塩の香り

関東在住・女性・アラフィフ・気ままな?シングル 10代の頃から好きだったアメリカに関連したこと (旅行・ファッション(アメリカントラッド)・文化)が中心

塩の香り

関東在住・女性・アラフィフ・気ままな?シングル 10代の頃から好きだったアメリカに関連したこと (旅行・ファッション(アメリカントラッド)・文化)が中心

マガジン

  • 隣のExcelが上手な人に教えてもらおう

    パソコンが苦手・エクセル上達したいけど、何からはじめたらいいかわからない 表作成のコツを書いています

  • 大好きだったアメリカ

    名古屋生まれ・現在関東在住・女性。子供のころから、アメリカが大好きでした。アメリカンな楽しいことやものを紹介しています

  • 創作の素人

    創作がやりたくて、少し苦戦中。創作について読んだ本の紹介をしています。

最近の記事

シドニー・シェルダン著『僕はいかに逆境をのり超え世界一翻訳された作家になったのか』

1980年代-90年代、 シドニー・シェルダン氏の本を 読んだことがある人は 結構いるのではないだろうか 本屋さんに山積みされていました 超訳 って表紙に書いてあったように思う 私も、映画に本に読みました 展開が早くて、引き込まれました エンタメ色の強い作品たちでした 亡くなられたのは、 2007年とのことで 随分時間が経っているのですが 昨年(2023年)に自伝の 翻訳本が出ました 恵まれた環境に生れたわけでもなく 大学も中退してしまった NYで音楽にチャレン

    • 『パティ・ペイジの歌のように』 - 宮本美智子さん

      作家の宮本美智子さん(1945-1997)の本を 20代の頃、熱心に読んでいました 何冊も持っていたのだけど、 いつしか手放し、現在は1冊も持っていない 1997年に亡くなられたときはショックだった 2年半ほど前に引越した先では 図書館が至極便利に使えるため ふと思い出したように 宮本さんの本を探し 再び読んでみました エッセイが中心だったと記憶しているが 今回読んだ『パティ・ペイジの歌のように』は 自伝的小説だった ストーリーは なんとも言い難いものがあったけれど

      • 本で海外旅行する - 宮本美智子さん

        宮本美智子さんの本を知ったのは 1990年代後半だと思う とにかく文章がうまくて 面白かったのだ 著書を沢山持っていたけれど 今は一冊も持っていない 何度かの引越しの度に 手放してしまったのかな それさえも覚えていない 宮本美智子さんは、1997年に亡くなっている もう、そんなに経つんだと驚いた 亡くなった時、51歳だった 今の私より、若い・・・ 1945年生まれとのことなので、 昭和20年生まれ 私の母が昭和21年生まれなので 母と同世代だったんだなぁ 今更のように

        • 本を友に旅をした - アメリカ

          1970年生まれの私にとって アメリカは憧れの国だった 強くて、広い国 日本は子供で、アメリカは大人 そんな感じがした 今思うと、偏ってるな~と思うけど 80年代90年代はアメリカブームで 特にニューヨークブームだったと思う 本も沢山出ていた 映画はアメリカ映画が主流だった 今のように日本映画は元気ではなかった アメリカの住宅事情は 狭い団地で育った私には 特にうらやましいものだった アメリカの作家の本が好きな私は 本の舞台になった都市に行ってみたくなった 海外

        マガジン

        • 隣のExcelが上手な人に教えてもらおう
          0本
        • 大好きだったアメリカ
          16本
        • 創作の素人
          5本

        記事

          80年代90年代はニューヨークブームだった

          80年代90年代は、ニューヨークブームだったような気がする テレビドラマでも、「ニューヨーク恋物語」みたいなのがあった 何がそんなにブームだったのか・・ 思い出せない だけど、ニューヨークに旅行に言ったという人は 結構いたように思う 80年代-90年代前半に学生時代を過ごした私は その影響をもろに受けたと思う 95年にマンハッタンに行ったけれど ちょっとしんどかったなぁ・・・ うーん、もう一回行きたいな ニューヨーク関連の本も沢山出ていた 何冊か読んだけれど その

          80年代90年代はニューヨークブームだった

          F・S・フィッツジェラルドの生涯を考えてみる

          小説『グレート・ギャッツビー』は2度映画化されていて 多分、誰もが知る小説なんだろう フィッツジェラルドと言えば その波乱に満ちた生涯も 興味をそそる 大学生の頃、それはそれは衝撃だった 小説のような生涯を送る人がいたんだと フィッツジェラルドは1894年に生れている 日本なら、明治時代になる 私の祖父よりも上の世代で、 あまりピンとこなかった 1940年に44歳で亡くなったこともあり 歴史上の人物として 遠い存在だった 歳を重ねるにつれ フィッツジェラルドが亡く

          F・S・フィッツジェラルドの生涯を考えてみる

          F・S・フィッツジェラルドの情報 - youtubeより

          Youtubeにミネソタ州セント・ポールの情報が 沢山あることに今更気づく 本当に今更。 1995年にミネソタ州セント・ポールを旅した時 フィッツジェラルドの生家や ゆかりの家を見に行ったけれど きちんと今も残っていることが分かった こちらのチャンネルはかなり細かく 紹介している アメリカ中西部の昔の家は 石造りだったんだなぁ 地震がないから、今も残っているのだろう それにしても寒かっただろうな ミネソタはColdest stateと言われていて アメリカで一番寒いらし

          F・S・フィッツジェラルドの情報 - youtubeより

          ラルフローレンが私のなかで再ブーム、買うよりも見る読む

          1990年代、ラルフ・ローレンをはじめて知った。 なんて素敵な・・・と思った Poloとほかの違いとかは 全然わからなかった 素敵なデザインだなぁと思った 高くて、買えなかったけれど そのうちにブームは去った 私の中で 素敵だけど、買えないし・・ となっていた お嬢育ちの友人(と思っていた人)が 親にポンっと買ってもらっているのをみて 「やめよう」と思った こつこつお金をためて 少しずつ買うことを 良いと思えなかったのだった 今は思っているけれど 今は少しずつ買って

          ラルフローレンが私のなかで再ブーム、買うよりも見る読む

          人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②

          2日目、アトランタのダウンタウンに向かった アトランタのハーツフィールド国際空港から 地下鉄で1本、Five Pointsという中心の駅に出た 地下鉄はMARTA(マータ)と呼ばれている 2023年現在は、キレイになっているらしい 1995年はあまり評判は良くなかった 危険な目に遭ったわけではないけれど なんとなく、キレイじゃないし なんとなく居心地が悪かった 「早く着いてくれ~」と願っていた 空港から30分くらいだったと思うけれど 長ーく感じた 本当に長かった は

          人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②

          人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①

          1995年、社会人になり3年目 夏休みを利用して アメリカに行くことにしました 人生2度目の一人旅 アメリカ南部 アラバマ州モンゴメリに 行ったのでした 当時、24歳。 24歳の女性がひとりでDeep Southに行くって。。。 抵抗は全くなかった。 こちらの本を何度も読み返して、 アラバマは危険なところではないと 自分に信じ込ませたのだった アラバマ州は、日本人であまり知られていないと思う 有名なのは、公民権運動の発祥の地であるいうこと だろうか ローザ・パークス

          人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①

          フィッツジェラルドの故郷ミネソタへ 1994年

          こちらの続きです 社会人2年目 まとまった休みが取れることになり 9月初め、アメリカ・ミネソタ州セントポールへ 一人旅をすることにしました 海外旅行は3度目 そこで一人旅をする私の無謀さに 今更あきれるばかり 何も言わずに送り出した親兄弟にも驚く チケットは当時大手旅行会社に勤務していた 姉が手配してくれました 当時は、航空券のリコンファームというのをしなければならず 英語で電話をするのは、結構な勇気がいりました それでもやったんだよねぇ とまたしても驚く やり方もわ

          フィッツジェラルドの故郷ミネソタへ 1994年

          ミネソタ旅行のきっかけは、村上春樹著「スコット・フィッツジェラルドブック」

          1990年、大学の研修旅行で初めての海外旅行で アメリカに行った私。 すっかりアメリカが好きになり 本を読み、再度、アメリカにいくぞと 決めたのでした 大学で英米文学を専攻していた私は スコット・フィッツジェラルドが 大好きになりました 作家の村上春樹氏がフィッツジェラルドの ファンで沢山の本を 出しています。 どれも素晴らしいですから 是非読んでみてくださいね ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブックは 特におすすめです。 村上氏らしい飾らないエッセイです 村上氏が

          ミネソタ旅行のきっかけは、村上春樹著「スコット・フィッツジェラルドブック」

          ハーバード大学を観光して頭は良くなるか?

          1990年、大学生だった私は、 大学の研修旅行に参加し、 夏休みを利用して アメリカのいくつかの都市を 訪問する旅行をしました 生れてはじめての海外旅行でした 2週間程度、ボストンに滞在し、 大学の夏休みプログラムに参加しながら ボストンを観光しました 夏のボストンは良いところでした 緯度が北海道よりも高いからか 朝晩は涼しくて 夜は20時くらいまで明るい 早く寝るのがもったいないくらいだった ボストンの隣町であるケンブリッジにある ハーバード大学にも行ってきました

          ハーバード大学を観光して頭は良くなるか?

          知ったかぶりの代償は大きかった - Brooks Brothers編

          1990年、学校の研修旅行で アメリカに行った 最後の滞在先はシカゴとその郊外の町だった 郊外の町で、ホームステイをした ホームステイ先は、友人と同じだった 友人はお金持ちの娘で ブランドの洋服やカバンに子供のころから 親しんでいる人だった 私はブランドものは 知りもしなければ、 持ってもいなかった 持てるとさえ、思っていなかった ホストファミリーが 車でシカゴに連れて行ってくれた時 友人がブルックスブラザーズの店舗を見つけて 「ブルックス ブラザーズだー」と うれし

          知ったかぶりの代償は大きかった - Brooks Brothers編

          1990年、ボストンへ行く

          1990年、大学生だった私は、 大学の研修旅行に参加し、 夏休みを利用して アメリカのいくつかの都市を 訪問する旅行をしました 生れてはじめての海外旅行でした 両親は、英語を話せないし 海外に行けるような経済状態ではなかったので 海外旅行にいったことは ありませんでした それでも、研修旅行に行きたいと 言ったら、参加させてくれました 両親が、「そんなもの無駄」と言ったなら 旅行には行けなかったろう そんなありがたい機会だというのに あまりよくわかっていなかった私

          1990年、ボストンへ行く

          1980年代終わり、J.Pressから始まった

          名古屋市で生まれ、ブランドものとは 縁のない家で育った私。 高校生活も終わりに近づいたころ、 名古屋の中心地にあった J.Pressの店舗にあった 洋服に惹かれたのでした J.Pressが、アメリカ東海岸にある 洋服屋さんで、日本ではオンワードが 展開していることなど 知る由もなかった トラッドと言われる部類の ファッションがあることさえ 知らなかった ただ、商品を見て、 上品でかわいいなと思った その後、大学に入学し、 お嬢様育ちの友人から ラルフローレンやブルッ

          1980年代終わり、J.Pressから始まった