【連載小説】フラグ<第四話>
CASE1:副島遥からの依頼<3>
依頼人の副島遥は一年前に死んでいる。死因は不明、司法解剖ナシ。明らかに、殺し屋にヤラレタバージョンだ。真田さんは俺の事務所にわざわざ来てくれた。独立祝いがてらということらしい。
「ねぇ、ここ、タバコ吸っていいの?」
真田さんは喫煙の確認をしながら、すでにタバコに火をつけていた。
「って、もう吸ってるじゃないですか」
「電子タバコってなんか味気なくて」
真田さんはショートホープをテーブルに置いた。俺はお気に入りのウェッジウッドのコーヒーソーサーを灰皿として真田さんの前に出した。
「あら、今日はあの女の子いないの?」
「ええ、ちょっと出かけてまして」
「まぁいいわ、死神がいない方がいいかも」
「知ってたんですね」
「わかるわよ。この仕事長いんだから」
「真田さんって、事務員ですよね」
「そう、その前は、殺し屋だったわよ。どんぐりでナンバーワンだったのよ」
真田は勢いよく煙を鼻から吐き出した。気持ちよさそうだ。意外とタバコの臭いが気にならない。真田は事務所では、白のブラウスと黒のパンツだ。今はそれに黒のジャケットを羽織っている。殺し屋スタイルだ。
「で、副島遥のことなんですが」
俺は短刀直入に本題を切り出した。
「副島遥は、一年前だったかしら、“退場”を願い出て殺されたの」
殺し屋自体を辞めるというのは、死ぬということでもある。逃げ切れない。わかっていても辞めたくなることがある。俺だってそうだ。きっと更家課長だって。団栗社長だって。
「私、前の会社で彼女の指導員だったのよ。でさぁ、辞めなくても私みたいに事務員として生きるなら、追われることもないし、まぁ、事務所狙われて死ぬことはあるかもだけど。元殺し屋ならそう簡単にやられないでしょ、なんて言ってなだめたんだけど。意思は固かったわ」
真田は事務所二階のガタガタに崩れたブラインドの隙間を眺めている。何かが見えそうで何も見えない、ブラインドはところどころ折れ曲がっている。うまくたためない。
「それで、殺されたんですか?」
「そうよ、“消去”された」
「誰に?」
「副島大吉よ」
「残酷なのよ、夫の大吉に業界から妻の遥を“消去”するようにお達しが出た。断れば大吉も同じ運命になると思ったのね」
事務所が蒸し暑い、真田はジャケットを脱ぎブラウス一枚になった。汗がブラウスに滲んでいる。
「それで妻を、遥さんを」
「ええ」
「じゃぁ、俺に依頼をしてきたのは。大吉の殺すように依頼してきたのは?」
「あれは、サクラね。バイトよ」
「バイト?」
「ええ」
「業界が用意したバイト。合法的に大吉を
“消去”するための。
「大吉がデューク、いや俺の死神が見えるフリをしていたんですが、これはなんでしょうか?何の目的なんでしょうか」
「大吉にフラグは?」
「立っていません、種がつむじに見えましたが、まだ当分立つ気配もなく」
俺は飲み物が出ていないことに今更気づいた。ペットボトルのアイスコーヒーをマグカップに注ぎ、真田さんと自分に用意した。
「大吉が業界を“退場”したいと、妻の遥さんと一緒に青森の田舎に引っ込むって。だから、遥さんが大吉を殺害して欲しいって」
俺は子供が説明するように、真田さんに時系列で要領の得ない説明をした。
「ええ、スガルくんから聞いた通りよね。でも遥じゃなくて、業界が大吉の殺害を依頼している」
「だから、大吉自身が“退場”したいって言ってないんですね」
俺は真田さんに訊いた。真田さんなら答えに導いてくれそうだ。
「そうなのよね。大吉は生の執着は強い。妻を殺すほどだから」
「でも、俺に殺してください、って言いましたよ」
「口から出る言葉はなんでも本当なの?」
「いや」
「フラグ立ってなかったでしょ?」
「ええ」
「それなら」
『ウソよ』
デュークが割って入って来た。
「こんばんは、お嬢さん」
『あら、見えるんですね』
「ええ、死神でしょ。隠さなくていいわ」
大吉はウソをついている。殺してくださいと言う言葉はウソだ。フラグが見えるようになってから、俺は人のウソが見破れない。何かを得ると何かを失う。わかりやすいウソも見抜けない、すべてが性善説のごとく、真実にしか聞こえない。だから真田さんのような裏表のない人と会話をする必要がある、困った時には。真田の携帯が鳴る。
「ごめんね、帰るわ。団栗社長からの呼び出し」
真田はジャケットを羽織り、アイスコーヒーを飲み干して事務所を出た。ドアを閉める直前に
「副島大吉は業界を抜けたい、“退場”したいなんて言ってない。大吉を邪魔に思う業界の誰かが勝手に言いふらしているとしたら?」
「そんなつまらないこと誰が信じるんですか?」
「信じるわよ、副島大吉が邪魔なら口実があった方がいいでしょ。それに業界は一つの人格みたいなものよ。妻殺しの夫は、殺し屋の風上には置けないんじゃない?」
「でも、業界が大吉に命令したんじゃ?」
「試されてるのよ、いつでも。私たちは」
真田は二度目の着信に急かされるように、出て行った。