【エッセイ】オバはんと飴
僕はいつまで知らんオバはんから、「おにいちゃん」と呼ばれるのか問題について考えてみた。
関西では(言い切ります)、よその男性で若い子のことを「おにいちゃん」と呼ぶ。大学生のときなんかは、バイトしていると「おにいちゃん、はよ注文とってんか」と客のオバはんから言われる。僕が20歳ぐらいで、オバはんは50歳ぐらいか。
僕はアンタの「おにいちゃん」なワケないやろ、とツッコむもののあくまでもエアツッコミだ。心の中で。悪い気はしない。たまに『お』を省いた「にいちゃん」と言われることもあった。これは、ややガラが悪い言われ方だ。いずれにしても、関西では「おにいちゃん」「にいちゃん」と見知らぬ若き男を呼ぶのは、さほど珍しくない。
時を経て、あれから30年。
僕はもう50歳だ。オッサンだ。どこからどこまで、どう見ても、どう切り取ってもオッサンだ。なのに、先日電車で、知らんオバはんから「おにいちゃん、そこ空いてたら詰めてんか」と言われた。
久々に聞いた「おにいちゃん」フレーズ。さほど若々しい出で立ちではない。いまから、ややこしい相手たちと打ち合わせだ、
オバはんは僕より若干年上に見える。失礼ながらどこからどう見ても、正真正銘のオバはんだ。
居眠りしかけの僕は、「ちっ、仕方ねぇ」ぐらいの感じで席を詰めた。オバはん一人座れるくらいのスペースが空いた。マナー違反だったよ、ごめんなの気持ちを込めて。
オバはんがいそいそと座ると、「堪忍な(ありがとうの意)」と言い、カバンをごそごそし始めた。根菜類のごった煮みたいに、奥が漆黒で見えないハンドバッグから出てきたのは「飴」。久々に見た。知らんオバはんからもらった飴なんて食うかい!
「おにいちゃん、飴たべるか?」と5個ぐらい飴を差し出してくるオバはん。
まぁ、断るのもなんだし、まぁもらっておくかと。
「あ、ありがとうございます」
オバはんはじろっと僕の顔を見るなり
「なんや、オッサンかいな」と。
隣の女子高生が聞き耳を立てていたらしく、オバはんの「なんや、オッサンかいな」でふき出していた。
ここで一言が出るかどうか、死に際に「アレ、言い返しといたらよかった!」と枕を噛まないように。50歳を過ぎてからは、反射的に言い返すようにしている。
「オバはんが、何ゆーてんねん」と僕。
「イヤっ、嬉しいわぁ。アタシ今度80になるねん」
オバはんというよりも、オバアさんだった。若く見られたことに喜んでいる。女子高生が肩を震わせている。スマホの画面が消えているのに、スマホを見ている風だった。
オバはんならぬ、オバアさんはさらに飴を取り出し、僕の手の上に置いた。僕の手は、飴のつかみ取りしたみたいに、エラいことになった。
隣の女子高生が名残惜しそうに、最寄りの駅で降りていく。学生がずらーっと降りていく。学生たちがいなくなった分、車両はもとより、詰めた座席もスッカスカになった。
オバアさん(旧オバはん)とは引き続き隣同士のまま。隣で座っている必要はない。お互い、座席の端っこに移動できる。でも、そうはしなかった。
タイミングを逃したというよりも、またオバアさん(旧オバはん)がオモロイこと言うのかと期待していたからだ。オバアさん(旧オバはん)は、単に面倒なのだろう、移動するのが。
終点、京都駅に着いた。サッと立ち上がる僕。チラッとオバアさん(旧オバはん)を見る。どうも立ち上がるのに苦労しているようだった。すくっと振り返り、オバアさん(旧オバはん)に手を差し出し立ち上がるのを手伝った。その手は、骨っぽく力強かった。
「おおきに、おにいちゃん」
「あ、ハイ。気~つけて」と僕
「ちょっと、おにいちゃん!コレ」
オバアさん(旧オバはん)が僕に差し出したのは、袋に入った「グミ」だった。そこは、「飴」ちゃうんかい!とエアツッコミしながら、丁重にお断りしておいた。
観光客らしい日本人がチラチラ僕を見ていた。あのオバアさん(旧オバはん)の兄と思われたのだろうか。きっとそうだ。きっと。
オバアさん(旧オバはん)からもらった飴を食べた。黒糖飴だった。ダダ甘い。でも優しい味だった。そして懐かしい。
リラックスできたのだろう、そのあとの打合せはうまくいった。
ありがとう、オバはん。また会うやろう。その時は、「ねぇさん」と呼ぶことにするわ。
(おわり)