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いつも長さのわからない「R」を求めよ【第四話・残涙】

 教会までの道のりは思った以上に遠かった。フォ・イーズ村は要所要所に小さな関所があり、そこを通過するにはこのリザードマンの子は邪魔だった。話せばわかるものばかりだが、時間が足りなくなっていった。リザードマンの子の脈は弱まっている。
「これで最後の関所だろ、あとは教会までまっすぐ道なりに進めば」
 セイレンは地図を広げながら言った。
「地図には教会なんてないけど、バルスさまが言うんだから間違いないでしょ」
 メルフは嫌みっぽく言い放った。道中、バルスのことがどうにも気に入らないとセイレンにぼやいていた。
「メルフ、やめてよ。バルスは一応、その僕たちの命の恩人というか、この前の戦闘で手を貸してもらって」
 ライオットは申し訳なさそうに二人にいった。腕の中のリザードマンの子は冷たくなっていた。
「うぁああ、死んじゃってる」
 ライオットが叫んだ。
《変温動物だよ、リザードマンは》
 バルスが目覚めた。どういうわけか、その声はライオットの口からこぼれ、セイレンとメルフにも聞こえた。
「あ、起きたのね」
 地図をくしゃくしゃに畳んだセイレンが言った。
《地図、折り目に沿って畳んだ方がいいよ》
「だめなんです、セイレンは見かけはデキル子ぽいですが、おおざっぱというか不器用で」
 ライオットは腕の中のリザードマンの子を撫でながら言った。
「誰が、不器用よ!」
 セイレンはライオットの尻をつま先で何度も蹴った。
「それはライオットが悪い。セイレンはリーダーだぞ。しかもお前の恩人だろ」
《恩人?》
 バルスは訝し気に聞き返した。
「あぁ、ライオットは南国の商人が売りに来た奴隷でな。街で見かけたセイレンが、祖父に頼み込んで買ったってことらしい」
 メルフはセンシティブな話も気遣うことなくあっけらかんに言った。
「ちょっと、勝手に話さないで」
 ライオットはメルフの口を塞ぎたかったが、両手が空いていない。

 一行は砂利道の参道を登りきった。うねるような道は死角が多い。山道を切り開いたため、周囲は草木も茂りモンスターが待ち伏せしていれば先制攻撃を喰らうことは間違いない。警戒しながら歩みを進めていくと、小さな教会が見えてきた。
《おっ、あれだ。ゴードの教会だ》
 リザードマンの子はまだかすかに息があった。詰めれば二十人ほどが入れるような小ぶりな教会は、フォ・イーズ村の住民たちの信仰の拠り所というわけではなかった。
《やぁ!ゴード・スー牧師はいる?僕だよ、バルス。バルス・テイト》
 ライオットの姿でバルスは言った。声帯はライオットであるにもかかわらず、その声は明らかにライオットの声質ではなかった。

 背は百五十センチほど、メルフと同じくらい。筋骨隆々でローブをまとった男が奥の懺悔室から出てきた。
「なにかね、こんな夜分に。バルスと言ったな」
《おぉ。ゴード・スー。僕だ。バルス・テイト》
「何を言ってる。勇者バルスは死んだ。それに君は、まったくバルスじゃぁないぞ。バルスはこう殺気であふれた男だぞ」
《話せば長い、この青年の身体に触れて欲しい。話はそれからだ》
 バルスはそう言うと、ライオットの身体を動かした。抱きかかえていたリザードマンの子をメルフに預けた。ライオットの意思ではない。そのまま、ゴード・スーのゴツゴツとした手を取り、ライオットの額に当てさせた。
《魂が二つあるだろ。ひとつはこの青年のもの。もうひとつは僕のもの》

 ゴード・スーは思わず手を離し、後ろにのけぞった。
「これは、バルスの魂の波動だ」
《エイム・リバウムで魂だけがこの青年の中に紛れ込んだ》
「そうか、それなら肉体はどこかにあるということだな」
 セイレンは口を開いた。
「あの、このリザードマンの子を助けて欲しいんです。今にも死にそうで」
 メルフはゴード・スーにリザードマンの子を差し出した。マントにくるまれた小さな姿は、変わらず小さな呼吸を繰り返しなんとか生きているような状態だった。

「治療かね。できなくはないが、その子を治療してどうするんだね」
 ゴード・スーは深くシワが刻まれた顔をセイレンに向けて言った。
「決まってるじゃない。生まれたばかりなのよ。死なせたくないのよ」
 セイレンの感情が昂ぶる。
「いやそれは、答えになっていないぞ、お嬢さん。治療して、命をつないで、成長したらお嬢ちゃんたちと戦うだけだろ。村にだって襲ってくるかもしれない。この子の帰巣本能がこの村ってなってしまったら、厄介だぞ」
「あたしたちが育てるわよ」
 メルフが勢いよく言った。ライオットは二人に目を合わせない。意識の真ん中にまで出てきて、さっきまで主役だったバルスは沈黙していた。
「ゴード・スーさんの言う通りだよ。この子のお母さん、俺たちが殺しちゃっただろ。それを知ったら、俺たちは憎しみの対象になるだけだろ」
「それは、そうだけど」
 セイレンは苦々しい顔で、なにか言いたげだったが言葉をぐっと飲み込んだ。
「どうするのよ、この子もう息が止まりそうだよ」
 メルフの言葉が焦りを帯びてる。

《よし、わかった。僕がリザードマンの子の中に移ろう。もともとそのつもりだったし。治療目的だったけど、その方がライオットにもいい》
「なるほど、だから、儂を訪ねてきたのか」
《はい、ゴード・スー牧師。魂の移動をお願いしたく。この青年の中から、そのリザードマンの子の中に》
「えぇええええ」
 ライオットは驚き、パチパチと目を瞬かせた。

「その青年とバルスの魂は似ている。似ているがゆえに、時間が経つと癒着してしまう。同一化とでも言おうか。新しい自我が産まれる。これはな、危険じゃ。とぉっても危険。だから、とっとと剥がした方がいいが、バルスの魂を空に還すこともできん。魂だけを殺すこともできんからな。だから、リザードマンの子なんじゃな。さすがに、モンスターとバルスでは魂の癒着はせんからな。うまいこと考えたもんだ。さしずめ、バルスの魔力でリザードマンの魂を抑え込み封印しておくといったところかな」
 一通りゴード・スーが説明したところで、ライオットの中のバルスの魂をリザードマンの子の中への移動が始まった。
 セイレンとメルフは間違って自分の中にバルスの魂が移動してこないようにと、教会の外に出された。それから十分もしないくらいで、魂の移動は終わり、ゴード・スーが二人を教会の中へと呼び寄せた。

 リザードマンの子は体格が五十センチほどになり、両足で立ち上がっていた。ぬめぬめとした体表は、蛇というよりも蛙に近かった。

「舌が長すぎてうまく話せない。バルス・テイトだ。改めてよろしく」
 その小さなリザードマンはチロチロと舌を出しながら、自己紹介をした。ライオットは意識が朦朧としながら、教会のベンチに腰かけていた。

「ねぇ、ライオットは大丈夫なの?」
 セイレンはゴード・スーに尋ねた。
「魂の癒着が始まりかけていたみたいだからな。無理やり剥がしたから、ちょっとはダメージがあるかもな」
 ゴード・スーは蓄えたヒゲを撫でながら言った。
「俺なら大丈夫。ゴード・スー牧師、ありがとうございました。俺の命も、リザードマンの子の命も、バルスの命もみんなとりあえず救われました」
 ライオットはゆっくりと立ち上がり、ベンチの手すりを掴みながら言った。

「あのぉ、セイレンとライオットはさぁ、これからどうするのよ。いきなりこんなに大きくなったリザードマンを連れて、フォ・イーズ村も出られないよ。関所だって厳しいし、下手したら村人たちと戦闘になっちゃう」
 メルフの心配事はもっともだった。
 フォ・イーズ村はたびたびダンジョンから逃げのびたモンスターたちの襲撃にあっていた。
「人語を離すリザードマンなんていませんよ」
 バルスは舌ッ足らずな口ぶりで言った。
 ぐぅううううう
 祝福の歌がここちよく響くように設計されている教会で、メルフとセイレンの腹の虫が地響きのように鳴った。

「と、とりあえず遅いので今日は泊っていってくださいな。温かいスープとパンでよければ召し上がってくだされ」
 ゴード・スーは教会の離れにある自宅に四人を連れて行った。
 バルスはヨタヨタと慣れない身体を操り、ライオットたちについて行った。
「ねぇ、バルスさん。リザードマンって、ずっとその身体のままかもしれないじゃん。それでもいいの?」
 セイレンはバルスを見つめている。
「うん、モンスターの身体ってのも憧れてたからねぇ」
 バルスは夜空を仰いだ。星々が輝き、新しく生まれ変わったバルスを祝福しているようにも見える。
「そ、そうなの?」
 セイレンはバルスの真意をつかみ損ねていた。
「僕はね、駆け出しの頃、ものっすごくリザードマンを倒したんだよねぇ。リザードマンにも部族が合って、大き目の部族を二つほど僕が絶滅させたっていうか」
「なんか嬉しそうに話すのやめてくんない」
 聞き耳を立てていたメルフが割って入った。
 一行は離れのゴード・スーの家に着いた。部屋の中は一人の老婆がロッキングチェアに座って暖炉に当たっていた。
「お客さんだよ、母さん」
「あ、ジェムじゃないか!」
 バルスは小さな歩幅でぺたぺたと粘膜だらけの足で老婆にかけよった。
「ちょっちょいいい!リザードマンがいるよ。ゴード!」
 老婆は暖炉の中から火の精霊をつかみ取り、バルスに投げつけた。火の精霊はバルスめがけて飛んで行ったが、バルスの目を見た瞬間に立ち止まり、ひと塊になり、再び暖炉へと戻って行った。
 老婆は戻る火の精霊たちをねぎらい、ロッキングチェアから立ち上がった。老婆に見えたその女性はすっと立ち姿が美しく、年の頃は三十代前半に見えた。
「エルフ?」
 セイレンが呟いた。
「そうだ、ジェムはエルフで、ゴード・スーの母親だ。ゴードの父親は人間なんだが、平たく言うと、ゴードはドワーフの子でな。血のつながりのない親子たちといったところだ」
 バルスが得意げに話す。
「ったく、人の家庭の内情をペラペラともう、相変わらずの軽口と言いたいところだが、その魂の形、バルス・テイトかね。これは失礼した」
 ジェムは金髪の髪をなびかせ、リザードマンの姿になったバルスをまじまじと見た。初めてモンスターを見るような素振りだった。
「ガル・ハンはどうした?」
「こんなところに居られるわけないじゃないか」
 ジェムは遠い目をした。
「みなさん、とにかく腹が減ったお嬢さんもいることだから、食事にしましょう」
 ゴード・スーが立ちっぱなしで腹ペコのメルフとセイレンからの強い目のサインに気づいて場を仕切りなおした。
 テーブルには猪肉のスープとゴライ麦で作ったパンが所狭しと並べられた。
「ねぇ、ガル・ハンって誰?」
 メルフはパンを口いっぱいに頬張りながらバルスに聞いた。
「ん、あぁ、ガル・ハンってのは、元俺のパーティーメンバー」
「バルスさんのパーティーって俺たちと同じ三人編成なんでしょ」
「あぁ、パーティーメンバーのことはあまりオープンにしたくないから、まぁここだけの話だが、ジェムの夫でゴード・スーの父親、種族は人間だったガル・ハン。もう一人はまたおいおい話すよ」
「人間だった?」
 セイトンもスープにパンを浸しながら聞いた。
「はい、父はその、バルスさんたちと魔王討伐したあと、母と出会いましてな。母はエルフで、儂はドワーフ、二人とも長寿の種族で。それを悲観した父は、こともあろうに…」
 ゴード・スーが言葉を詰まらせた。
「アンタ、私より若いのに相変わらずお爺みたいな話し方やめな」
 食事に口をつけずに、ロッキングチェアでひとり暖炉にあたるジェムが制した。何か言いたげだったが、ライオットもセイレンもメルフも、バルスさえも食事に夢中だった。
「ちょっとぉ!聞いて!こっち見て、ホラ。ガル・ハンはね、長寿の私たちに悲観して、あのバカ、バンパイアになったのさ」
 バルス以外のライオット、セイレン、メルフは食事を噴き出した。
「ちょっとぉ、食べ物は粗末にしちゃだめdすよ」
 バルスはもくもくと食事を進める。パンを二個取っ手、両手で食べる。リザードマンの奥に大きな口ではスープが飲みにくそうだった。
「バンパイアになったんですか?そのガル・ハンって人は。え?勇者のパーティーの人ですよね。えーーーー」
 セイトンはひと際驚いた。人外のバンパイア、不老不死にして不滅の肉体を誇る究極の魔物と言われるが、太陽と聖水、牧師の歌にはめっぽう弱い。皮肉なことに、息子のゴード・スーは牧師だ。住まいの近くには教会まである。
「あぁ、アイツがバンパイアみたいなおぞましいものになっちまいやがったから、ゴード・スーに牧師になれって僕が進めたんだ。この教会もアホのガル・ハンへの当てつけに僕が建設させた」
 静かな沈黙が家じゅうを包み込んだ。ジェムの揺れるロッキングチェアの音と、暖炉の薪がチリチリと燃える音だけが、心地よく聞こえていた。

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