【連載小説】フラグ<第三話>
CASE1:副島遥からの依頼<2>
事務所の一階にある喫茶店「あらかわ」。店の前には多肉植物がずらりと並んでいる。まっすぐな枝みたいにしかみえない「カウボーイ」ってのが俺のお気に入りだ。多肉植物は人気があるらしく、店前に置いておくとよく盗まれるらしい。マスターの荒川さんが「身近に盗っ人がいるってことだろ」と不信感たっぷりの顔で珈琲を淹れていた。
盗っ人は、盗む人って書くからまぁ人なんだよな。殺し屋ってのは、屋だからな。店か?そんなことを考えながらマスターの話を聴いていた。引っ越しをしてから、自分で珈琲も豆から挽いて淹れてみたがどうにもうまくない。事務所の階段を降りると珈琲豆のいい匂いがした。匂いじゃないな、香りというのが正しいんだろう。マスターの淹れてくれる珈琲はうまかった。その日から俺は「あらかわ」の常連になった。
副島大吉とは「あらかわ」で待ち合わせした。事務所だと警戒するからだ。相手もプロの殺し屋、椅子に毒針・飲み物に毒物・ドアを開けた瞬間射殺・背後からナイフで・取り囲んで拷問、まぁ色々考えられる。警戒心を解いてもらいながら会話するには、「あらかわ」で会うのが妥当だ。副島大吉に連絡をすると、俺のことは知っていたようだ。神崎スガルは意外と有名人らしい。デュークはうぬぼれるなって、ほっぺたをつねってきたが。
とにかく、足を洗いたいっていうのはヤクザの言い方だ。俺たち殺し屋家業も会社に勤めるタイプなら「退職」っていうのが普通だ。世の中のサラリーマンたちと同じだ。月給もらって働いてる。社保だって完備だ。
ただ殺し屋自体をやめたいってのなら、ちと違う。「退場」っていう。副島大吉は殺し屋稼業からの退場を希望していた。
まぁ、そう簡単に“会社”が許してくれるとは思えんし、業界から逃げたものは業界に追われるってのが常だ。どんなに誓約書を書いたとしても、今までの処理した対象、事案をどこかにリークされたら“会社の経営”も揺るがしかねない。逮捕者がたんまりと出る。
副島大吉は会社ではMVPを獲るほどの優秀な人材のようだが、業界のなかではまだあまり知名度はない。銃は使わず、短刀二本の両刀使い。某国のコマンド部隊で手斧二刀流が流行ったことがあったが、アレはだめだ。せめて利き手は手斧、もうひとつの手はカモフラージュ用に使うのが基本。フェイントをかけたり、相手の視界を塞いだり、髪を掴んだりと。防御用としても利き手の反対は開けておいた方がいい。まぁそもそも手斧は携行しにくい。
副島大吉があらかわでの待ち合わせに難色を示したが、おそらくマスターや客ごとグルで殺害されるのでは?と勘繰ったようだ。午前中は近くの老人の常連が多い店だ。素人のいるところで、殺しはできないだろ?と電話口で副島大吉に言うと納得してくれたようだった。マスターのナポリタンが絶品ってことを念入りに伝えたことが、後押しになったようだ。副島大吉は入店するなり、俺の前に一礼して座った。注文を取りに来たマスターの奥さんに「ナポリタンとメロンソーダー」と迷いなく言った。
デカい男だ、二メートル近い身長。皮張りのツーシーターのソファーが小さく見える。
「私、フラグの神崎スガルです」
「あ、はじめまして。副島大吉です」
「フラグ?神崎さん、転職したんですか?」
「いやぁ、フリーランスですよ」
マスターがフライパンにトマトソースを流し込みウィンナーとタマネギとピーマンを煮炒めする音が聞こえる。ケチャップの炒める香りがキッチンから漂う。確かにうまそうな香りだ。目の前にまだなくても、食べる前からウマいとわかる。
「で、副島さん、要件というのは奥様からでして」
「そうでしたか、てっきりスカウトかと思って。“どんぐりおそうじ商会”にスカウトされるのかと」
どんぐりおそうじ商会は、俺が辞めた殺し屋の会社だ。おそうじってところに、社長の正義感というか後ろめたさを感じる。ちなみに社長の苗字が団栗なのだ。
「いや、すみませんね。私も退職してまして」
「でも、消去はやめてないんでしょ?」
消去とは俺たちの業界の隠語だ。簡単に言うと殺しだ。
「そうですねフリーランスですから」
「副島さんは退場したいんですよね?奥様から聞きました」
「はい、給料はいいですし待遇も」
「え?そんなにいいんですか?」
スガルは食い気味に言った
「いいですよ」
『よしなよ、スガル。みっともない』
デュークがスガルの隣に座っている。副島大吉には見えていないようだ。
「で、奥様から副島さんを消去するように依頼がありました」
副島はそっとマスターの奥さんが運んできたクリームソーダ―のチェリーを避け、ストローでアイスクリームを吸い込んだ。ズズズボと行儀の悪い音を立てた。
「で、どうするんです?」
「こんなところに呼びつけて消去ってことはしませんよ。奥様、遥さんが理由の部分を教えてくれないもんで。まずは副島さんをお呼びして、消去するかの判断にしようかと」
「随分正直ですね」
今度はマスターがナポリタンを運んできた。パスタが炒めあえされていて、トマトソースとよく絡んでいる。
「あ、どうぞ、熱いうちに」
スガルは副島大吉にナポリタンをすすめた。
『ねぇーあたしも食べたい』
「お前は食べらんないでしょうに」
『食べられるよ。フラグだけじゃないよ。主食はスガルたちと同じ米だよ』
知らなかったデュークに主食があるなんて。副島大吉は無心でナポリタンを頬張っていた。
パスタから飛び散るトマトソースが副島大吉の白いワイシャツに飛んだが、シミにならかった。
「それ、プロテクターシャツ?」
「ええ、支給品ですけど」
「えぇ、いいなぁ、それ返り血もつかないシャツじゃん。うわぁーいいないいな。俺なんて返り血浴びない訓練めちゃくちゃ受けさせられたからなぁ。でも、返り血が出にくく消去することって、意外と相手からの反撃にも合わないしいいんだけどな」
副島大吉はフォークを置いた。メロンソーダーのフロート部分は溶け、濁った緑色の飲み物に変わり果てていた。グラスのフチには水滴がびっしりと付いていた。
「神崎さん、僕を殺してください」
副島の眼は真剣だ。
「ちょ、ちょっと、ここのマスター地獄耳だから、隠語で話してよ」
キッチン奥からマスターの声がする。
「誰が、地獄耳だって?」
「ちがいますよー。マスター四国観に行ったって話したんですよ。“しこくみに”って」
「あぁ、お遍路さんね」
マスターから、突然おもちゃに興味をなくした子どものような返事が返ってきた。
「で、消去しろって、自分から言うかね」
スガルは副島の大きな手を見た。これは手斧が無くても、この手自体が斧みたいなもんだなと。手刀、張り手で相手を圧倒できるだろう。戦うとなったら厄介な相手だ。殺してくれというのなら、これほど楽なことはない。それで報酬をもらえるなら、流石フリーランスだ。バンザイフリーランス!
ジロリとデュークが俺を見た。ツインテールに飽きたようだ。ショートカットの女子高生風。今日は私服バージョンか。ショートパンツ姿は、やめて欲しい。スカートの方がました。あぁ顕在化されたらマスターと奥さんの誤解を解くのが面倒だ。
「あのー、神崎さんの隣に座っている方って、お子さんですか?」
え?見えてたのか、ん?なんだコイツ、見えるのか?
「見えるんですか?」
『聞こえるの?』
俺とデュークが声をかけた。
「ええ、彼女最初からずっと座っているようなんですが、奥さんもマスターもなんだか気づいていないと言うか、見えていないみたいで。
死神が見える条件は、
・俺みたいに死神にとり憑かれている
・死を覚悟したとき
のどちらかだ。副島の死神は見えない、つまり副島は死神にとり憑かれていない。ということは、副島大吉は本気で死を覚悟しているのか。
「この子は、俺の娘だよ」
『妻です』
「娘」
『妻』
「あの、まぁ複雑なご関係ということはわかりました。で、本題から逸れているような気がしますが…」
「副島さんを消去するか、遥さんの依頼を受けるかどうかですよね」
「ええ」
副島はぐちゃぐちゃにかきまぜたメロンソーダーをグラスごと飲み干した。底にはまだ溶けずにいる氷が四つ、そのすき間にチェリーの種と軸が見えた。
「受けませんよ」
『そうなの?』
デュークが不満そうにスガルを見た。
「調べました。奥さん、遥さんはこの仕事をめたくない」
「私は一緒に“退場”したい。そうしないと頭がどうにかなってしまいそうだ。いつか自分も狙われる。この数年ぐっすり寝たことなんてない」
「遥さん、わかってるんじゃないかな。ねぇ、“退場”しても狙われるって」
「それでどうして、僕を“消去”したがっているんですか」
「わかんないかなー。“消去”したことにしておくんだよ。だからフリーの俺にたのんだってことか」
『そうかー。辞めたがっている大吉さんだけでも逃がすために、スガルに頼んだってことか』
「そうそう、俺んとこ来たって噂はもう回ってるだろうし、俺がまさかこの案件を請けないなんて誰も思わないだろ。なんてったって金がないんだから。そして、俺はプロ中のプロ。請けた仕事は、しくじらない」
「それって、遥の自作自演的な、僕を偽装殺人して、逃がすみたいなことですか…」
二人と死神の間に沈黙の間が流れた。喫茶店の有線からオスカー・ピーターソン・トリオバージョンのイパネマの娘が流れる。相変わらず軽い。
「じゃぁ、僕はどうすればいいですか?」
「副島大吉さんの消去依頼はお請けしません。奥様には改めてお断りの連絡を差し上げます」
副島大吉がホッと胸をなでおろしたように見えた。大きな手が手を付けていない水の入ったグラスに当たって、テーブルが一面水浸しになった。スガルと隣のデュークの膝に水がかかった。
『もぉ、何してんのよぉ。冷たいじゃん』
「おしぼりもらいますね」
俺はマスターにおしぼりをと言った。副島大吉はジャケットのポケットからハンカチを取り出し慌ててこぼれた水を拭いた。こういう時は、普通女性側から拭くもんだが。俺の方にしたたる水をこれ以上床にこぼさないようにと、懸命に副島大吉は拭き取っていた。デュークの側の方が大量にこぼれている。死神は幽霊とは違う。姿を現したり消したりできるだけだ。もちろん誰彼、顕在化した死神を見られるわけではない。この条件に当てはまる場合だけだ。
・俺みたいに死神にとり憑かれている
・死を覚悟したとき
俺はマスターが持ってきたおしぼりでデューク側のテーブル天板を拭いた。ガラスの天板にこぼれた水はどうも拭き取りにくい。そのとき副島大吉はしまったという顔をした。レディファーストを怠ったからというものではない。何かを悟られたのではないかということを気にした顔だ。副島大吉は慌てて、デュークの前のテーブルにこぼれた水を拭きとり始めた。
「大丈夫ですか?ホントすみません」
副島はデュークに謝った。
「大丈夫だよな、デューク。スカートがだいぶ濡れたみたいだけどな」
デュークからの返事がない。
「あぁ、ホント大丈夫でしたか。スカートってクリーニング出しましょうか」
「大丈夫、大丈夫。こぼしたの水ですし」
副島大吉は俺の隣に座っているはずのデュークを眺めた。デューク「あらかわ」の店内にはいる。だが俺と副島大吉の斜め前に立ったままだ。隣にはいない。マスターが来るたびに姿が重なって見える。顕在化していなくても、憑かれた当事者はフツウに見えている。
つまり、デュークは一度も顕在化していないから、副島大吉には見えるはずもないのだ。たとえ、死神が見える条件を満たしていてもだ。
俺は副島大吉にあらかじめ用意しておいた誓約書にサインをして渡した。副島大吉の命を狙うことはありませんというものだ。保証はないが、もちろんペナルティもないが、意思を伝えるにはこういうものしかない。副島大吉は水を拭くんだハンカチをジャケットの右ポケットに入れて、店を出た。テーブルの上には千円札が二枚置かれていた
『アタシ、濡れてないし、今日はスガルのためにショートパンツにしたのに。アイツ見えてないの?目潰されたの?』
「目は潰されていないけど、ただ、見えていないだけだね。アイツは死神に憑かれてもいないし、死を覚悟もしていない」
『そうよね、フラグも立ってなかったし』
「でも見ただろ、写真じゃわからなかったけど、つむじのあたりにフラグの種が埋まってたよ」
『いつ気づいたのよ』
「テーブルを拭いてたとき、頭下がってたから頭頂部がね」
さて、話を整理しよう。副島遥は夫副島大吉の殺害を依頼してきた。理由は、殺し屋をやめて一緒に青森で農家をしようというものだ。その後調べたが、副島大吉の周りには女関係はない。不倫の恨みでもなさそうだ。大吉の収入もあの若さにしては十分、都内一等地に一戸建てもマンションも余裕で買える。なんならキャッシュで買えるほどだ。羨ましい。
で、遥が大吉を殺害したいと言う動機がイマイチ見当たらない。だが殺し屋は理由を聞かないものだ。特にサラリーマン殺し屋は言われたとおりに標的を消去するだけ。方法は決められていないができるだけ、後処理が簡単なようにと言われている。それは外注(フリーランス)になっても一緒。
今回はフリーランスになって初めての仕事だ。ここは、理由が必要だ。殺す理由は、知っておきたい。だが、遥が大吉を殺したい理由がわからない。
副島大吉はいい男だ。背はデカい、腰は低い。若くして随分活躍はしている殺し屋らしい。だが俺は知らんが。気になるのはデュークが見えていないのに、あたかも見えているように演技をした点だ。途中からデュークもそれに気づいたが、わざと俺の隣に座っている体で非顕在化のままで立って様子を見ていた。スカートと俺が誘導したら、スカートと反応した。デュークはショートパンツだったのに。見間違える人間はいない。あの場所にデュークが座っていたら、濡れたのは太ももだからだ。女子高生に見える死神、たとえ死神であっても生太もも濡れたらそっちに自分のハンカチを渡すだろうに。
つまり、副島大吉は「ウソ」をついている。でも、デュークの存在を知ってた。なぜだ?しかも、デュークをお子さんか?と聞いていた。見えていないのに見えているウソをつく理由はなんだ。
副島遥が副島大吉を殺害したいという想いは本物だ。だが、遥が大吉を殺害するには、余程の油断をさせないと無理だ。殺し屋対殺し屋、しかも大吉はフィジカルが圧倒的に強い。
となると、
・俺がこの依頼を請けて、大吉を殺す
・請けずに偽装殺人を行って逃がせば、大吉は遥への信頼が高まる。隙が生まれる。その状態なら遥でも大吉を殺せる
俺が返り討ちに会う可能性もあるが、高い確率で大吉を“消去”できるってわけだ。
俺はマスターと奥さんに礼を言い、店を出た。この雑居ビルのオーナーだと知ったのは、この事件が終わってからだ。洞察力の深い二人に相談していれば、あの時点で事件の全貌がわかったんだが。
喫茶店「あらかわ」の上階、二階に俺の事務所がある。一階と二階の階段の踊り場に、郵便受けが並んでいる。一〇三のボックス前に郵便局の配達人が立っていた。ちょうど簡易書留を持ってきたところだったらしい。俺はサインし、書留を受け取った。真田さんからだ。前職の事務員さん。彼女に調査を依頼していた。その返事だった。
副島遥は昨年に死亡したと書かれている。戸籍謄本も同封されていた。だがあの副島遥は副島遥と名乗った。そして、副島大吉は副島遥、妻が死んだとは言っていない。あの女は誰だ。死神の存在に動揺はしないものの、死神が見える。死神は憑いていないと言っていたが。フラグが立ちまくりだということからしても、死を覚悟している、と考えて言いだろう。デュークがショートパンツを履き替えている間に、俺は真田さんに連絡し夜に会う約束をした。