ジブンというもの
子どもの頃から、ジブンというものが不思議でしょうがなかった。
ココロというのは脳の活動だとは思うのだけれど、数億のヒトのうち、藤本広一というヒトだけが内側から観察できるのはなぜだろう?ほかのヒトも本当にジブンと同じように内側からジブンを観察しているのかな?もし父と母が結婚せずそれぞれ別の人と結婚してそれぞれ子どもを持ってたとしたらジブンはどちらかになったのかな?それとも存在してないのかな?もしクローン技術が進んで自分と全く同じ遺伝子の人間が作れたとしても、同時に2つのジブンにはなれないよね?そもそも昨日のジブンと今日のジブンは連続してるのかな?昨日まで別の人だったのに、寝ている間に記憶も含めてごっそり入れ替えられてたら気がつけないよね?タマシイが不滅で天国に行くとか言っても、これまで生まれ死んでいった人全てのタマシイが天国に?生まれるタマシイは無限?
子どもの頃はジブンというものが扱いきれず、それがなかったときとかなくなることなんてうまく想像できなかった。
今はどうかというと、
なかったもの(あるいは全体の一部だったもの)が、他者との関係の中で、個別に存在しているかのように認識できる状態になって、またなかった状態(または全体の一部)に戻る
みたいなことがなんとなく腑に落ちている。頭で理解できてるわけじゃあない。というか、頭でわからないものなんだという諦めがついたというべきかもね(^_^;)