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石人石馬の見る夢


古墳、に何を見る?
昔の王墓。
ぼくはそこに、王の権力よりも、願いを見る。
しかも、来世や死後の自分の安寧ではなく、自分が暮らした土地の未来への夢。

2020年8月8日、広川、八女、筑後を歩いて旅してきた。
JR西牟田駅から石人山古墳へ歩く。平野に伸びてきた丘の端っこ。
そこから、丘に広がるお茶畑の中の道を、丘の稜線沿いに歩く。


そして、岩戸山古墳。筑紫王磐井の墓。
石人山古墳が磐井一族の初期の王墓で、岩戸山古墳が乱を起こした筑紫君磐井の墓と言われている。九州が中央の力に敗れてしまった、独立を守るための戦い。
敗れはしたけれど、独立独歩の気風はいまも息づいていると思うよ。生粋の九州人ではないぼくが言うんだから間違いない笑。
磐井は、生前に自分の墓として岩戸山古墳を作ったという。

実は僕の家の裏山にも、てっぺんに古墳というか小さなお墓らしきものがある。
井野山に続く小さな峰を、犬を連れてうろうろしていると、連なる小さなピークごとに、まあるい石組みが出てくる。集落の長のお墓なんだろうか。
横に座って、木々の間から街を眺め、叫ぶ鳥の声を聞いていると、あ、ここで街を見守っているんだな、って思った。

石人山古墳も岩戸山古墳も街を見下ろす丘の上。
今回は歩かなかったけど、その先のオルレ八女コースも、丘に沿って点々と古墳。
そもそも、日本人の魂は里から見える山に行き、そこで祖霊になる。
それは、ずっと見守っていたいという想い。見守っていてほしいという願い。
愛する川や土や風や人への想いは、消えることなく 残したい。


知名度でいうと筑紫君磐井の墓である岩戸山古墳が有名だけど、個人的には断然石人山古墳が大好きだ。
岩戸山古墳の石人石馬はきれいな展示室に入ってしまっているけど、石人山古墳では、古墳の真ん中の「石人社」というちいさな祠で、今も王を守っている。近年までの信仰であちこちを撫でさすられ、すっかり摩滅してしまったその姿は、我が身を差し出して人々を救う捨身供養の姿そのもののような気さえする。
今日も石の人の周りから、どこまでも続くお茶の畑を渡り、街に風が吹く。

岩戸山古墳から下ると八女の街。


今日はうなぎの寝床さんに集合して、UNAラボラトリーズさんのツアー第一弾、「クラフトの町・八女福島の生業めぐり」に参加。渡邊令さんのガイドで、八女福島の街や仕事の話を聴きながら、街を歩き、仏壇と提灯の工房やお茶やさんを訪ねます。職人さんや何代目ご当主という方とお話ししたり。お茶をいただいたり、お酒を買ったり。白壁の街並みと普通の住宅の混在する、不思議な安心感のあるまち。奥八女で育った木や古墳のある丘陵で育った茶葉が、城主のいない城下町、八女福島で日々の暮らしを支えるモノに創られていく。その空気を味わう濃厚な一時間半。


八女福島のお城を築くとき、古墳の石人石馬も使われたそうだ。え、なんでそんなことを…と初めは思った。でも、八女から筑後平野をてくてくと歩き、途中の蜂蜜屋さんで蜂蜜ソフトを食べ、羽犬塚駅前で歩きを終え、餃子入り中華そばを食べビールをあおっていると、石人石馬にはよかったのかも、と思えてきた。
自分の生きてきた郷の未来を夢見て石を彫り祈った人たち。その想いを集めた石は、博物館の展示室に並べられ人工的な光を当てられるより、街の骨格の礎となって、土の中で今日の人々の暮らしを支えている方が、ずっとずっと相応しいんじゃないかな。

JR西牟田駅から八女福島経由羽犬塚駅への20キロ、7時間の時空を超える歩き旅。












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