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【連載小説】フラグ<第一話>

プロローグ:死神の少女と暗殺者

 会社を辞めようといったのは、デュークからだった。辞めてどうするんだ?と訊いたら、独立するんだよ、とフリーランスの提案をしてきた。元妻に慰謝料は払いきったが、そんなあてもなく、フリーランスができるかよ、と突っぱねた。

 神崎かんざきスガルはデュークの提案を一度は突っぱねたが悩んでいた。死神といってもアイツは給料なんて欲しがらないし、欲しいのは死ぬ予定の「フラグ」だけだ。頭の上にちょこんと旗が立っている。
 まぁ、扶養するのは俺一人だし、アラフォー男一人が生きていければいいなら、今よりラクか、となった。

 サラリーマン殺し屋よりも、フリーランス殺し屋の方が身入りもいいし、なんせこの会社はとことんブラックだから、もう潮時かもしれない。俺はデュークの提案に乗っかって、会社に辞表を叩きつけた。課長の更家さらいえさんは毒殺専門の殺し屋だが、管理職になってから随分ブランクがある。

「辞めるって突然じゃないか。こっちも困るんだよ。神崎くんみたいな、スパスパ殺せる殺し屋なんてそうそういないし」
「スパスパって妙な擬音ですね」
「そうそう、コーヒー、ミルクと砂糖は?」
「コーヒー自体いりませんよ。毒殺のプロからそんなもん勧められても。殺す気ですか?」

 デュークはスガルにボソボソと声をかけた。
『なぁ、スガル。コイツ、頭見ろよ。フラグたってるじゃん。アレ、食っていいよな?』
「いいけど、毒、入ってるかもよ」
 スガルは右後ろにそっと立っているデュークに返事した。
「なに?アレ?例の、死神?」
「あぁ。まぁ、はい」
「なんか言ってんの?私、殺しちゃえとか?」
「いえいえ、デュークはそんなこと言いませんよ。その死亡フラグが立ってると、食べたがる性分で。その、殺しのターゲットのフラグを殺す前に食べようとして困るんですよね」
「死亡フラグ?ってあの、この戦争が終わったら結婚するんだ俺、みたいなアレ?」
「まぁ、そんなところです」

「死神がフラグ食ったらどうなるの?」
 更家課長が興味深く訊いてくる。よれよれのシャツに、黒縁メガネ。すらっとした姿勢で背はゴツめ。胸板が厚いし、体格がいいわりに、武闘系の殺し屋じゃないところが、ヤバい。迂闊な返事をしたら、どうなる?実はパーンと頸動脈ぶった切られて死んじゃう?毒殺スキル自体がブラフ?ここは正直に言うか。
「はい、死ぬ前にフラグ食べるとその人は殺せません。というか、死なないんです。弾は当たらないし、毒殺しようとしても、毒がまわらないというか。後遺症はあるかもしれませんが、死なないんです」
「ほう」
 更家課長は興味深く訊いている。

「それなら、この死神?私には見えないけど、ソイツにフラグ食われたら、アレだ。困るじゃないか?」
 更家課長の疑問はまっとうだ。デュークと知り合ったのも、俺のターゲットのフラグをヒョイと食ったことがきっかけだ。

 死亡フラグの存在に気づいたのはデュークと出会う前から、姉に性的虐待をしていた義父をぶち殺した時から。それ以降、死にそうなやつの頭にフラグが立っていることに気づいた。理解するのに随分時間がかかったが、高校時代に屋上から飛び降りた吉田の頭にフラグが立っていなかった。数日前からいじめっ子の畑中にフラグは立っていた。畑中は飛び降りた吉田の巻き添えを喰らって、死んだ。吉田はかすり傷で済んだ。こんな事例の積み重ねで、俺はフラグの意味を知った。まぁそれはいい。

 デュークはフラグを食う。殺し屋の俺の仕事の邪魔になる。だから、殺してから食ってもらうことにした。味は落ちるらしいが、俺と一緒にいたら確実に良質のフラグが食えるってことで、死神デュークが俺にとり憑いた。
「なぁ、フラグ、食われたら困るんだろ?」
 更家課長はしつこく訊いてきた。
「でも、更家課長。フラグ立ってます。頭の上にちょっとコレ、デカいよね。デューク?」
『あぁ、デカい』
 デュークは嬉しそうに、よだれを垂らしながら、更家課長をじっと眺めた。捕食者の眼そのものだった。獲物が視界から消えないように、逃がさないように。

「フラグ立ってんのかよ?クソ!!!」
 更家課長はデスク上の電話を投げつけた。フロアの殺し屋たちは出払っており、狭いオフィスの入り口付近にいる事務パートの真田さなだみえこが気にせずパソコンに伝票を打ち込んでいた。いつものこと、と言わんばかりに平然な空気がオフィスに流れていた。
「で、更家課長。退職の件なんですが、できれば今日付けでというわけにはいきませんかね?」
 更家課長の顔から油汗がじわじわと溢れて、それは顔全体を覆い尽くし、ピタピタとデスク上に零れ落ちる。
「頼みがあるんだが」
「フラグ?ですよね」
「あぁ、フラグをその死神に喰わせてやってくれないか?」
「どうする?デューク」
『食うよ、食う』

 弱みを握るのは好きじゃないし、とはいっても更家課長は一筋縄じゃいかない殺し屋だ。現役を退いたとはいえ、相手は毒殺のプロ。会社を抜けたあと、しつこく追われるのも困る。なんてったって、俺はこれからホワイト殺し屋稼業、夢のフリーランスで生きていくんだからな。
「わかりました、デュークもいいって言ってますし。フラグ食べてもらいます。でも…」
「でも?」
「条件が二つ。一つは俺を今日付けで辞めさせてもらうこと」
「あぁ、それは構わんよ。社長にはうまく言っておく」

 更家課長の顔面は蒼白を越えて、土色だ。死んだのか?死体みたいな顔している。いつもクールな更家課長も死の宣告をされるとこうか。だれだって、いつか死ぬのに。もうすぐ死ぬといつか死ぬじゃぁ、「死ぬ」意味が変わるものなだな。
「もう一つの条件は、辞めた僕を追わないで欲しい」
「もちろん」
「男に二言はないですね?」
「あぁ、殺し屋に二言はない。殺し屋は詐欺師じゃぁないからな」

 俺はデュークにサインを送った。食って良いのサインだ。右手をあげて、人差し指を降る。デュークが顕在化した。誰にも見える状態だ。
「え?デュークってキミ?」
 更家課長の前に現れたのは、背丈百五十センチほどの小柄な女性。年のころは、二十歳前後。そう見えるだけだ。死神に性別なんてないだろと、このまえデュークに言ったら、そんなセンシティブなこと答えられないと言われたが。見た目が変えられるのか、もともとこのビジュアルなのか。ツインテールなのがどうも苦手だ。まるで、俺の好みみたいに思われる。だから、死んでからフラグを食ってもらう方がいいんだ。生きてる相手にデュークを見せたら、なんだか俺がロリコンみたいに思われる。

 四十前の独身男が、二十歳前後のかわいいビジュアルの女の子と一緒にいる。ん?デューク、スカート履いてやがる。なんだこれ、制服じゃねぇか。女子高生のフラグをこの前食って覚えたのか?これじゃぁ、女子高生そのものじゃねーか。

「いただきますっ」
 デュークは更家課長の死亡フラグを食った。一週間ぶりの食事だったこともあって、じっくりと味わって食べていた。フラグの先っぽを舌で舐めまわしながら、前歯でガっと噛みきる。奥歯でくちゃくちゃと音を立てながら味わっている。行儀が悪い。フラグの柄の部分はポリポリとスナック菓子のように噛み折っていく。俺にも「食べる?」みたいな素振りを見せる姿が、どうも調子が狂う。こいつは死神、おそらく俺よりも何百年も生きているはずだし、性別だってオッサンかもしれない。いやジジイか。女だとしても、ばぁさんだろうに。

「更家課長、食べ終わったようです」
「おぉ、ありがとう」
 更家は薄い頭頂部をごしごしと擦る。窓ガラスに映る自分の姿を再確認しているが、フラグそのものはいつだって見えない。次第にデュークの姿も見えなくなった。

 更家は口の中に含んでいた小さな吹き矢を吹いた。二センチほどのストローを舌の下に潜ませ、その中に毒矢を。自分に毒がまわらないのは、日々毒入りコーヒーを飲んで鍛えているからだ。真田さんに訊いた。

 毒矢は俺の右腕に刺さった。
「生きて抜けられるわけないでしょ。ここ、ハイパーブラック企業よ。殺し屋が辞める時は人間をやめる時だからな」

 更家課長の油汗で濡れたデスクは、変色している。毒の影響か。
「なぁ、デューク?俺のフラグって、また生えてるか?」
『いやぁ、スガルのフラグは最初に会ったときに食べてから、なかなか生えてこないよ。今?もちろんなんもないよ』
「なにグダグダ話てんだ。それ、フグの毒。解毒剤はないよ」

 更家課長の勝ち誇った顔、真田さんが心配そうにこっちを見ている。
「あぁ、大丈夫です。俺のフラグ立ってないみたいなんで、それよりも」
「それよりも?」
「デュークが更家課長のフラグ、まずかったみたいで、食べ残したみたいで」
「噓言ってんじゃねぇ!」

 更家課長は右腕を振った。スーツ右袖に隠していた小ぶりなナイフを手にした。やはり現役を退いたブランクはそのまま自分に跳ね返る。一日練習を休めば取り戻すのに三日かかる。アスリートみんなが同じことを言う。殺し屋は一日でも現役を退けば、もう同じ能力を手にすることはできない。意識の問題だが、人を殺めるってのはそういうことだ。意識の問題だ。

 俺は半身左によけ、更家課長の両目を突き、右ひざで睾丸を潰した。デスク上の壊れた受話器を口の中に押し込み、右腕に刺さった毒矢を右鼻に押し込んだ。殺し屋のスーツは特注。防弾タイプだ。吹き矢如き跳ね返すのが当たり前。実践から遠のいているからか、更家課長はそんなことも忘れていたのか?がっかりする。

 俺が右鼻を狙ったのは、蓄膿手術を終えたばかりだと言っていたからだ。舌に隠し持っている毒矢が悪さしていたのだろう。手術を終えたばかりなのは気の毒だが、ウィークポイントを見逃さないのは殺しの定石。ウィークポイントをベラベラとしゃべるあたりも、更家課長はてんでダメだ。

「デューク、食うか?」
『いや、こいつのフラグ美味しくないし。死んだ奴のフラグ、もっと美味しくない。まずいの嫌いだし』
「更家課長、お命は奪いませんが、依頼者もいませんし。タダで殺しても割にあいません。ですが、約束は守ってもらいますよ」

 更家課長の呼吸が荒い、まだ死なないだろう。俺はオフィスの入り口までゆっくりと歩き、手提げの紙袋に入れてきた退職のお菓子を真田さんに渡した。
「これ、皆で分けてもらっていいですか。あと、これは、真田さんに特別に。いつも、タイムカード打刻漏れをフォローしてもらってたお礼です」
 俺は週末デパ地下で買った人気のクッキー詰め合わせを渡した。真田さん用には、特別にサンリパレスのフィナンシェの詰め合わせを。

「あとは、うまくやっとくから。早くかえんな」
 真田さんは何事もなかったように、言ってくれた。誰かが死ぬなんて当たり前の職場だから、真田さんも相当頭がおかしいんだろう。俺は真田さんに一礼した。

「あ、となりの人、彼女サン?若い子ねぇ」
真田さんには見えていた。デュークが。俺はそのまま会釈して、オフィスを出た。

『あのオバサンの後ろに、死神いたわよ』
「そうなの?まぁ、死神ってデュークだけじゃないんでしょ?」
『うん、死神はたくさんいるけど、この世界に降り立ってるのはそんなにいないんだけどね』
「まぁ、いいんじゃない。とにかく早く事務所借りに行こう」
 外の風が冷たい。更家課長を殺しておけばよかったかな、と後悔したが独立記念日にあんな小モノを手に掛けるのは、俺のキャリアの汚点になるからなぁ、とウダウダ考えながらいつもの通勤道を明るいうちから帰って行った。

               第二話


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