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【短編】お互い最大値が21になるときの、SとKの距離を求めよ
「やっぱり、ブルース・ブラザーズは映画で一通り観てから、SNLを楽しんだ方がいいんだって」
会も後半になって、沈黙の時間も増えてきたせいか僕に話すターンが回って来た。ジョン・ベル―シー好きというよりも、ジョン・ランディス好きという方が合っている。そのせいで、マイケルのスリラーのMVは擦り切れるほど観た。細かなカット割りから、セリフ、注釈テロップまで覚えている。波田はハハハと愛想笑いして、すぐに自分の得意なジャンルに話題の舵を切りなおす。得意といっても、ひたすら恋愛話だ。
波田が合コンをするなんて言うから、数合わせ程度で参加したものの、相手の女の子は一人欠席。一VS二の変則合コンは、波田の独壇場となった。女の子はどうやら僕たちと同じ系列の女子大学ということで、キャンパスは別。通学電車で一緒になることがあるかないかレベル。女子大の方にも部や公認サークルはあるが、ほとんどの女子は共学のキャンパスに出入りする。
「それってさぁ、不公平じゃん」
「何が?酔ってんじゃないのか?もう飲むのやめとけよ」
波田は酒が弱いくせに、飲む場が好きだと言う。僕は、酒は強いが、こうした飲む場は苦手だ。
「何が不公平なの?」
川瀬杏子はメニューを見ながら言った。まだ頼む気なのか。終電までは時間はあるが、まだ木曜日。明日は一限からドイツ語だけにサボれない。そろそろお開きにしてもいい頃だ。
「だってさぁ、女子大の人たちはぁ、俺たち共学のキャンパスに出入り自由だろ?だけどぉ、俺たち共学の学生はそっちに出入りできないんだぜ」
波田はぬるくなったジョッキを掴み、ぐいっと残ったビールを飲みほした。
「できるよ、女子なら共学の子も私たちの大学のサークルに入ってるし、男子も決められたイベントの時は出入り自由だよ」
杏子は注文用タブレットから、生ビールとフライドポテトを頼んだ。
「そうなの?」
「そうだよ」
「ねぇ、いい感じのところ悪いんだけど、僕明日朝からドイツ語なんだよね。もう落とすと、三回生で新山校舎で受けないといけないし、就活にも響くから、ここで帰るね」
僕はタブレットの注文履歴を確認した、九千五百円だったので、三千五百円を置いた。二人より少し飲んだと思うからだ。
「えぇ、じゃぁ私も帰る」
川瀬さんは注文をキャンセルし、お会計ボタンを押した。
「杏子ちゃん、次行く?どうする?」
波田は状況を上手く呑み込めていない。帰ると言ってるんだから、川瀬さんも帰るだろう。それよりも、なけなしの三千五百円を払ったもんだから明日からは節約だ。仕送りも使い果たしている。あと一週間、食費が心配だ。
会計を済ませ、店を出た僕たちは波田がカラオケに行こうとしつこく誘ってきた。川瀬さんが断ると、波田はそれ以上しつこく絡まず、彼女に電話をして泊めてくれと交渉した。「彼女、いるじゃんか、あいつ」と川瀬さんが吐き捨てて言った。既に波田は木屋町の雑踏の中に波田は消えて行った。帰る人たちと逆流して、四条から御池の方へと向かって行った。彼女から早く来てとでも言われたのか、そもそも彼女がいるなら、合コンなんか開催する必要があるのかと、思う。
「塩原くんは、どのルートで帰るの?」
川瀬さんがスマホのLINMを確認しながら訊いてきた。彼氏と連絡を取り合っているのか、詮索する必要もないが。
「僕は、京阪で中書島まで出て、そこから宇治線で宇治駅まで」
「私は家が枚方なんだよね。京阪で一緒に帰ろうよ」
川瀬さんは屈託のない笑顔で、僕の腕を引っ張った。女性に触られ慣れていない僕は思わず手を払いのけてしまった。「しまった」というのは、後悔の念を込めての言葉だ。反射的にというか、中学生のころ柔道の道場に通っていたせいで、腕や袖をつかまれると、振り払いたい衝動に駆られる。本能というか刷り込まれた後付け本能だ。
四条通の街灯は、鴨川の四条大橋を越えると少し減る。
「ごめんね」
川瀬さんはそう言うと、再びスマホを開いて、メッセージを確認していた。
「僕、CIAって映画のサークルに入っています」
「CIA?なんだか怖い」
「あぁ、僕が作ったわけじゃないんだけど、Crayzy Interigence Abilityの略らしいです」
「狂った、知性の、能力?ってこと。変なの。サークルにはあの波田って人もいるの?」
「波田はいないよ。あいつはイベントサークル。語学で一緒になった腐れ縁ってやつ」
「そう」
川瀬さんは、沈黙を恐れるタイプじゃなさそうだから、おそらく興味本位で訊いているのだろうと思った。そもそも沈黙を恐れるなら、あの会の後半は相当恐怖だったに違いない。だが彼女はもくもくと注文をし、粛々と酒を飲み、相槌を打ち、自分の家族の話から、ペットの猫の話、仕方なくだろうが元カレの話などあけすけに話していた。それは沈黙を破ろうとするためではなく、単にそうしたいからそうしただけ、話したいから話しただけのタイプだ。波田が何を話しても、川瀬さんは軽い相槌だけで終わらせる時もあった。沈黙恐怖症なら、会話の尻尾をつかんで踏んででもいいから、何か次の展開を起こすものだ。
祇園四条駅階段を下りる手前で、川瀬さんは僕の肩をトントンと優しくノックした。鴨川のほとりには、等間隔でカップルが座っている。まさか、あそこに行くなんてことは言わないだろうが、そのノックからどんな言葉が放たれるのか、怖い。
「ねぇ、風が気持ちいいから五条まで、一駅分歩かない?」
川瀬さんはそう言うと、僕がウンと言うのも待たずに、川端通を南へと歩いて行った。僕は祇園四条駅の地下階段に片足を踏み込んでいたものの、踵を返して彼女の跡を追った。
「私も映画好きなんだ。でも塩原くんほどじゃないけど。父の影響で。ほら、昔、レンタルビデオ抗争みたいな感じあったじゃない」WOMWOMのことだろう。懐かしい。今となってはビデオは借りるより、VODタイプで自宅のテレビでネット経由で観るのがスタンダードだ。
その環境のせいで、僕も浪人したと言ってもいい。受験の合間に深夜、好きな映画を無料で観られる。もちろん、有料の映画もあるが無料でまだ観たことのない映画はゴマンとあった。いまだに観きれない。
「私、ゲームって映画好きなんだよね」
「ゲーム?って、デヴィット・フィンチャーの?」
「そうそう、マイケル・ダグラスの出てる」
「弟役に確か、ショーン・ペンだっけ」
一気に会話が盛り上がる。南風が気持ちいい。川沿いに不気味だと思っていた柳がここぞとばかりに、ふわぁっと揺れる。その柳の葉が川瀬さんの首筋にぞわっと当たる。
「きゃぁあ」
川瀬さんは、僕の腕をギュッと掴んだ。思わず払いのけそうな本能と、それを受け止めようとする理性とのはざまで、僕の理性は圧勝した。もしかしたら、この理性には別の本能とタッグを組んでいたのかもしれない。川瀬さんはそのまま僕の腕をつかんで、歩きにくそうにしながら訊いてきた。
「ショーン・ペンと言えば?」
「そりゃぁ、俺たちは天使じゃない」
「私は、アイアム・サムかな」
確かに、名優だけあって代表作なんてものは絞り切れない。
「今度、ウチのサークルに来ます?映画を観るサークルというわけではないですが」
「どういうこと?」
川瀬さんは僕を下から眺めながら言った。
「ウチのサークルは映画の自主制作サークルで、フィルムを使って映画を撮ります」
「ホームビデオとかじゃないの?」
「あれは、編集機材が高くて手がでません。フィルムで撮影して、現像に出して、それを小さなモニターにフィルムを通してハンドルでクルクル回してハサミで切って、専用のテープでつなげるんです」
「なんだか、手間がかかるのね」
「手間とお金がかかります。だから今日も本当は来たくなかったんだけど、フィルムの現像代が飛んじゃった」
少し話過ぎた。この会に来たことを後悔しているみたいに思われるのも残念だが、現に明日引き取りに行く予定のフィルム二本分の現像代はフィルム一本分しか残っていない。
サラサラぁっと柳が風で揺れる。川端通を北へ向かうタクシーのヘッドライトが眩しい。五条方面に下ると、鴨川沿いに等間隔で並ぶカップルは激減する。代わりに、家を失くした人たちの姿が見える。奇怪な街だが、京都人ならこの姿はさほど珍しく感じない。
十五分ほど歩いて、五条駅に着いた。随分時間が長く感じたが、実際にゆっくりと歩いたと思う。左足が痛い。新しい靴を履いてきたせいだ。二十六センチで買うと、右は丁度いいが、左が大きい。左だけ靴下を二枚履いてきたが、どうもそのせいで靴擦れを起こしたのかもしれない。心配しすぎが悪い結果をもたらす、なんていえばネガティブの極みだが。人とも安全安心な距離でしか付き合ったことがない。男女問わず。映画を作るにはコミュ力は必要だ。だから、僕の映画はいつも自分が出演して、自分でアフレコをしている。カメラは先輩の山本さんに回してもらっている。唯一、心を開きめにして会話できる相手だ。
「ねぇ、塩原くんさぁ、彼女いるの?」
五条駅に向かう下りの階段で、川瀬さんは不意に訊いてきた。あまりにも不意だった。いない、彼女なんて二十一年間いない。そんなものは大学に入っても自然にできることもない。バイト先は家庭教師と塾のみ。出会いなんてない。
「え?いませんよ。二十一年間、いません。」
素っ気ない返事だったが、間違っていない。事実を事実のまま客観的に最短ルートで伝えた。
「そうなんだ」
川瀬さんの言葉も端的最短ルートだった。改札を通り、僕はどうしてもトイレに行きたくなった。先に電車に乗って、と彼女に伝え足早にトイレに向かった。歩いて冷えた、五条のトイレはキレイだった。川瀬さんはどうして「彼女いるの?」なんて訊いてきたんだろう。いないと言っても、素っ気なかったのも気になるが。ホームに繋がる階段に向かう。後ろから肩をトントンと叩かれた。
「ねぇ、私もトイレ行くから。待っててくれない」
川瀬さんはそう言うと、女子トイレへと駆けて行った。僕は女子トイレから少し離れた旅行のポスターとフライヤーが並んでいる壁にもたれかかって川瀬さんを待った。川瀬さんのペースに巻き込まれるのは、悪い気がしない。むしろ、心地いい。
トイレから出てきた川瀬さんは僕に
「お待たせ。私も彼氏いないよ、二十一年間」
と言い、先にホームへ向かった。川瀬さんも浪人してたんだ。いや、そうじゃない、大切なのはそこじゃない。僕は彼女を追いかけ、とても自然なかたちで、彼女の手をつないだ。ギュッと握り返してきた川瀬さんの手は暖かかった。