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【エッセイ】余計なひとこと

「言わないでいてくれたら、いいこと」ってのがある。余計なひとことである。僕なんかは息子に妻に、「そのひとことがいらない」とよく言われる。僕からしたら、その場を盛り上げようとしたり、注意喚起のつもりで言っているのだけれど、受け取る相手からしたら余計なひとことなのである。

息子編( )内は息子の気持ちを想像
「これ、プリント入れた?」(わかってる)
「それなら、もう5点は取れたな」(話すんじゃなかった)
「そのシャツ、気に入ってる?」(いじってるのか?ウザイ)

カミさん編( )内は妻の気持ちを想像
「これ、掃除しとこか?」(聞く前にやれ)
「今やろうと思ってたし」(さっさとやれ)
「自分かって本ようけ持ってるやん」(お前の本の方が多い・捨てろ)

確かに余計なひと言

まぁ、想像するにこうだ。職場でもひと言多かったと思う。そのせいで、昇進できたこともあると思うのだ(ズバズバ言っちゃうから)。フリーランスになってからは、打合せの前には手のひらに「よけい」とペンで事前に書いている。何か言いそうになった時、手のひらを見る。必要のないことなら、言わないようにするためだ。

自分語りをしないように、誰かを批判しないように、よその事例をうっかり話さないように、家族のプライバシーに関することをペラペラ話さないように、少々の盛った話をしないように、と言った具合だ。

母からの余計なひと言が刺さったままだった

父が亡くなった。随分前のこと。息子が産まれる1か月前だった。自宅で亡くなっていたが、今の僕より少し上ぐらいの歳で亡くなっていたのだ。僕は実家から少し離れた、でもそこそこに近いマンションを買った。

新居でカミさんと日曜日、夜ご飯を作っているところだった。炊飯器が突然ぶっ壊れた。何気なく休日は見ないはずのガラケー(当時はスマホありません)を確認すると、親族からの着信が百件近くもあった。妹に折り返し電話をしてみると、父が亡くなったという話だった。

憔悴しきっている母に代わり、異例の喪主を務めることとなった私。臨月の妻を自宅に置き、それなりにドタバタであった。初七日も終え、ひと段落といったあたりで、母からひと言。

「お父さん、アンタのこと殺しに行くって言ってたんやで」と

言葉が右から左に抜けるというのは、こういうことである。父にしてみればなかなか親孝行をしない息子に映っていたのだろう。そうは言っても、父とこじれたこともなく。遠い親孝行として、妹の大学の学費を払うぐらいのことも過去にしていた。

父が亡くなる数か月前のこと。母が友人たちと旅行に行くということで留守番の父を自宅に呼んだ。夕食を一緒に食べ将棋をさし、ごく普通の大人の親子関係であったように思う。

父がそんなこと言うかなと、母に言った。母はさらに追い打ちをかけるようにディテールを語ってくる。5W1Hの輪郭がはっきりする。リアリティとの境界線には、普段の父がいるものだから、なかなか信じがたい。

そもそも、こちとら動機も思い当たらない。親孝行も親不孝も偏差値50程度の息子に、そこまで執着することもなかろうに。死人に口なしということが適切なのかはわからないが、父からはこの話が事実だったのか確かめようもない。

母の言葉は余計なひとこと、だったと思う。そのひとことは、リアルタイムで連絡してくれているなら、父とも向き合うことはできたであろう。だがしかし、当の父は亡くなっている。父の人生期のあとがき、または書評のごとく母があとから僕にその「ひとこと」を付け足すというのは、父自身にも僕自身にも余計だったのではと思うのだ。それが事実であっても、誇張であっても、ウソであっても。

それは、15年以上経った今でも喉なのか、胸なのか、みぞおちなのか、脳なのか、僕の深いどこかに刺さったままだ。

だけど、どこかで

人は自分の言葉には鈍感だ。そして他人からの言葉には敏感だ。その間を埋めるものは、「相手を想像する」ということに尽きる。だから、時間があればその時なぜ、母がそんな余計なひとことを言ったのか、思いを巡らせてみたいと思う。そして、どんな結論になったとしても、今の母を赦そうと思うのだ。十七年ぶりぐらいに、母に会いに行くこととしてみよう。

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