【短編小説】埋める、悪党
どうにもこうにもおっかねぇ。小学校の通学路にまた、ひび割れができていやがる。
独り言が呼吸するように出てくる井坂玄治はこの道三十年のベテランだ。腰に巻いている道具入れには、時間パテと角ゴテだけだ。左官屋から埋め屋に仕事替えしたのは、時代の流れだ。だから厳密には左官屋二十九年、埋め屋一年の経歴。埋め屋になってからの方が、施主にゴタゴタ言われることもない。
その辺の道端の時間ひび割れならをパテ埋めして、二万円。半日仕事で市から支給される。時間裂け目なら、丸二日仕事だ。時間パテじゃ足りないから、時間セメントを練って本格的に埋めきってしまう。だいたい七万円の仕事だ。
玄治は去年から埋め屋になってからというもの、羽振りはよくなった。といっても、左官屋時代のように見習いや職人を雇って、仕事をでかくしようなんて思いもない。身の程を知る、玄治が五十を過ぎてからの人生訓としている。
通学路のひび割れは手ごわかった。長さ八十センチほどだが、ひびの割れ方が大きい。ここから、何かが出入りしたのかもしれない、玄治は埋まりにくい時間ひびに時間パテを入れながら、これは時間セメントもいるなと考えていた。
その時だった、時間ひびの隙間を手のようなものがつかんでいる。
「助けてください。ここから出してください」
人語だったし、標準語だった。
「てめぇ、うるせぇ」
玄治は怯まない、いつもの威勢でぶちかます。
「気が付いたら暗い穴の中にいて、そしたら明るい光が見えたから、そっちに向かって」
「てめぇ、この野郎。自分語りしてんじゃねぇ。おい!出てくんじゃねぇ」
玄治は時間ひびをつかんでいる手のようなものに、タバコの火を押し付けた。そのあと、その足に何度も蹴りを入れた。
「熱い、痛い、どうしてこんなひどいことを」時間ひびの裂け目をつかんでいる指のようなものの奥から聞こえた。
「このよぉ、ひびは、時間ひびなんて呼んでるが、なんてこたぁねぇ。わりぃやつの墓場なんだよ。悪人が出てきちゃぁ困るんだ」
玄治は二本目のタバコに火を着けた。高速で角ゴテが動く。時間セメントで埋めていく。
「私が悪人だなんて、ひどい」
玄治はタバコの息をぶぁっと、時間ひびの隙間に流し込んだ。
「ほら、てめぇは、この小学校のあたりに埋めたから、あぁ、センコウだな。校長だったよな?」
玄治は手のひらぐらいの小さい手帳にびっしりと書き込まれたメモを見た。ページごとに名前、年齢、当時の仕事、やったこと、どこに埋めたかが書き込まれていた。
「てめぇは、あぁ。極悪人じゃぁねえか。いじめられてる子どもを、えっと、放置して。あぁ、イジメを放置したんだな。で、なかったことにしたってやつか。その子は転校して、えーーーっと、字がちいせぇ」
「そ、それをどうして?」
「思い出せよ、俺がてめぇをこの通学路に埋めてやったんだろうが。子どもたちに踏まれて生きていくためによぉ」
イジメはその内容によってはマスコミでも報道する。大々的に報道することもあるが、たいてい初動の報道で終わり。追っかけはしない。裁判沙汰になった場合でも、そのプロセスは追いかけない。判決が出てもだ。関心のある親や子どもたちは、次第にそのイジメのニュースを忘れていく。そしてまた新しいイジメのニュースを目にする。だが、そこにはひとつ世間の思い違いがあった。
マスコミは報道したくても、報道できないのだった。それは、イジメに加担した人たちは例外なく、全国の埋め屋に時間の牢屋に埋められるからだ。
「俺はよぉ、おめぇらみたいなやつら、嫌いじゃねぇ。人間臭くていいじゃねぇか。聖職者なんてなぁ、教師にもとめちゃぁいけねぇ。働いて金もらうだけの仕事、それは誰でも同じだ」
「だから、何だと言うんだ」
時間の牢屋にいる男は語気を荒げた。
「だけど、仕事にはよぉ、信念つーか、ポリシーじゃねぇか、何て言うか、明るい方を正解にしなくちゃならねぇんだよな。だから、校長先生はあれだ。暗い方を選んだんだよな。イジメを隠蔽するっていう方法をよ」
玄治が時間ひびに引っかかっている指を踏みつけて剥がす。
「ぐぉぉぉ」
「出てくんじゃねぇ、そこは時間が無限だ。永遠の命だな。そこで反省するのか?わかんねぇ。後悔するんかな、そうでもねぇか。ただ、生きろ。そこで、惨めに生きろ。しなねぇし、死ねねぇ。らしいぞ」
玄治は最後まで残った親指らしい指を剥がして、時間ひびの小さな部分を時間パテで埋めた。
「イジメでここまでやんなくてもよぉ、って思うかもだけど。まぁ、仕方ねぇよな」
玄治は角ゴテに付いた時間パテとセメントを拭き取って、腰の道具入れに片づけた。
下校中の小学生たちが歩いてきた。玄治は工事中のコーンを外した。
「おじさん、もうここ歩いていいのぉ?」
「おうよ、いいさ。朝は悪かったな。やっと工事終わったぜ」
子どもたちが埋めた時間ひびの上を駆けていく。踏みしめられるたびにその振動は、時間牢獄に痛みとして伝わる。
痛てぇだろうな。おーこわ。まぁイジメた奴はもっとひどい目に合うんだろうなぁ。そいつは大人になってから埋められるんだろうけど。それは、時間牢獄なんてもんじゃねぇよ。
小学生が玄治の近くに走ってきた。
「おじさん、あっちの地面、ひび割れしてて
なんか、変な声きこえるよ」
玄治は吸おうとしたタバコをそっとしまった。
「ありがとよ、お嬢ちゃん」
「おじさん、穴に誰か落ちたのかな?」
「そうだな、ありゃぁ深い穴だろうなぁ。声しかきこえねぇんだからな」
小学生の女の子は、玄治の話を聞かず走り去った。
たしか校門前の穴は、そうだそうだ。イジメばっかしてたあの男か。だいぶ暴れたからなぁ、大変だったな。思い出したわ。
イジメた奴はまぁ、そいつは大人になってから埋められるから、骨が折れるんだよ。
“イジメを隠蔽したり助長した教員、イジメをした加害者は厳罰化され、時間牢獄に埋められる”という法案が通ってから六年。当時の小学生が十八歳になった去年から本格的に施行された。
今年、俺が埋めたのはイジメをなかったことにしようと隠蔽した校長、自身がイジメを助長していることを確信犯的に行っていた担任、イジメをしていた本人の三人だった。周りでイジメを見て見ぬふりしていた子どもたちは指導をされたようだが、特に罪に問われることはなかった。
人権派たちはこの法案に反対していたが、加害者よりも被害者の救済をというシンプルな理屈と道徳の前に賛成へと翻るほかなかった。
それでもイジメはなくならない。増えてこそいないが減っているということもなかった。
玄治は穴がぽっかり空いた校門前に火のついたタバコを投げ込んだ。五秒ぐらいしてから
「アチッ」
と男の声がした。
「おーい、今から穴埋めてやるけど、こりゃぁ二日はかかるから気長にな」
「助けてくださいよ―――」
さっきと同じような、助けを求める声がする。玄治はタバコに火を付けて
「うるせぇ、馬鹿野郎!てめぇは、出てこなくていいんだよ」
「あなたが、僕を罰するなんて、傲慢だ。正義の味方気取りか!」
穴の中から男の声がする。
「イジメみたいな恥ずかしいことする奴は、穴があるんだったら入りたい、ってならないもんかねぇ。殊勝な心掛けってもんがないんだな。こいつら」
玄治は大きく息を吸い込んで一服した。
「この、クソ野郎、出しやがれ」
「いよいよ、本性が出てきたな。さて、臭いモノには蓋でもするか。じゃぁな、クソ野郎はてめぇだよ」
玄治はあと少しになったた火のついたタバコをまた穴に投げ込んで、捏ねた時間セメントで埋め始めた。