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【連載小説】やさしい首<第1話>

第1話:汚名 

 楠木隆一郎くすのきりゅういちろうは妻の富江とみえと二人暮らしだ。息子三人は所帯を持ち、長男の真一しんいちには子ができた。孫だ、目に入れても痛くないと言うが、隆一郎も富江も孫のことをさほど可愛いと思ったことはない。人並みに孫の自慢話を老人会でするはするが、元左官屋の佐渡岡彰さどおかあきらが我が孫を自慢してもさほど何も思わない。老人会仲間の元教師中本初枝なかもとはつえは退職金やら株やら投資信託やらと、金回りの話ばかりしてくるが富江は何も思わない。

 子どもも孫も、金もなにもかも楠木夫妻には関心ごとではなかった。このご時世目立てば、狙われる。老人ばかりを狙った強盗たち、警察の威信が問われる犯罪は未然に防ぐという本来の警察の役割を果たせずにいた。警察は風邪薬と同じだ。予防薬であり、治療薬ではない。風邪を引く前に治す、犯罪を犯す前に踏みとどまらせるまたは検挙する。

 老人たちを狙った強盗犯たちへの対応は、すべて後手に回っていた。県をまたぐ合同捜査チームでさえ、死人が五人も出てから発足された。世論は遅すぎると反発した。

 そして捕まったと思っても末端の犯人ばかりで、どうにもこうにも解決に向けて前進しているとはいいがたい。そんな中、目立てば餌食にされると、楠木夫妻はこれまで通り質素にてつつましく暮らすことを是としてきた。三人の息子たちにも質素たるものが人生を豊かにすると説いてきた。

 隆一郎はホテルのシェフで、今は定食屋くすのきの主人だ。妻の富江と二人で現役で営業している。ここのトンテキが人気で、子供から大人まで地元じゃ知らない人はいない名店になった。隆一郎はそれが気に入らなかった。有名過ぎると、目をつけられる。目立てば、どこかで足もとをすくわれる。長男の真一が大学生の頃、雑誌の取材をしぶしぶ受けたことがある。

 真一の先輩がバイトをするフリーペーパーの会社だった。小さな特集で、見落としそうな飛んだ記事を埋め合わせるような記事だったが、翌日からくすのきは大盛況だった。トンテキを目当てにくる客が県外からも押し寄せてきた。カウンターに六席、四人掛けテーブル二席、二人掛けテーブル二席、最大十人しか入れない店だ。あまりの椅子を使えば、ぎゅうぎゅうで十五人ぐらいは入る、だが皿が足りない。そんな店だった。押し寄せる客たちは口コミでどんどん増えていった。

 だがそれは、隆一郎と富江の望むところではなかった。店は儲かるからいいじゃないかと、真一と次男で高校生の浩二こうじと口論にもなった。これから学費もかかるのに、どうして店を繁盛させないのか?もしかしたら、大学は長男の真一だけ行かせるのか?と浩二から詰め寄られた。三男の健三けんぞうはまだ中学生だったがその時のことを今でもよく覚えている。自分は高校に行かなくていいんだとラッキーぐらいに思っていたと。

 隆一郎は浩二に諭すように言った。

「目立つのはダメだ、ほどほど、ほどほどに儲ける。これが俺と母さんの信念だ、楠木家のポリシーとでも言おうか。お前たちがどう生きるかはお前たちの自由だ。だが、覚えておけ、目立っていいことは何もない。コレが真理だ」と。

 くすのきが繁盛し始めて二十年、真一は四十四歳、浩二は三十八歳、健三は三十四歳になっていた。隆一郎と富江は同い年で、ちょうど七十歳になっていた。老人会では若手と言われている夫婦でそれが目立つからということで、隆一郎は老人会をやめようと富江に何度も言った。

 富江は、自分たちより若い人を入れればいいのよと言い、二軒隣の長谷川修平はせがわしゅうへいを老人会に誘った。月の会費は千円、それは誘った楠夫妻が持つからということで、長谷川は六十六歳の若さで老人会に加入した。

 昨年、長谷川の妻・裕子ゆうこが行方不明になった。二日後、長谷川の自宅から30分ほど車で行った山林の雑木林で、裕子の頭部が発見された。長谷川は腕のいい製版技師で印刷会社を中学卒業から五十年近く勤め上げた。最近はフィルム製版はなくなりTCPに移行し、最近では安い早い簡易印刷ベンチャーの台頭で印刷会社は苦境に陥っていた。

そんななか、共に会社の成長を支えてきた二代目社長からアドバイザーとして継続して勤務できないかと、昨年打診された。だが、長谷川は六十五歳の定年をもって退職することとした。

 裕子と一緒にこれから旅行にでもと思っていた矢先に行方不明となり、無残な姿で発見された。首だけが発見されるというショッキングなニュースは世間を騒がせたが、1週間もすると忘れ去られた。初めかそこに何もなかったように。世間の関心ごとは、ただそこにあるものが見えなくなることで、あたらしいものが見えるようになっている。不自由な装置だ。

 長谷川は二軒隣の楠木夫妻と懇意にしていた。長谷川家には子供はいなかったが、楠夫妻とは話が合った。

 裕子は子供ができないことで悩んだ時期もあったが、富江のあっけらかんとした性格が好きで付き合いを始めた。長谷川家と楠家は真一が小学生になった頃からの付き合いだった。

 裕子が残酷な殺され方をして心を痛めたのは長谷川だけではなかった。楠家でもその悲しみは深く、真一・浩二・健三の三兄弟はその知らせを聞いて絶句した。リアリティのない日常、非日常が紛れ込むとそれを言葉にしたり、分析などできないと真一は思った。言葉が出ないのだ。

 裕子の死後、長谷川は家に引き篭もるようになった。そんななか、隆一郎からはふさぎ込まずにと、老人会でもという誘いを受けた。長谷川はしぶしぶ老人会に加入した。裕子のことを忘れる瞬間があるのが怖いと思いながらも、長谷川はまだもう少し続くはずの人生をどう締めくくるのかを思いあぐねていた。

 隆一郎は長谷川を自宅に呼んでは、食事を共にした。こういう時に料理をふるまうのは決まって富江だった。隆一郎の料理は売り物、それを無償でふるまうのは他の客に悪いと言う考えだった。富江はやせ細った長谷川に栄養をということで、店ではあまり出さないミルフィーユかつを長谷川によく食べさせた。バラ肉を薄く何層にも重ね、その重ねる肉と肉の間にニンニクのすりおろしを擦り込む。富江はショウガも臭み消しに擦り込んでいた。紫蘇を入れたり、チーズを挟んだり、梅をつぶしたものをソースにしたりと、富江は工夫を凝らしていた。隆一郎のアイデアでもあった。

 長谷川はうまいうまいと、富江のミルフィーユかつを大絶賛した。老人会終わり、月に一度は楠木夫妻から食事によばれるため、長谷川は手土産に日本酒を持参した。印刷会社時代の取引先の日本酒だ。純米大吟醸、少し値は張るが老人会の会費も出してもらって、メシも食わせてもらっている。これくらいの出費は、礼として必要だと長谷川は考えていた。

 7月7日、七夕だった。老人会の帰り、長谷川は二軒隣のくすのきで食事をし、日本酒を三合、ビールを中瓶二本を飲んで気分よく家に帰った。くすのきから歩いて二分ほど、家に帰りドアをあけるなり強盗と鉢合わせした。手には何も持っていない。目出し帽に両手は軍手、ジーンズに土足。スニーカーで廊下をウロウロしている。長谷川は玄関の傘を咄嗟に手にし、強盗に向かって突き刺した。前のめりに転びかけた長谷川は思いのほか突き刺す力が入りすぎ、強盗の眼を突き刺した。大きな声が上がることはなく、ぐぅっ、と重い息を吐き出すようにして強盗は倒れた。

 長谷川はそのまま玄関にあった、花の入っていない花瓶で強盗の頭を打ち付けた。何度も何度も。酒に酔っていた分、理性が本能を抑え込むことはなかった。本能むき出しで、「敵」を殺した。血まみれの目出し帽をゆっくりとはがす。強盗はまだ幼そうな少年だった。鼻から顎にかけてぐしゃぐしゃにつぶれていたが、財布には高校の学生証が入っていた。昨日は購買部でパンを買ったのか、レシートが財布に入っていた。この少年は昨日までは他の子供たちと同じように、日常の中にいた。薄く黒い線を踏み越えたら、そこは非日常だった。長谷川も同じだった。一方は死に、一方は死を与え生き残った。

 二階で誰かが歩いている。通話をしながら部屋を物色しているようだ。もう一人、二階に強盗がいると長谷川は瞬時に察し、キッチンに移動した。酒はすっかり抜けていた。

 二階にいたもう一人の強盗は一階での物音に気付き、階段を降りてきた。階段の左手、廊下で目にしたのは血だらけで倒れ込む仲間の姿だった。目出し帽が取れている。その凄惨な様子に息をひゅっと飲んだ。リビングに置いたバールを探した。キッチンを抜けて、リビングに入ろうとした瞬間もう一人の強盗は首に暖かいものを感じた。スノボでロッジまで降りきったときに、暖かい缶コーヒーを押し当てられたような。

 長谷川はもう一人の強盗の首を刺し、その手をひねり、抜いた。頸動脈はモチモチのパスタみたいにプリっと切れ、ひねった手には生き物の最後の息吹を感じた。失われていく生き物の命がそこにあった。すべてを掌握した満足感を長谷川は感じた。

 包丁をぐりっとひねり、躊躇なく抜くとホースに空いた穴から噴き出る水のように、まっすぐ勢いよく血が噴き出た。裕子の名前を刻印した包丁だったが、この一年、料理らしいモノを作ったことはない。最後に裕子がこの包丁を握っていたことを思い出せない。捨てられずにいた包丁、こんなところで“役に立つ”とは。裕子の名前が刻印されていなければ、とっくに包丁自体を全て捨てていただろうと長谷川は思った。

 もう一人の強盗は大学生だった。近くの私立大学工学部の学生だった。まだ二十歳だった。学生証と免許証でわかった。未来ある若者を一晩で二人も殺めてしまった。正当防衛というには、適切ではない。もともと長谷川が二人を殺害することを予定していたかのような見事な殺害手腕、そこにあったのは長谷川の狂気ではなく、その時を待ってたと言わんばかりの冷静さが漂っていた。長谷川はこれまで生きてきた自分の必然性をこの二人の殺害のためだと感じ、自分を正当化させた。そして考えた、裕子を殺した犯人も同じ気持ちだったのかと。そこに、あってはならないはずの“シンパシー”のようなものを抱き始めていた。

 長谷川は、二人の遺体のうち高校生の遺体の首を落とした。不思議と罪悪感が湧き上がらなかった。このままぼぉっと自宅に帰っていたら、こうなっていたのは自分かもしれない。裕子を理不尽に殺害され、自分までも、そう思うほどに怒りがこみ上げ怒りのやり場に困った。どこまでも湧き出る怒りは、若い頃の性欲にも似ていた。何度してもしたくなる。それに近いものが、今自分の中で蠢いていた。その衝動は自慰を覚えたての頃の自分と重なる。次もしてみたい、すぐに。我慢できない。長谷川は自分の輪郭がこの年になって見えてきたことに怖れを感じつつも、暖かく迎え入れた。

 高校生の首から下は、関節単位で斬り落とし、細かく刻み庭に埋めた。首は妻が発見された場所の近くに置いた。市道に抜ける山道、キャンプ場の手前にある雑木林だ。もう一人の大学生の遺体はしばらく放置していたので、腐敗が進んでいた。長谷川は、大学生の首を落とし妻と高校生の首の近くに捨てた。高校生の首を遺棄してから三日後だった。だが誰にも発見されなかった。大学生の体格は良く、ラグビー選手のようながっしりとした筋肉が鎧のようにまとわれた身体だった。解体に苦労したものの、なんとかバラバラにし、通販で買ったミキサーで粉々にしてはトイレに流し捨てていた。トイレが詰まりそうになるので、時間をかけて処理していた。

 靴や衣類は小さく裁断して、庭で燃やして処理した。幸いにも庭のある右隣家は先日から入院していた。庭で何か燃やしている、といったクレームが入ることはなかった。

 裕子の首が見つかった場所に、二人の強盗の首を遺棄して一か月後。月初の老人会の日に高校生の腐乱した首が見つかった、そしてその場所から二百メートル離れた小川の側でもう一人、大学生の首が見つかった。動物が運んだという記事が翌朝の新聞には書かれていた。二つの首は身元の判別が困難なほど野生動物に食い荒らされていた。

 長谷川は冷静だった。首を斬り落とすアイデアは、裕子をいたぶり殺した犯人へのメッセージだった。

 警察は同じ犯人だと断定する、模倣犯とはならない。長谷川が妻の首と対面してときに、犯人だけが残す勲章のような“しるし”を見つけた。それは警察からは発表されていない。警察や検察、鑑識、解剖医の口は堅い。情報は漏れない。つまり、一般人でこの情報を知るのは、長谷川自身と犯人しかいない。長谷川はこの“しるし”を二体の首に刻んで、遺棄した。

 犯人は「その殺しは俺じゃない」と、メッセージをどこかで出すはずだと長谷川は考えた。他の誰かを殺害して、メッセージを出してくるはずだと長谷川は思った。長谷川は妻を殺したヤツを見つけ出すために、強盗の首を利用した。この日を待っていた。このチャンスを。

 老人会の帰りに、隆一郎は長谷川を自宅に誘った。いつもの食事会だ。長谷川は怪しまれるのを避けるために、食事会を断らずに参加した。手土産の日本酒と塩漬けにした肉の塊を持って、二軒隣のくすのきに行った、10月3日午後の五時十二分だった。立崎市所轄の刑事・相模慎太郎さがみしんたろうは合同捜査説明で熱心に資料に目を通していた。

 11月2日、長谷川修平の遺体が妻・裕子の首が発見された雑木林で見つかった。首だけだった。首から下、胴体以下はまだ見つかっていない。死亡したのは10月初旬ごろ、死因は首を切断されたことによるものだが、直接の死因は不明。

 長谷川の妻・裕子、高校生の少年、大学生の男性、そして長谷川修平、同じ場所で四人、しかもうち二人は夫婦。長谷川家への怨恨?それならこの高校生と大学生は誰なのか?身元がまだわかっていないからなおのこと、長谷川家の身内の可能性もある。相模は考えを巡らす。三年前、交番勤務からようやく刑事になれた。しかも、殺人を扱う一課。凶悪犯にも遭遇したこともある。一課ではまだ若手のポジションだが、それなりに経験も積んできている自負があった。

 相模は、長谷川が最後に訪れた定食屋くすのきに客を装って入店した。もしかしたらこの夫婦がと疑う話は、捜査本部でも出ていた。他の客の評判はよかった。夜にも顔を出したが、何度通っても常連のように、いつもの、ではオーダーは通らなかった。

 その後合同捜査本部は、任意で楠夫妻の事情聴取も行ったが、この夫婦にはアリバイがあった。長谷川を呼んだ日、息子の真一夫妻が来ていた。家族水入らずだと、真一もどこか気まずい。真一は長谷川とは久々の再会だったが、いてくれる方がよかった。真一の妻典子は富江と折り合いが悪かったからだ。典子に良心のことを批評されて口論することが多かった。紀子がよく言った、あなたの親は異様なの、と。典子の言う通りだった。だから、反論したくなるのだ。子どもの頃から感じていた違和感。それを典子はもう感じとっていたからだ。たしかに両親の醸し出す空気感がどこか異様に感じていた、真一は言葉にできないつっかえのようなものを喉の奥にいつも感じていた。

 相模は捜査本部の資料をくまなく目を通した。長谷川の血痕やその他証拠の類はこの店からは出ていない。関係性も良好で、トラブルの痕跡もない。妻の富江に至っては、ショックで床に伏せていると言う話だった。

 そして、長谷川夫妻、高校生・大学生の四件の惨殺事件は未解決のまま五年が経った。関西の京都・大阪・滋賀の合同捜査本部は、京都だけとなり形式上残っていた。事実上の解散だ。捜査員も兼任で他の事件にあたっている。そして事件の記憶は風化していった。楠木家の長男、真一だけはこの事件の真相を追いかけていた。両親が殺人の汚名を着せられ、逮捕すらされてもいないのに殺人夫婦として、ひどくバッシングを受けた。マスコミの報道もいかにも、この夫婦が犯人であるかのように騒ぎ立てた。 事件と無関係であることが朝のニュースで報道されたが、定食屋くすのきへの誹謗中傷は収まらなかった。事件から一年後店は閉店し、両親は老人会の出入りを禁じられた。楠木という苗字は珍しい。来年から小学校に上がる息子に何かあっては困る。真一は両親の汚名を晴らすために、捜査本部へと足を運んだ。当時の刑事、相模に会うために。

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