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書くことをやめない
ひたすら小説を書く。もちろん仕事もしている。飽きっぽい性格なので、ひとつの話を書き始めたら別の話の続きを書き始めている。
合間に仕事をしている感じだ。僕の小説は誰にも認められてはいないので,便所の落書きと同じだ。お正月、へらへらとお酒を飲みながら今年は言い訳せずに生きよう。なぜなら51歳を迎える。51と言えばイチローだ。イチローと同い年でもある。イチローにとっての51歳ってのは何だろう、意味のある数字として考えているのかな。
ここでイチローの名言でも引用すれば、ほう、ナルホドとなるのだが。
僕にとっての51歳はもうフルカウントって感じだ。あえて野球に例えるなら。
30代のころ50歳になったらもう何もできんやろとよく思っていた。ズルズルと生きてきたらあっという間に二十年ぐらい経ってて、今年51歳を迎えることとなった年初。
ならば、逃げまくってきた小説とやらに挑もうかと。発表する場はなんぼでもある。と意気揚々に書き始めた。書き方も何もわからず、小説も最近あまり読んでなかったから。パラレルで流行っても本を片っ端から買って、積んでる。
努力を怠り続けた者が、突然努力するとでも?
努力は才能だという人がいる、僕もそう思う。
もう少し言えば、続けることは才能なのかもしれない。
そんななか、今年は10か月間ひたすら書いて書いて書いた。短編から長編。エッセイも映画評も、仕事のノウハウ系も。
賞にも応募したり、モチベーションの維持になればと思ったが箸にも棒にも引っかからない現実はそれなりに痛めつけてくる。
自分より若い人が評価されることに、人並みに嫉妬や羨望の眼差しを浴びせ、沈黙する。
でも今回ばかりは違う。書いて書いて書きまくった。
自分よりも後に生まれて、先に世に出る。ただ生まれたのが先だったことを噛み締めて、次を書く。読まれてなくても、自分が面白いと思うお話を。何者にもなれなくても、何かを書く。