人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②
2日目、アトランタのダウンタウンに向かった
アトランタのハーツフィールド国際空港から
地下鉄で1本、Five Pointsという中心の駅に出た
地下鉄はMARTA(マータ)と呼ばれている
2023年現在は、キレイになっているらしい
1995年はあまり評判は良くなかった
危険な目に遭ったわけではないけれど
なんとなく、キレイじゃないし
なんとなく居心地が悪かった
「早く着いてくれ~」と願っていた
空港から30分くらいだったと思うけれど
長ーく感じた
本当に長かった
はじめての南部の大都会で
当時はアトランタは犯罪率は高かった
翌年の1996年にオリンピックを
控えていたこともあり
街中は工事をしているところが多かった
キング牧師の出身地なので
記念館を見に行った
私以外、全員が黒人だった
そりゃ、そうだろうけど
マーティン・ルーサー・キング・メモリアル・ディストリクト
となっていて、生家・記念館などなどが
あった
ゴミひとつ落ちていなかったし、
フラフラと歩いているホームレスは
警備員に注意されていた
アトランタの誇りなのだろう
行きはタクシーで行ったけれど、
帰りはバスに乗って
ダウンタウンへ向かった。
そのバスが、乗った時は
私と、3歳くらいの子供を連れた、白人親子だけだった。
次第に乗客が増えて、満員状態になった
乗客はすべて黒人客だった
気が付いたら、その親子はいなくなっていた
なかなか無い光景だった
1996年当時のアトランタは
中心地の住民の黒人の割合が66%くらい
だったそうである
その周りをぐるっと白人が囲んでいるそうで
これ、教科書で習いましたね
ドーナツ化現象というやつです
教科書は当てにならん!と根拠なく思っていたけれど
そんなことはなかったと反省しました。はい。
街を歩いていて、
「黒人が多いなぁ」と本当に思った
すぐに慣れたけれど
3泊した後、アラバマ州モンゴメリに向かったのでした
読んだ後、心が軽くなって、日常生活に戻ってもらえれば。