ライフ・イズ・ビューティフル的な、なにか
大層なタイトルを付けましたが、『ライフ・イズ・ビューティフル』を観たことのある方にはフムフムとなるはず。あの感じ?どの感じ?ロベルト・ベニーニのやりたいように、作りたいように作った『ライフ・イズ・ビューティフル』はユダヤ側から見た収容所やナチスの話。(超簡単に言うとね)
ベニーニの監督・主演が冴えていて、アカデミー賞で主演男優賞を獲ったよね。他の賞もいくつか獲ったみたいだけど。
美しいウソを子どもについて、現実を遊びの世界にしてしまって云々(あとは観て)という話に対して、本作『ジョジョ・ラビット』はジョジョが妄想のヒトラーの力を借りて、青少年集団「ヒトラーユーゲント」という世界を生き抜く(というと大げさ)物語。つらい・悲しいことや野蛮なことが繰り広げられるんだけども、そこを「ユーモア」「笑い」という視点で見つめている。この点で、『ライフ・イズ・ビューティフル』に構造が似ていると思うのだ。
主人公ジョジョはたくましく生きている、エルサもたくましい。お母さん(スカーレット・ヨハンソン)もまたたくましい。クレツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)も力強くたくましい。誰もが、自分の信念のようなものの方向に向かって進んでいくイメージ。
僕が大人になって、おっさんになった今(50歳ね)、戦争なんてもう起こることはないと思っていたし、どっちかというと、宇宙人の襲撃を想定して地球連邦みたいな一致団結感があるのかなと思っていたが。
が、しかし、どんな戦争も教訓にはなりえず、それぞれの主張のもとで、仕返しを延々とし続ける。僕だって自分の家族になにかあれば、その何かを引き起こした相手を憎むだろう。それが個人の犯罪ではなく、戦争という形での実体のない犯人や犯罪ならば、その相手の国や相手の民族を憎まないとはいえない。この辺表現難しいですね。
つまり、戦争が起きちゃうと、人間が冷静ではいられないということ。この映画が伝えたいことは、戦争は愚かですよ、ということに尽きるんだと思う。その後に希望のようなものがあったとしても、それまでのことは誰もやり直せない。死んだ人は生き返らないということ。
どうにも、やりきれないものがそこにドローッと溶けて広がっている。踏んだらいけない何かが目の前に広がっている、それが戦争のイメージ。
ジョジョが成長していく様は、映画的にも見える(都合がいい)。なんでかなーと思って考えてみると、ベニーニと同じく、観せたいところを中心に考えて構成した映画のように感じるからだ。
映画はカットとカットの間に、観客の想像の余地(イマジナリーライン)が設定されていて、まぁ余白のようなもの。場合によっては余韻みたいなものだけど、なんとなくそのイマジナリーラインの両サイドを囲っている感じがした。観ている側の心の動きが、多少ブレたとしても、全員観て心が進む方向が同じみたいな。わかります?この感じ。
そういう意味では、観るスタンスにあまりいろんな余地はなくて、思うところは皆同じみたいになりそうな映画だなーと。
悪くはないし、そういう映画は家族で観て、似た感想を共有することで、一体感が生まれるというものだもの。そういう意味でエンタメ要素があるわけじゃないけど、アトラクション的な映画かもしれない。
ラストシーンから五年後が知りたくなるおすすめの一作『ジョジョ・ラビット』、ぜひご鑑賞くださいませ。