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よみがえれ修験道

山岳信仰、でいいとも思うんだけど、やっぱり修験が気になる。でも、江戸期の修験道は違う気がするんだよね。
修験道は験力を修める道。行者たちは山で様々な修行を重ね特別な力を得、その力を持って治療したり、祈ったりして、里人たちの暮らしを支えていた。

その修験者というあり方が、制度化され組織化され様式化され幕府の統率下に入っていた時代。

現在よく言われる山伏の装束とか、山伏関連イベントが、そういう、江戸期のカタチに囚われすぎている気がするんだ。

羽黒山伏の星野先達は、そういうことに囚われていない。

野生の力を取り戻すんだよ。
受けたもう、だ。

メッセージが明快。
誰がが頭の中で考え出したような小難しいことが一切ない。

宗教というものは組織化される過程で祖師の精神性を失っていくものだけど、修験道はゆっくりとしか組織化されなかった。そもそも教義が明確でない。役小角が祖師かどうかもはっきりしない。人の世の仕組みとしての組織化が弱かったからこそ、一人ひとりが山の力と向き合う態度が保たれていたんじゃないかな。

そういう意味では、修験道は明治政府ではなく、江戸幕府に魂を抜かれたんだと思う。

験力に人々がかつて求めたのは、家内安全=病気の予防と治癒だった。今、人々はまず病院に、薬局に行く。山伏に病気を治す力があると思う人は少ないだろう。そうして山伏は暮らしの中の位置を失った。歴史的、宗教的コンテンツとしての位置しかなくなってしまった。人の暮らしに根ざしていないものはその力を失うんだと思う。

今、山を求める人は、自然に触れる、楽しむ、リフレッシュする、心を癒やすために行く。それは修験者という媒介者を介さずに伝わる山の力。それは大きな山の力だけれど、それだけではない気がする。

今、求められる験力って、なんだろう?

宝満山で星野先達はワタシに一言だけ言った。
元気に山に登るだけじゃだめだぞ。祈りがないと。

その日から、山で祈るようになった。
それまでも、祠や石仏や巨木や大磐の前で祈ってはいたよ。でも、祈りが変わった気がする。どう変わったかはうまく言えないけど。

山を歩いていると、五感で山の光、音、匂い、風、空気を感じている。でも、ジブンはジブンのままだ。山で祈っていると、山の物質ではない何かに向けてジブンが開けていく気がする。ジブンと山の空気が切れ目なくつながっていく。そして、それまで頭で理解していたことを肚で感得する。

山はその存在すべてで、ボクたちの暮らしを支えてくれている。
生きているのではなく生かされている。
ヒトも他の生き物も、土から生まれ、土に還る。
こんなことが、アタマでなく腑に落ちる。
生かされているという謙虚なココロを取り戻す。
世界はジブンの思い通りにはならないという、当たり前のことに気づく。

こうやってヒトは、自分のココロを開いて自然との本当の関係を取り戻す。
自我を離れて宇宙とともにある自己に戻る。
大きくなりすぎた自我を制御する力をいただく。
世間の小さなことから自由になり、自然との大きな関係の中に生まれ直す。

これが新しい験力なんじゃないかな。
生かされているものとして正しい毎日を過ごす。正しい判断をして、正しく生きる。そのための力が験力で、それを得るための行の道が修験道。


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