【エッセイ】本能寺の変と喜寿
耳鼻科に行く機会が多い。朝から行ったり、夕方から行ったり。朝9時からの診察でも8時30分には受付をしていることもある。知らずに9時ピッタリに行くと、もう10人待ちぐらいのありさまだ。地元の耳鼻科はとにかく大盛況だ。
同じ耳鼻科にばかり行くのもなんだかねと、普段働かないポートフォリオ機能が脳内を暗躍。セカンドオピニオンシステムが作動した。ちょっと電車に乗って評判の耳鼻科へ。友人の紹介である。
9時診察開始の1時間も前に着いた。くぅ、近くの喫茶店で時間をつぶす。スポーツ新聞を読み漁り、コーヒーをおかわりして、10分前に病院へ。
しまった、ここも早期受付病院だった。くぅ、でも5組ぐらいだ。待てばよかろう。組といったのは、親子2組、ご老人が3組だったから。ご老人は夫婦で、どちらかが診察のよう。どちらかは付き添いのようだ。
長い、長い、長い。
丁寧な診察で有名だからか、長い。1時間待つ。親子2組の診察と会計が終わる。ご老人も2組終わる、次々と後続も並び始める。
最後のご老人1組。カップルと呼ぼう。受付で生年月日を聴かれている。おばあさんの方にだ。おじいさんは隣でつきそい、左半歩後ろに立っている。
「わたし、いつ生まれでしたっけ?」
「ワシに聴いてる?」
「そう、お父さんに聴いてる」
看護師さんが
「西暦から教えてください」と言った。特に感情はなく。
「えーっと、二十三年の…」
「それは、昭和やで。西暦、二千何年とかの」
おじいさんが合いの手をすかさずいれる。
「えーと2022年の…」
「二年前やろ、それは。今二歳かい」
おじいさんの計算は早い。
「七十七歳やで」
おばあさんが年齢を答えた。だがそれは誰も聴いていない。
「1922年の…」
「ほな百二歳かいな…」
後から入って来た若いおねえさんが、笑いを堪えきれなくなっている。
「昭和22年やな」
とおばあさんがようやく、西暦につながるヒントを出す。
「だから西暦やって」
おじいさんがかたくなに、おばあさんから正解を引き出そうとする。
もう、からくりテレビの鈴木史郎氏のようであった。近年なら安住紳一郎氏。
受付の看護師が「調べましょうか」と言うものの、おじいさんが
「ちょっと待って、思い出させるから」と。
「ほら、西暦で千九百何年とかで…」
とおじいさん
「1582年の、6月の…」
とおばあさん。
となりの、学生が
「それは、本能寺の変」とぼそり。
それを聴いた、おねえさんが「ぶほっ」と笑う。
「おじいさん、わたしわからんわぁ」
「1948年やで」
「よーわかるなぁ」とおばあさん
「歳同じやさかいな」とおじいさん
たぶん、待合にいた全員と受付の看護師さんたち全員が
「はよ、教えてあげてよ」とツッコんだ。
病院じゃなかったら、全員まえのめりでコケないといけないシチュエーションだった。
帰って調べたら77歳は喜寿らしい。
いい歳の取り方だ。
イライラしちゃいかんです。
おめでとうございます、名も知らぬおばあさんとおじいさん。