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【短編】露出は黙して、饒舌に語らせる

 外壁工事、マンションだけではない。警察署も十五年経てば、ガタがくる。積み立て金などあるわけではないが、国家予算の端っこ、つまり税金で外観からトイレの水漏れ、仮眠室の雨漏り、取調室の閉まらない鍵など、あらゆるガタを修繕している。そのせいで、しばらく取調室は。A1~7会議室でとなった。
 関谷恭弥せきたにきょうや、押し込み強盗殺人容疑。住人の老夫婦二人とも殺害し、たった二万円と商品券三千円分を盗んだ。前足捜査であっけなく逮捕されたが、ここからが厄介だ。黙秘を貫いてやがる。拘留期限まで粘れと、弁護士に言われているのかとにかく黙秘だ。雑談に応じるってやつだな、と桂はうなだれた。
 一課じゃ手に負えない、いや相手にしている時間が足りないというのは不適切か。会議室も少ないうえに、黙秘と来れば取り調べの時間も無駄に過ぎていく。そんな進まない取調べ状況を見かねて、上司の佐倉はQ課に引き継ぐよう、桂に命じた。
「わかりました」
 桂に限らず、警察組織は縦社会・階級社会だ。上司の命には逆らえない。桂は、Q課にこれまでの取り調べ調書と一緒に、関谷恭弥を引き継いだ。Q課は工事棟とは別棟の二階建ての建物にある。署内の敷地にあるが、異例だろう。他所の署から移動になってきた刑事や警察官に最初に伝えるのは、「あそこには近づくな」ということだ。

 Q課に桂啓一郎かつらけいいちろうが行くのは二年ぶり、部内で退職する花井刑事の送別会の出欠を確認に行っ手以来だ。メールを読まない文化の人たちだから、アナログで伝える他ない。ファックスも見ないらしい。
「あの、佐倉課長から承認得まして、その、関谷恭弥の件、引継ぎに参りました」
 桂はいつになく腰を低く、目線は下げたまま別棟二階にあるQ課のドアを開けた。
「あ、ありがとうございます。資料もろもろ先に読んでますので、引継ぎは大丈夫ですよ」
 対応したのは、露出十三ろでじゅうそうというQ課でエースと言われる男だ。年齢は桂と同じくらいの三十歳前後、見た目は優男というかヒョロッとしている。関谷が万一暴れたら、取り押さえられるのか、桂は勝手に心配した。
「じゃぁ、関谷恭弥を取り調べしますので、中に入れてもらえますか?」
 露出は桂にお願いした。桂は本館に留置している関谷を連れてくるように、内線で連絡した。
「私もここで取り調べに立ち会いましょうか?」
 興味本位で言った、ダメならダメでいいと桂は露出に申し出た。上目遣いでもなく、見下ろすでもなく、同期ぐらいのキャリアの男に敬語で話すのは癪にさわる。だが、Q課の取り調べなんてそうそうお目にかかれない、桂は前のめりな自分に少し嫌悪しながら、露出の表情を確認した。
「いいですよ」
 いいですよ、とは「いりません」の意味なのか「OK」の意味なのか、わかりかねるという意味を込めて、「ん?」といったマヌケな表情で桂は首を傾げた。
「あぁ、立ち会ってください。記録お願いできれば幸いです」
「あぁ、調書取りですね。わかりました」

 桂は奥の取調室に通され、入口付近の小机に置かれたパソコンを立ち上げた。
 本館から警察官二人が関谷を連れ、取調室に入って来た。きっとQ課のことを何も知らない二人なのだろう。堂々としている、と無知は何物にも勝る武器だと桂は感じた。
 関谷は奥のパイプ椅子に座らされた。露出は対面に座る。ここまではごく普通の取り調べのはじまりだ。ドラマなんかじゃ、こんなところはすっ飛ばして、バン!と机をたたいて「吐け!」なんて恫喝しているのを目にする。そんな取り調べをしたら、この時代すぐ問題になる。論点ずらしで、刑事の不適切な取り調べがリークされてしまう。殺人容疑の容疑者とはいえ、人権があるのだ。桂は、露出がどんな風にして、関谷の固く閉ざした心を開けていくのか見たかった。

 関谷は深々と椅子に座り、足を組んだ。雑談に応じるというのは、外のニュースをやたらと訊きたがる。天気や政治程度のニュースなら応じるが、関谷自身のニュースにはこちらも黙秘だ。だが、露出は関谷自身のニュースにも端的ではあるが、答えていった。
「ちょ、ちょっと露出さん、いいんですか?」
「何がです?」
「関谷を目の前にして言うのもなんですが、外部の情報提供はある程度制限すべきでは。特に本件に関わる事案ならなおさらでは?」
 桂はタイピングの手を止めた。
「いいんですよ」
 関谷はニヤニヤと笑っている。
「関谷さん、ちょっと失礼しますね」
 露出は関谷の周囲四隅に塩を盛った。
「何してるんですか?」
 桂は露出の奇妙な行動の意味を聞きたいというよりも、止めさせるつもりで、問いかけた。
「ちょっと黙ってもらえますか」
 露出は関谷の四隅に置いた塩を指先で整えどれも高さ三センチほどに整えた。
「塩盛りしとかないとね、ほら、呪い殺されちゃうから」
「え?」
 桂と関谷が同じ表情をした。驚きではない。この男は何を言っているんだ、桂は呆然と露出を眺めた。眺める以外に何もできなかった。桂には到底理解できない言葉が取調室を包んだ。関谷は理解できないことが不安と感じないのか、またニヤニヤと笑い出した。
 露出は手を合わせ、なにやらもにゃもにゃと日本語ともいえない言葉を放った。瞬間、関谷の顔色が変わった。

「桂さん、もしかして見えます?」
「見えますって…え?なんですかこれ」
 露出は指揮者のように慣れ親しんだオーケストラに指示をだすように、滑らかに両手を動かした。ぼわっとした白い物体は輪郭を明らかにし、モノクロから色づき、姿を現した。三上夫妻だ。殺害された老夫婦。三上隆は絞められたであろう首を抑え苦悶の表情で宙を舞い、三上圭織は折れた足を引きずりながら地を這いずり回った。関谷の表情が一瞬で凍り付いた。関谷が思わずパイプ椅子からのけぞりそうになった時、
「塩の外に出ると、やられちゃいますよ。穏やかに、そこで」
 そう言うと、露出は手の動きをさらにリズミカルに優雅に動かした。その動きに合わせて、三上夫妻は踊る。
「何をしているんですか?」
 桂が締まった喉から精いっぱいの声を振り絞った。
「降霊です。イタコとは違いますが。関谷さんに恨みを持つ魂をこの場に降ろしました」
「コウレイ?」
「霊を降ろすと書きますが、正しくは魂を降ろす作業でして。対象者に強い恨みを持つの魂を降ろす、この場合関谷さんに対して、三上夫妻が降りてきたというのが正しいのでしょうが」
 露出は激しい手の振りを中断した。
「私には、なにも見えません」
「そりゃぁ、そうでしょう。三上夫妻は関谷さんに用があるのですから」
 関谷は声が出ない。背後から忍び寄る三上夫妻の姿に耐えかねて、振り返った。見る方が怖いのに、いつも降霊されると容疑者は被害者の魂を見ようとする。
「さて、ここからお暇しましょうか。桂さん」
「えええ?俺をここに独りぼっちにするのか?」
 関谷が夜中に留守番をさせられる子供のように駄々をこねた。
「もちろん、あ、塩の外に出ちゃだめですよ。結界ですから、塩の中は。桂はキーボードを打つのを完全にやめてしまった。じっと何かを見ていた。露出は、桂の肩を叩いてその場を立ち去ろうとした。桂には見えないが、三上夫妻の魂は関谷の周囲に張り巡らされた結界を越えられずに、怒りの表情を表している。
 桂が取調室のドアノブに手をかけたとき、関谷はあっけなく自供した。

「ぁあああ、俺だよ、俺がやったんだよぉおお」

「桂さん、調書記録してくださいね」
 露出はドアノブにかけていた手を離し、くるっと半回転し、パイプ椅子に座りなおした。
 一課の見立て通り、関谷は深夜二時に三上家に侵入し二万円と商品券三千円を盗んだ。そのあと、起きてきた三上隆氏ともみ合い、近くのタオルで絞殺して殺害。悲鳴を聞いて飛び起きた三上圭織は二階から階段で降りようとした際、関谷と鉢合わせした。そのまま階段から突き落とされ、両足を骨折しその衝撃でショック死した。かねてより心臓を患っていたのだ。

 三時間ほどで一通り取り調べを終え、内線で本館から警察官二名を呼び、関谷を拘置所に移送した。
「あのぉ、露出さん」
 桂がパソコン画面を閉じながら、おそるおそる露出に尋ねた。
「どうしました?」
「三上夫妻の霊はもうここには?」
「あぁ、関谷が自白し切ったら、満足気に消えましたよ」
 桂は取調室の入り口角に座っている。小机の上にある調書用パソコンはなかなかシャットダウンしない。桂はその対角の隅をじっと見ていた。
「あのぉ、あの角、ほら私の斜め前のあの角。あそこの隅に、何かいません?」
 桂は不安げに露出に尋ねた。
「うっかり何か降霊しちゃったのかなぁ」
「あれ、関谷が別の事件を起こした被害者とかじゃないんですか?」
 桂は目を細めながら、ぼんやりと白ばんだ塊のようなものを凝視した。
「うーん、霊媒師でもなければ見えないんですが。やっぱりそうですかねぇ」
「なにが、やっぱりなんですか?」
「いやぁ、とぼけないでくださいよ」
 露出がドアノブに手を掛け、内鍵を閉めた。本館の取調室には内鍵はない。容疑者が立てこもっては困るからだ。桂は、露出がなぜ内鍵をかけたのか、わからずにいた。
「見えるんですよね。あの隅の子」
「え?」
「だから、見えるんだろ。桂さん、アンタ結界の外にいるからね」
 盛られた塩は四つ。取り調べの机と対面のパイプ椅子を囲う形だ。部屋の端にいる桂は結界外にいる。
 じりじりと部屋の隅の子供が歩いてくる。首があり得ない方向に曲がっている。両腕は血まみれだが、右手に鎌のようなものを持っていた。
「あ、ああ、ああああ」
 桂は嗚咽のような、悲鳴のような、懇願するような、声をあげた。

「別館に来るなんてなかなかないでしょ。佐倉課長に頼んで、やっとあなたをここに連れてこれましたよ。ほんと、二年もかかるなんてねぇ」
 露出は肩肘をつきながら、上半身を半身回転させ、桂に目をやった。
「ど、どういうことだよ」
「その子、見覚えあるでしょ」
「な、ないよ」
「いや、あるね。桂さんが轢き逃げで殺した子だよ。事件現場まで戻って来たんだから、その子の顔見たでしょ」
 血まみれで近づいてきたのは七歳ぐらいの子供だった。目はじっと桂を捕らえている。目だけじゃない、全身・全神経をとがらせ桂を捕らえていた。
「ご、ごめんなさい。私がやりました。飲酒運転だったんです。ごめんなさい。ごめんなさい」
 桂は床に額を擦り付け、少女に謝罪した。少女は露出をちらっと見て、すぅうっと消えていった。取調室の蛍光灯が一瞬強い光を放った。露出はふぅっと深呼吸して、眉間のシワを戻した。

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