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本が読めなかった私へ

こんにちは、涼しい潮風です。Twitterで一重の美人画を描いています。

私は図書館に通うような子供だったのですが、18歳くらいから本が読めなくなりました。楽しめるのは短編漫画、音楽、ツイッター、短い動画。しかも同じものを繰り返し見るようになりました。何度見てもエキサイティング!!ではなく、とっくに飽きてるけど他に何もしたくない状態。「退屈」というストレスで慢性的な胃炎になったほどです。ところが最近あることを意識してから小学生の頃と同じくらいのペースで新しい本や映画を楽しめるようになりました。

それは「インプットのためのアウトプット」です。今noteにこの記事を書いているのもそのためです。

私はこれまでアロマを焚いたり、自律神経を穏やかにする音楽を流してみたり、いつもと違う本や映画を選んでみたり、人に作品をおすすめしてもらったり、色々試しましたが新しい娯楽に全く手がつけられませんでした。環境を整えたり、作品を選び抜いても肝心の脳みそが新しい情報を受け付けないからです。

大人になっても素晴らしい作品は楽しめる!という人はいいのですが、私は雑念で脳みそがいっぱいになって本や映画などの作品だけでなく、自分の創作、散歩や料理すら億劫になりました。「ストレス」「お金」は生きていく以上仕方ないですが、「漠然とした不安」「悩み」があまり必要ないのにかなり脳の容量を食います。「よーし私も悩まずにしっかり考えて解決しようではないか!」と意気込んで考えてみました。途中まではいいのですが、大体堂々巡りになって集中力も切れて頓挫します。

ここで「アウトプット」ステップを入れます。何も考えずに紙に殴り書きしていくと知らず知らずに考え始め、新しい課題が生まれて、また考えていくので思考がきちんと巡ります。ちゃんと吐き出すことでもやもやした感情も収まります。

ただ、これもずっと繰り返すと「考えるのは楽しいけど結局解決策が思いつかないし、途中で止まらないだけで堂々巡りになっている」という現象が起きます。そこで「調査」ステップを入れます。

ここでようやく目的の「本」「映画」が出てきます。この時アウトプットしたものを見ながら「さあ何を調べようかな」と調べるものを探す意気が重要です。私は今このnoteを書きながら「歳をとると一年が早いと聞くけど、老後や健康面の不安が大きくて脳の空き容量が少ないから思い出が入らないのかも。中高年〜高齢者について書いてある心理学の本を読もう」、「エネルギッシュな人は毎日こういう思考回路なのか、全く違う思考回路なのか。偉人伝や起業家のドキュメンタリーを見よう」と、二つ興味が湧きました。脳内の「本が読めなくなった不快感」をnoteに吐き出した結果、読みたい本と見たい映画(新しい情報)が見つかりました。

そして目的の本や映画を見ると結末(こと)に感情が揺さぶられ、思考をアウトプットし、それを見てまた情報が欲しくなる…という自動的に本が読める、子供のころの知的好奇心(なぜなぜ)ループが復活します。外部から情報を仕入れるので最初考えていた問題の解決にも近づくはずです。

「こんなの当たり前じゃん」という内容の人もいるかもしれませんが、ついこの間までの私や実家の家族を始めとするデフォルトが若干鬱の人間は意識しないとすぐに脳にもやがかかって何も出来なくなるので、これからも意識して好奇心を保ちつつ楽しい読書ライフを送りたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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