢だと話していた。
大学卒業後、彼女は地元に戻って高校の先生になった。先生として彼女がどんな存在だったのかを私は知らない。だけど、仲間内では群を抜いて頭の回転が速く、発想もぶっ飛んでた彼女は、とにかく面白くて、賢い人だった。

非常勤講師だった彼女は、勤続期間が終わったと同時にその高校を去り、地元企業で事務職を始めた。

教師をしている時の彼女は、大変だけどすごく楽しそうで、Twitterにもその日あった生徒とのおもしろいやり取りを載せていた。私が学生時代、彼女のような先生がいたら、きっと大好きだっただろうなと考えることもあった。
だけど今の仕事に変わってから、楽しそうな日常は少しずつ減っていった。
多趣味な子なので、趣味に関するつぶやきは楽しそうで何より、といった感じだが、10年前につるんでいた頃や教師だった頃の楽しさとはどこか違ってみえた。

そんな彼女が結婚したのを教えてくれたのは、去年の頭。まだコロナが猛威を振るう前で、がんの治療明けだった私の元へ遊びに来てくれた時に、結婚の報告をしてくれた。

「結婚したけど、これからも遊んでね」と彼女は笑いながら、私の部屋でJr.祭りのDVDを真剣に見ていた。
それから1年後、彼女は母親になった。嬉しかった。

嬉しかったけど、悔しくて、羨ましかった。

私と彼女の間には、共通の友達がたくさんいる。生まれも育ちもバラバラだけど、なぜか出会って意気投合した女友達。
当時つるんでいたグループの中で、社会人だった私は年上組、学生だった彼女は年下組という感じだった。
私を含めた年上組は、「仕事もそこそこに結婚して家庭に入りたい」を口癖にしていた子が多く、年下組は「まずは自分のキャリア。結婚や家庭はあってもなくても」と考えている子が多かった。
かくいう私は「バリキャリのお母さんになりたい」と言っていたので、一番いいとこどりをしようとしていた。

10年経った今、仲間内で結婚して子どもを授かった子はみな、キャリア優先型の考えをしていた子たち。
家庭に入りたいと言っていた子たちは、マネージャークラスに昇格したり、起業したり、着実に家庭の二文字から離れてきている。

結婚も出産も、望んでいたら叶うものでもないし、大人になったら出来ることでも何でもない。
むしろ、望んでいる人ほどそこから遠のき、固執していない人ほど易々と手にすることができるような気がしてならない。

この年になると、やたらと外野から「結婚しないの?」「いい人はいないの?」と言われることが増える。
別にほっといてくれよと思う自分がいる反面、私と一緒になりたいと言ってくれる人が果たして現れるのだろうかという不安に駆られる。

がんで卵巣をなくした自分にとって、結婚にはどんなメリットがあるのか分からない。だって子ども産めないもん。子ども欲しかったのに。
そんな私を選んで一緒にいてくれる人は、きっと本当に稀有な存在だ。

独身女性に、やれ「結婚」だの「子ども」だのを追及してくる人。そろそろ気付いてくれ。

その言葉は強烈な呪術だから、これ以上使わないでくれ。

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