山伏ワーカー
英彦山は修験の山。山伏の山。
添田駅をそえだ山伏駅って名前に変えたらいいのにな。
山伏という概念をもっと深掘りしたい。山伏装束で法螺貝を…ではなく。
役小角が今の時代に迷い込んだら、どんなことをするだろう。
英彦山にたくさんの坊が営まれた時代はたしかにあったんだけど、山の力は普遍。今もそこにあるはず。
遠望する山容。大地から吹き出し冷え固まった岩。天高く地中深く伸びる大樹。たくさんの生き物の生と死。
すべての人にその存在の根っこを思い出させ、生物としてもつ生きるチカラを呼び覚ます。
山の力を一人ひとりに届けていた修験道が力を失ったのは、明治の廃仏毀釈だと思っていた。でも、いろいろと調べたり歩いたりしていると、実は明治が来たときにはすでに、江戸時代の間にその終わりが準備されていたのではないかという気がしてきた。
江戸時代、人はどこかのお寺に属さなければいけないことになり、お寺も本寺末寺が決められ、修験の山ですらその本末制度に組み込まれた。一人ひとりの祈りの場であったはずの宗教が権力による権威付けに頼らざるを得なくなってしまったとき、その力を失い始めたんじゃないかと思う。
時代は日々混迷の度を深め、生きていくことがどんどん難しくなっている。一人ひとりの生きる力がこれまで以上に必要な時代。
一人ひとりに山の力を届ける修験のしくみを、もう一度取り戻したい。
権力に組み込まれ、その独特の装いが確立した江戸時代をいったん離れ、純粋に、山の力を求め、山の力を里に広げた山岳行者の世界を探りたい。
結袈裟法螺貝で記号化された山伏ではなく、山伏の営みを蘇らせたい。現代の山伏。山伏ワーカー。
山小屋。木材。山裾のカフェ。宿。
山岳ガイド。ネイチャーガイド。
農園。釣り堀。
こういったものを、単なる観光や物販ではなく、山の力をいただく旅、山の力をいただく飲食という形で、モノやサービスに山の力という価値を乗せて提供していく人を、山伏ワーカーと呼びたい。