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【短編】交差するXと処刑するYの傾き
早い話、イタチごっこだ。一匹見つけたら十匹いる、ゴキブリの駆除なのにイタチの例えはスンと腹に落ちない。といっても、ゴキブリ自体が例えで、俺たちがゴキブリと呼んでいるのは「タイムチェンジャー」たちのことだ。アホな和製英語だ。時を改編する者とでもいいたかったのだろう。
時間法の改正により、過去への旅行が可能になった。過去の事象自体への干渉は変わらず厳罰に処されるものの、見る・聞く程度なら問題はない。京都や奈良に観光で行って、歴史的遺産を触れるなんてことはまずない。過去への旅行も、目の前の事象に触れなければいい。そういう意味では、遠くから大仏を眺めているのと何ら変わりはない。消極的で楽しくないなんて奴がいると、いつもこの例えで説明する。
とはいえ、過去をいじる目的の業者たちは後を絶たない。厳罰に処すとは、その場での処刑を許可されたものだ。過去への旅行者を監視し、違反者にその場で処刑を行う、執行官という立派な肩書を手に入れた。時間法の制定とともに、警察署と並列に執行署という新たな国家公務員組織が作られた。さらに、時間法の改正のおかげで、その職務範囲は警察官よりも深く広く、強く大きくなった。簡単に言うと、執行官の判断で処刑が許される。
過去への干渉・介入が金になるらしく、ゴキブリ、いやタイムチェンジャーたちも命がけだ。
今俺たち執行官を悩ませているのが三年前の交通事故の件だ。この事故をやたらと阻止したがるヤツラを五回連続で処刑してきた。
不思議なのだ、この事故では歩行者の女の子はかすり傷程度だ。ランドセルに傷がついたくらいだ。轢いたのはトラックの運転手で、過密なスケジュールで業務にあたっていたわけでもない。居眠りでもなく、飲酒でもなく、単にヒューマンエラーの事故だった。
ただ、運転手はその場から立ち去っており、十分ほどして、ミラーが曲がっているにn気づいてドラレコを確認。軽傷とはいえ、その場でうずくまっている女の子を手当し、警察を呼び事故処理を行った。悪質ではなかったということだったが、免許停止にはなったものの、三年後の現在ではトラックから個人タクシーの運転手となり、警察のデータでは事故以来、現在まで無事故無違反だ。
事故にあった女の子はもう中学生になり、普通に学校に通っていることが確認されている。
なのに、誰が何のために、この事故を阻止しようとしているのか。
業者たちの言い分を聞くことはご法度とされている。過去改変にあたったものは、その場で処刑という決まりだからだ。融通が利かないといえば利かない。執行官幹部たちが言うには、どういう事情があったのかを聞いてしまうと、執行官自身がタイムチェンジャーたちに肩入れしかねない。実際に、現金輸送車を襲う事件を何度か過去介入した案件があった。何度も過去介入することで、完全犯罪化のシナリオを獲得したタイムチェンジャーは、業者ではなく、執行官であった。うまい儲け話に、執行官の職責を忘れ、過去に介入したのだ。
過去介入するものたちの多くは金に困っている、動機は単純だ。だがどうだ、今回の大事にもなっていない交通事故を未然に防ごうとするタイムチェンジャーたちは、いったい何が目的なのだ。放っておいても現在の時間軸では誰も困っていない。五回も果敢に過去介入してくるタイムチェンジャーたち、二回目から五回目までは元執行官だったというのが、執行官本部も懸念している点だ。
いったい、この事故に何が隠されているのか、俺の好奇心は激しく刺激された。過去介入・干渉予測が毎週発表される。俺たちはその中から、事件性になりそうな案件を自ら拾い上げ、過去に飛んでいくのだ。その防ぐ必要のない交通事故、過去干渉者の予測は元執行官の進藤計という男だ。六回目のタイムチェンジャーだ。資料によると、生真面目で酒・女・ギャンブルには興味がない。金に困っている様子はなかった、去年学生時代からつきあっていた彼女と籍を入れた。授かり婚だったらしい。俺と同じだ。進藤は前回、五回目のタイムチェンジャーだった元執行官を処刑した。その後、自分が取り込まれ、執行官を辞め、タイムチェンジャーとなってこの事故を阻止するために過去介入しようとしているらしい。予測といいながら、予測は確実に起こる。必然のようなものだった。進藤の写真が無いのが不安ではあるが。
俺は進藤を処刑すべく、三年前のこの交通事故が起こる五時間前にタイムトラベルした。時間を戻るのは何とも気持ち悪い。車酔いによりも船酔いに近い。だから、五時間も前に到着しておいたのだ。酔いが覚めない事には、進藤を相手にするのは難しい。
見通しのいい二車線、横断歩道と信号。プッシュ式ではなく、自動で信号が変わるタイプ。運転手が見落とすことはまずなさそうだ。交通量はそこそこ。道路の両脇は住宅街で、近くの小学校の下校時間・夕方四時ぐらいなになると人通りは減る。下校している小学生たちはまばらだった。俺は資料に目を通しなおした。
業者と呼ばれる一回目のタイムチェンジャー、二回目から五回目までの四人は元執行官だ。一人目のタイムチェンジャー業者を執行官Aが処刑する。次にどういうわけか、元執行官Aとして再びタイムリープし、事故を阻止しようとする。すると次の執行官Bが、処刑にやってくる。そして執行官Bは元執行官Bとして再び事故現場に戻る。この繰り返しで、執行官進藤が処刑を終え、元の時代に戻ると入れ替わりで事故を阻止しようと元執行官となり下がった進藤がやってくる。戻って来た進藤を処刑するのが、俺の役割だ。あぁ、ややこしい。
いいかげんこの連鎖は、過去管理においても、厄介だ。別軸で流れる同じ次元の世界との根本的なソース乖離が起こる。つまり、コッチの次元にはこんなに厄介な事象が起こっているのだが、アッチの同一次元・パラレルワールド側はシンプルなままだ。並行して走る世界の一方が歪み、傾斜がつくと、並行から軸がズレ、いつかパラレルワールドと元世界が交差する。中学生でもわかる話だ。執行官がタイムチェンジャーたちを阻止するには、この次元の歪を最小化するためなのだ。もちろん過去改変自体の阻止も重要な目的だ。未来が変わるからだ。というファクトを知らずして、国会で時間法の改正が行われたもんだから、俺たち現場は必死のパッチなのだ。
俺は事故現場と面している喫茶店、窓際に陣取り状況を眺めた。目立つ場所ではあるが、目立つからこそあえて盲点でもある。それに、俺は一番最新の未来から来た執行官だから、ここで起こることのすべてを知っている。
最初のタイムチェンジャーが事故を阻止しようとして執行官Aに阻止された。すると、時間のギアがグググッ音を立てたのがわかる。再び事故直前の現場に時間が戻る。元執行官となったAが事故を阻止しようと少女を助けようとしているが、執行官Bがその過去介入を阻止しにやって来た。この繰り返しは奇妙だが、すんなり受け入れられた。ここだけ時間が公園の水たまりのように、濁ってどこにも行けない塊になっているのだ。
進藤らしき男いる。元執行官Dを処刑し元の時代に戻っていった。やはり入れ替わりで、進藤が事故現場にやって来た。資料によれば、戻って来た進藤は執行官を退職している。
この進藤もここまでの過程をどこかで見ていたのだろうか?俺は喫茶店を出て、喫茶店の駐車場の車の影に身を潜めて、状況を観察した。走れば十秒ほどで、現場の横断歩道に着く。
ランドセルを背負い、手提げかばんを持った女の子が一人で歩いている。横断歩道に差し掛かり、信号が赤だった。進藤が女の子の隣に立った。トラックがそのまま直進してくる。車側の信号は「青」だ。トラックは減速することなく突き進む。この距離でトラックを見たのは五時間もスタンバイしていて始めてだった。横断歩道の信号が「青」になった。車側・道路の信号は「赤」だ。
進藤は女の子を横断歩道に進ませず、抱きかかえ、歩道に放り投げた。そして何を思ったか、銃を抜き運転席めがけて発砲した。タイムチェンジャーとなった他の元執行官たちとは明らかに違う動きだ。彼らはただ、女の子を助け、その後にトラックを停車させようとして、執行官に処分された。だが、進藤は明らかに違う。進藤は執行官の装備品であるグロック17を小型化したグロック19を握っていた。
ありえない、執行官を退職した男が厳重に管理されているグロッグを持ち出すなんてできっこない。厳重に管理されているのだ。国内では流通しておらず、海外からの持ち込みも不可能だ。
俺は喫茶店の駐車場から進藤に狙いをつけた。俺の銃もグロッグ19だ。23発フルで装弾している。この距離からだと狙いは付けられる。
運転席から運転手が降りてきた。三年後にはタクシー運転手となる男じゃぁ、ない。若い、若すぎる。資料では五十過ぎのはずだが、どう見てもこの運転手は二十代前半だ。
歩道に投げ捨てられた女の子は、違う!男の子なんじゃないのか。ランドセルの色はピンクじゃない、エンジ色だ。
運転席から降りてきた男は、突然発砲した。どいつもこいつも、ここは日本だぞ。ドンパチやっていいわけないだろ。
「おい、進藤!これはどうなってるんだ」
俺は進藤に声をかけた。無言で処刑すべき対象なのだが、腑に落ちないことはやはりできない。
「やはり来たか、執行官」
「知ってたのか?俺が来ることを」
俺は進藤の言葉の意味を理解しあぐねた。眉間のしわを緩めて、進藤に狙いを定めた。力が入りすぎると的を外す。
「どっちを元世界というかは一旦、棚に上げろ。私とお前はそれぞれ別世界の人間だ。過去干渉がお互いの世界で起こりすぎて、両方の時間軸が傾斜してここでクロスした。六回目でやっとクロスしたってことだ」
進藤は真剣なまなざしで、俺に言った。運転手は再び車に乗り込み、エンジンを掛けなおした。俺は咄嗟に、運転席に狙いを定めて、引き金を引いた。迷いはなかった。銃弾はフロントガラスを突き抜け、運転席に座った男の額を撃ち抜いた。運転手は銃弾の衝撃でシート側にもたれるようにして倒れた。
「俺は、お前を処刑するために来たんだぞ」
トラックのタイヤを背にして、息を荒げている進藤に近づいた。肩に銃弾が当たったようだ。
「かすり傷だ。私を処刑するって言ってるが、お互いの世界が重なったせいで、事実が狂い始めてる。運転手の男がキミの世界とは違ったみたいだな」
進藤は続けた。
「お前の世界の進藤は私が始末した。私は、私の世界のキミを先に始末したばかりだ」
そのせいで、運転手の男は若い男になり、轢かれそうになった女の子は、男の子になっていたのか。並行世界が干渉しあってしまったのか。そして、もうひとつの世界の俺は、進藤に殺されたってわけだ。しかも、俺が処刑すべき俺の世界の進藤は、目の前の進藤自身が処刑してくれたと。
なんとも頭がこんがらがる。
時間の流れが加速し始めた。タイムリープが始まる。お互い元の世界の未来に戻る準備が始まったということだ。
何度も執行官がタイムリープで事故を未然に防ごうとしていた理由がやっとわかった。過去への干渉、たとえ旅行程度のタイムリープであっても澱のように重なるとひずみが起こる。この世界の傾斜が進んでいた。歴代の執行官たちはそれに気づいていたのだ。並行世界が交差で起こるイレギュラートラブルを自分の手で解決すべく、執行官を辞して命がけでタイムリープしていたのだ。六回目で起こった並行世界の交差が起こしたイレギュラーと言うべきか、必然と言うべきか。
あの運転手の男は銃を持っていた。轢かれた女の子は男の子になっていた。あの男の子はどうなるのだろうか。どっちの世界で生きていくのか。俺の世界か、進藤の世界か。無事中学生になっているのか。探すのはよそう。誰かに干渉しても、ロクなことが起こらない、だろ?