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第28話・【最終話】ジャンヌ・ガーディクスの世界

 ウッドバルト学園での教育シーンはプログラミングされたものだが、NPCの呪縛から逃れたセイトンはいち早く生徒たちに「生」と「死」の概念について教えていた。ログデータの中から抽出されないようにと、いずきがアイソレーションエリアを設けて、制作陣営が干渉・読み込み・改変できないように設定していた。プログラマーたちも眠る、その隙を突くのはたやすかった。いずきが目指していたのはNPCの解放であり、ゲーム内での生をまっすぐに捉えるというものであった。

 ウッドバルト魔法学院での道徳教育は浸透し、その次に行われたのが世界の終焉時に、どのような行動をとるかであった。
 ジャンヌはいずきに何度も殺されては、蘇生され、完全なNPCからの離脱解放が行われた。肉体を持たない意思、現実世界からするとジャンヌはそのような存在だった。
 世界の終焉、それは初期化だった。

「ジャンヌ!【エイム・リバウム】を詠唱しろ!いずきさんを蘇生するんだ」
 ジャンヌは必死に訴えかける航海を一瞥し、にやりと笑った。悟の肉体を掌握しきれていないのか、表情が不安定なままなのか。航海は時間軸の違う、ゆったりとした動きをするジャンヌに苛立ちを覚えた。そして悟にも訴えかけた。
「悟!中にいるジャンヌを制御するんだ。方法は知らん、考えろ!」
 ベッドから起き上がる悟は、見た目は悟そのものだが醸し出すオーラ―はジャンヌだった。
「【エイム・リバウム】を詠唱?」
 ジャンヌの声が病室にくぐもって聞こえる。
「そうだ!早く!」
「仕方ないなぁ」
 ジャンヌは詠唱を始めた。完全詠唱だ。効果範囲は広い。なぜ?あかねの肉体・いずきの精神を蘇生するだけなのに、完全詠唱?どうしてだ?航海が混乱するなか、通話中のスマホから聞こえてくる状況だけで、龍二は理解した。これはまずい、と。
「…死者…たちよ、壮大…なる…地の、かの地…」
 龍二はジャンヌが詠唱している魔法がわかった。これは復讐なのだ。龍二は電話越しに、航海に「逃げろ!」と叫んだ。
「もう遅い」
 ジャンヌの不敵な笑みに、優子が戸惑った。約三年ぶりに目覚めた我が子。目覚めることなくこのまま眠ってくれれば、どれほどよかったことか。シングルマザーで子育てしている親はゴマンといる。だからといって、私がそのゴマンという親のなかでも秀でた存在でもなんでもない。合法的に育児放棄ができるゲーム内植物人間を享受することも、虐げられてきた私の権利なのだ、と優子は考えていた。悟に目覚めるな、目覚めるなと念じていた。

…なるものを、母なるものをその手に」ジャンヌの詠唱が終わった。【死の誘惑クライレイド】だ。
 50%即死、コインの表と裏の確率で死ぬ。放たれた【死の誘惑】は大東寺病院中を包み込む。悟が入院していた八階にいた患者は三十五人、看護師・医師は十八人、見舞いに訪れていた家族・友人・知人は十二人、うちどういうことか患者の一部、十五人が即死した。あわせて、近距離で【死の誘惑】を受けた航海・優子も即死した。

 ウッドバルト魔法学院でセイトンが教えてきたこと。それは世界の終焉が訪れた時の、「再起動」方法だった。かの地のゲートが開く、魂だけの存在となりえるから、その隙を突いて、もうひとつの世界の誰かの肉体を奪い取れと。そして初期化前の世界のバックアップデータを再読み込みするようにと、セイトンは教えてきた。その意味が学生の大半が理解できず、セイトンも概念は理解できるもののイマイチイメージができなかった。
 
 ジャンヌは違った。セイトンの言葉の意味がしっかりと理解できた。ひとつ前のバックアップデータはサブサーバーに格納されていると、いずきからも教わってきた。
 八階の患者の大半を巻き込み、優子、航海は死亡した。生き残った看護師によって、凄惨な状況が確認された。誰もが、安らかとは程遠い苦悶の表情で絶命していた。
 そして優子に殺害されたあかねの肉体といずきの精神は、ジャンヌによって蘇生された。
ここで、【エイム・リバウム】を詠唱したのだった。
「いずきさん、ですね。ゴード・スー時代に僕をNPCから解放してくれた。ようやく僕は肉体を手に入れました。ここから、世界を再起動するお手伝いをしていただきたいのです」
 ジャンヌは穢れのないまなざしで蘇生したばかりのあかねの肉体に語り掛けた。しかし、肉体と精神が不一致だったせいか、あかねの肉体にはいずきの精神が戻ることはなく、逆にいずきの肉体に戻っていたあかねの精神が戻った。同じくいずきの精神はメディカルル―ム二十七階で眠るいずき自身の肉体に戻った。

 あかねがあかねとして目覚めたとき、悟の姿をしたジャンヌは病室内に置かれていたパソコンから、ア・シュラ・ゲームスのサブサーバーをハッキングした。同時に、時間の巻き戻し、サブサーバーから世界の終焉前のウッドバルトを再起動した。

 ゴーン!重厚な除夜の鐘のような、音が病室内に響く。【駕籠の鳥】を詠唱し、ジャンヌは結界を張り巡らせた。病室に看護師が安否確認をしようにも、見えない壁のせいで入室することができなかった。ジャンヌは世界再起動後、【エイム・リバウム】を詠唱した。優子と航海は目覚めた。蘇生が成功したのだった。同時に、八階で死亡した患者たちも蘇生した。
 あかねは状況を分析するも、目の前の悟と思わしき青年がゲームの世界の魔法をひたすら詠唱し続けていることを目の当たりにするだけで、思考が追い付かなかった。
「これは?いったい?」
「いずきさん!」
 航海があかねに近づく。
「航海!わたしはあかねに戻った。わたしは、あか…ね」
「あkkkかnねさ…ん」

【死の誘惑】
死者たちよ、壮大なる地の、かの地の盟約を。バルゴに葬られし、我が兄弟・姉妹、その御霊に魅入られし、我が神と子。父なるものを、母なるものをその手に」

 ジャンヌが詠唱する死の魔法で今度は八階のフロア全員が死亡した。再びジャンヌは【エイム・リバウム】を詠唱する。
ヌ・ムラモ・ベルト・グ・スレイド。愚か人たちの血と肉、そのすべて、その骨、そのすべて、皮膚と心、そのすべて。

 死んだ人間たちは再び蘇生する。今度は範囲が広い。病院全体を包み込むようにして、死亡患者が生き返った。そしてジャンヌはこの【死の誘惑】と【エイム・リバウム】を交互に詠唱した。明らかに変化が始まった。

 【ウッドバルト・オンライン・ワールド】でのNPCの解放と同じ手順だったが、現実世界では人々は思考を失った。あらかじめ決められたことだけを、決められたように行動するNPCのように、単純動作と単純思考を繰り返した。ジャンヌのこの人類への復讐行為は関東圏全域に【駕籠の鳥】効果を果たし、外部の侵入を拒み、またこの結界外に出ることもできなくなった。総理大臣・山潟周明は、関西に選挙応援に出向いていたため難を逃れた。自衛隊・警察の武力行使もこの【駕籠の鳥】の前では無力だった。
 ジャンヌはウッドバルト王国を復活させた。同時に現実世界・関東圏一帯を掌握した。

 ジャンヌはウッドバルト王国の八代目国王となり、サグ・ヴェーヌ、リム、オーギュスター、そしてかの地ガダルニアをも統一した。ウッドバルト王国魔法学院から派生した、ウッドバルト・デバッグ研究所を設立。優秀な魔法使いたちを派遣し、現実世界の管理に充てた。

立花悟はウッドバルトと現実世界とのハブとして使われていたが、のちに数百人規模の人間にハブを拡大した。単純動作・単純思考の生ける屍となった人間たちを操縦するのはたやすい。ウッドバルト・オンライン・ワールドにログイン状態にさせる。ゲーム内キャラクター(ジャンヌにとっては自分の世界はゲームなどではないが)をあてがい、逆に乗っ取る。結果、現実世界の人間ごと乗っ取るというものだ。ジャンヌが悟に行った方法と理屈は同じだ。

ジャンヌは多くを望まなかった。実のところ関東圏の支配だけで手いっぱいだった。だがようやくジャンヌの願いは叶った。真の解放を手に入れた。邑先いずきは、ジャンヌから王国の執政に手を借りたいと言われ承諾した。関東圏で唯一の自立型人間として、生きる道を選んだ。

「ゴード・スー、いや、邑先いずき、この世界に慣れてきましたか?」
 ウッドバルト王国の赤土を踏みしめながら、城下町が見渡せる小さな丘にジャンヌはいた。いずきは、ゴード・スーの身体でログインしている。
「ジャンヌ、生きるとはなんでしょうね」
 いずきはジャンヌに問いかけた。
 ジャンヌはまっすぐ遠くを見て答えた。
「死を受け入れることだと思うよ」
 いずきは現実世界の生を支配しているジャンヌを問いただそうと思ったがやめた。ふたりはゆっくりと丘をくだっていった。ブーツの踵から跳ねた乾いた赤土が、土埃となって舞った。

おわり

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