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パンとサーカスと、自転車に乗って【22】

第二十二話・十八年前の入れ替わり

 餃子のますもり、通称“餃マス”。京都ラーメン戦争が終わったと思ったら、餃子戦争なる平和な戦争がまた始まった。チェーン店ぞろいの強豪のなかで、人気NO1の座を射止めた。若い女性に人気の店で、安さとボリュームが他店より群を抜いていた。ファッションエリア新嵐館、平日の昼間には若い女性とカップルぐらいしか見当たらない。そんな中に、葉狩はソウダチカコのファンページを運営している男と待ち合わせしていた。
 男は店のなかでひときわ目立っていた。スラっとした体に細身のスーツ。三つ揃えに革靴、ブランドに疎い葉狩が見えても高い品だとわかった。
 葉狩は男の前に立ち、「東治宇署・捜査二課・葉狩悟と申します」葉狩はいつになく丁寧に、名刺をテーブルに置いた。テーブルには空の皿が置かれていた。既に餃子二人前を平らげたことがわかった。
「島根裕と言います、餃子頼みます?」
 島根はメニューを葉狩に差し出した。メニューはラミネート張りされており、パソコンが得意なアルバイトか、オーナー家族の娘が作ったようなチープなものだった。
「ブランディングに失敗してるところが、ブランディングなんですかねぇ。安っぽさが案外いいのかも、このファッションエリアに似つかわしくない感じが、ホッとさせるんでしょうな」
 島根はペラペラと語った。葉狩は餃子定食を頼み、本題に入った。
「ソウダチカコと名乗る女性が、先日桃山御陵前を越えた、宇治川河川敷で発見されました。他殺のようでして、その風貌が島根さんが運営されているサイトのソウダチカコさんと同一人物ではという話がありまして」
 そんな話などない。桜井と二人で立てた仮説だ。島根の箸が止まり、大き目のコップになみなみと水を注いで、すぐさま飲み干した。
「というより、まだご存命だったんですね。僕はその、ソウダチカコの若い頃の姿に心奪われまして。といっても、もう四十過ぎですから、彼女は七十ぐらいでしょうか。今どうしているかはわからずでして。そうですか、亡くなられた」
 年老いた女優の若い頃を追いかける。二次元や二・五次元とはまた違う、別次元の追っかけだ。
「島根さん、ソウダチカコさんの年表をつくられていましたよね。活動年表」
「はい」
「その中で、ちょうど十八年前、二カ月ほど行方不明になっていますよね、彼女。どうしてかご存じですか?」
 タイミングがいいのか悪いのか、葉狩の餃子セットが運ばれてきた。
「ソウダチカコのこと、姉が持っていた歌劇団のパンフレットで見かけまして。そのなかで端役だったと思うですが、ひときわ美しい子がいるなって。それでひと目惚れっていうのかな。でも」
「でも?」
 男は再びコップに水を注ぎ、今度は乾いた唇を湿らすようにしてチビチビと飲んだ。飲むというより、舐めると言う方が適切だった。
「でも、その十八年前、理由は今でもわからないのですが、二カ月ほど失踪して、何もなかったようにして現れたんです」
葉狩は餃子に直接醤油と酢をかけ、ラー油だけをたっぷりと注いだ小皿に付けた。ご飯をワンバンさせずに、ダイレクトで口に放り込んだ。
「現れた?その現れたって言い方きになるんですが」
「はい、僕の目の前に現れたんです。僕はソウダチカコと知り合いです。誤解されると困るから、直接言いたくて」
 葉狩は胸ポケット仕込んだレコーダーが動いていることを下目で確認した。
「その頃のネット事情って、まだONEモードとかガラケー主体の時代で、ネットで探しても彼女の情報は出てこなくて。僕が作っているものが、ネットで検索したら上位にでてくるようなもので。今もそうなんですが」
 島根は額に玉のような汗をかいている。きっと口はカラカラだろう。
「それで?」
「僕が彼女のファンサイトを運営しているのは人づてに聞いていたらしく、失踪後に僕の目の前に現れて、こう言いました。《目元と鼻を少しいじったの。でも整形なんて言えないじゃない。だから、その失踪ってことにして私のネットのページに書いてくれない》って」
「じゃぁ、失踪したってのはソウダチカコに頼まれて書いたってことですね。本当は整形だったと、まぁ彼女曰くですが」
 葉狩は念押し確認をした。餃子につけたラー油が辛い。小皿には餃子の焦げが浮いた。
「はい。でも、整形とは違うと思いました。たぶん彼女の顔は僕が世界で一番見ていると思います。ファンってそういうモノなんです。今でいう、推し活なんかともっと違う粘着質的な。僕が言うのもなんですが。だからそれは自信を持って言えます。失踪後に僕の目の前に現れたソウダチカコは別人です。年の頃は近いとは思いますが、目の色が真っ黒だったんです。僕が追いかけていたソウダチカコはブラウンがかっていて」
 島根は鼻息荒く、持論を展開した。証言ソースとしては裁判証拠になるものでもなさそうだが、捜査の方向性を決めるには手がかりにしてもよさそうだ。それも刑事のカンだが。刑事のカンだって、センスみたいなもので、それが刑事に向き不向きにもつながる。
「入れ替わったとされる、早田千賀子は元々は誰だったと?」
「それは、わかりませんが。でも、そうだ、姉が追っかけしていた久保隅咲江って女優がいて。姉、間違って早田千賀子のブロマイド買ってきたみたいで。いらないっていうもんだから、僕がもらって、それがファンになった最初のきっかけでした。思い出しました。そうそう、久保隅咲江」
 初めて聞く名前だ。この久保隅咲江が早田千賀子と入れ替わった。双方合意でということだ。では、この宇治川河川敷でなくなった身元不明人の名は、今は久保隅咲江ということになる。スマホが鳴る、桜井からだ。
「河川敷で亡くなったホトケさんの身元がわかった」
「久保隅咲江か?」
 葉狩は桜井を試すように尋ねた。島根が上目遣いで葉狩の様子をうかがっている。
「どうして、あ、そっちでわかったのか。まぁそうだ。久保隅咲江だ。東治宇の役所にあたったが、該当人物がいる」
 桜井の仕事は早い。部下に動かせるより自分が動く、上からも下からも信頼が厚い理由もよくわかる。
「令状ナシで、任意で出頭を促すか」
 葉狩は電話先の桜井の様子を想像した。この捜査権は桜井が持っていくだろう。それはそれでいいが、この不可解な入れ替わりの理由は問いただしたい。好奇心からだ、二課の仕事をしていると自分の理解を越えたところに犯罪が存在する。面白いというと不謹慎だが、犯罪者たちの心理には興味がある。ミイラ取りがミイラにならないようにと、響木からはいつも口酸っぱく言われている。
「厄介なのは、宗教家ってことだ。元夫がな、その超能力者というと陳腐だが、目覚めた使徒らしい」
「俺たちの出番がまだ残ってたってことだな」
 葉狩は失くした大切な財布が見つかったかのように、ジワジワと沸きあがる喜びを感じていた。もともとは自分のものなのに、一度失くして再び自分の手元に戻る。神様が普段から自分の行動を監視していて、積み重なった普段の善行を評価してくれたと思った。神様、普段は自分の生活に居ない存在、その存在にすがる人々、その存在を利用する人々。宗教は哲学であり、概念であり、理念であり、言語であり、理想であり、妄想である。そして、自分のように家族を分断させることもある、葉狩は唇をギュッと噛みしめた。島根に礼を言い、口外無用の約束を取り付け、二人分の会計をした。六千五百円だった、あの男、いったい何人前食ったんだ、葉狩は領収書を財布にしまい込み、店を出た。

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